ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

まずは、「毒矢」を抜きましょう。

2022-03-19 06:51:18 | 日記
霙が降ったり止んだりの一日でした。
早朝は、屋根が薄っすらと白くなってはいましたが昼には消えてしまいました。
地震による近隣の方々の被害の有無は分かりませんが、外見上の被害は見受けられません。
工事用のクルマの出入りなどもありませんから、被害は我が家と同程度で済んだものと推測されます。
まずは、良かった、と。
霙に時折ボタン雪が混じります。
こうした降り方は、春がやってくる兆しです。
やっぱり春が近づいているんだな、とホッとする私。

居住する市についていえば、コロナの新規感染者数は一向に減少しません。
感染者の年齢別内訳を見ますと、やっぱり学生の罹患者が多いのかもしれません。
デパートの地下食品売り場へ行って買って来たい物もあるのですが、自宅療養者がかなり増加していますので、人の集まるところへは行かない方が賢明かと高齢者の私は考えています。

テレビのワイド番組は、ウクライナのニュースが繰り返し放映されるので、昼はなるべく見ないようにしています。
夜はNHKと民放番組のニュースを二つほど見て、自分なりの情勢判断をしたりしています。
とにかく、
「即刻 戦闘は止めて欲しい」
と言うのが、一番の願いです。
いずれの国の人間であっても、失われたいのちは再び戻りません。
悲しみと憎悪だけが増幅されるだけですから。

何時、誰に聞いたのかは忘れてしまいましたが、『毒矢の譬え』の話を聞いたことがあります。(多分、ひろさちや氏の講演会かも)
記憶相違があるかもしれませんが、多分、次の様な話だったと思います。
 《ある人が毒矢に撃たれたとする。
  すぐに治療しなければ命が危ない。
  そんな時、
  何故、矢を射たのか、
  矢を射たのは誰か、
  どんな弓で射たのか、
  矢羽や、矢じりの形状は、
  などと詮索していたら撃たれた者は命を落としてしまう。
  まずは、毒矢を抜き、手当をすることが、何よりも先決。》

と言うような内容でした。

人と人との係わり合いでも、集団と集団との関係であっても、まずは「先決」すべきことを忘れがちな私たちです。
とても心に残った話でした。

ウクライナにおける爆撃の惨状についてもニュースは錯綜しています。
常識的に言えば、自国の市民を自国の防衛軍か爆撃することはあるまいと推測はしますが。
まずは、「戦闘」という「毒矢」を抜きましょう。
「戦闘」は止めて交渉に入りましょう、と強く願い、祈る私です。
コメント
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