ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈あーした 戦火は おーわれ〉と、

2022-03-26 06:47:29 | 日記
薄雲が広がっていましたが、風も無く穏やかな一日でした。
我が家の紅梅は今日辺り開花かしらと思っていたのですが、まだのようです。
家事も、差し迫ってしなければならない要件もありませんので、ゆったりした気分でコーヒーをゆっくり頂きました。
でも、テレビ画面からウクライナの情報が入って来たりしますと心の穏やかさは中断されてしまいます。
自分が視なければ現実も「無い」、と言うわけにはなりませんから、何とも心の置き場所が狭まってしまい窮屈です。
幼い頃、履いていた下駄の片方を宙に抛り上げて、〈あーした てんきになーれ〉と呟いたように〈あーした 戦火は おーわれ〉と、心が呟いています。

八木重吉さんの詩を二つ。
   『本当のもの』
   どうしてもわからなくなると
   さびしくてしかたなくなると
   さびしさのなかへ掌(てのひら)をいれ
   本当のものにそっとさわってみたくなる

   『うつくしいもの』
   わたしみずからのなかでもいい
   わたしの外の せかいでもいい
   どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
   それが 敵であっても かまわない
   及びがたくても よい
   ただ 在るということが 分りさえすれば
   ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聴き手のいない朗読を、

2022-03-25 06:52:16 | 日記
もう少し待とうか、とも考えましたが、厚手の冬物のコートを仕舞うことに。
二、三回、袖を通したものばかりの3~4着ほどの手入れです。
お日さまがピッカピッカですので、まずは天日に当てて丁寧にブラッシングすれば、OK。
来年の真冬までロッカーの奥でお休みなさいです。

ニ、三日前の雪と寒さで咲き誇っていた水仙は頭を垂れていましたが、上へ向かって花をもたげています。
草や木は強いなぁ、と改めて花木のそれぞれを眺めました。
自然に逆らう事もなく弱々しく見えても内に秘めた強靭な生命力。
地球に住んでいる生命体としては人間よりずっとずっと長く自然の中で生きて来たのですから、自然との向き合い方については深い共生感覚を身に付けているからなのでしょう。

ニュースでは、各地の桜開花宣言の映像などが映されていますが、ここ南東北の桜は、まだ固い蕾の状態です。
〈あたたかくなったら、どこかへ出かけよう〉
いつものこの時期なら、そんなことを考える私ですが、今年は、なかなか・・・・・・
「まん延防止等重点措置」は解除となりましたが、居住地での新規感染者数は一向に少なくならないのです。
三回目のワクチンは接種済んではいますが、やっぱり出歩くことは躊躇してしまう感染者数です。
気弱なのかもしれませんが。

今日は少し、ゆっくりとした時間がありました。
『NHKこころの時代』で、再放されている『コヘレトの言葉』を、今回もじっくり傾聴しています。
解説下さる小友聡氏も、若松英輔氏も私の大好きな先生方ですから。
誰も居ない自室と言う舞台で、窓の外の明るい日差しを眺めながら、聴き手のいない朗読を自分に向かってしてみました。

   太陽の下(もと)、なされるあらゆる労苦は
   人に何の益をもたらすのか。
   一代が過ぎ、また一代が興る。
   地はとこしえに変わらない。
   日は昇り、日は沈む。
   元の所に急ぎゆき、再び昇る。
   南へ向かい、北を巡り
   巡り巡って風は吹く。
   風は巡り続けて、また帰りゆく。
   すべての川は海に注ぐが
   海は満ちることがない。
   どの川も行くべき所へ向かい
   耐えることなく流れゆく。
     (「コヘレトの言葉」1章3~7節〈聖書協会共同訳〉より)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界中に平安が訪れます様に。

2022-03-24 06:49:57 | 日記
もう少しいい天気になるのかと思っていましたが、寒さは緩んだものの雲が広がっていて青い空は臨めませんでした。
昨日は、冬の様な日でしたので、残っていた黒豆を一日がかりでコトコト煮ていました。
こんな時は芯式の灯油ストーブが便利です。
火加減を炎の上がり具合で調整できますし、室内は暖房と共に湯気による湿度で呼吸がしっとりとして快適。
一晩水に漬けて置いた黒豆を、差し水をしながらじっくり煮込みます。
黒豆の香ばしい香りが部屋いっぱいに広がります。
黒々、ふっくら、煮崩れも無く煮上がりました。
このまま一晩寝かせれば甘―い黒豆の完成です。
少しだけ小皿にとって味見をしました。
good!!
美味しいお茶も淹れて頂きました。
「日常」というもの、何だか飽き飽きすることも多々存在しますが、こんなささやかな日常を味わうことができるのは、やっぱり幸せというものなのでしょう。

と、またまたウクライナの事が気にかかりだします。
早く治まって・・・と祈ってはいますが、その「時」はいつやって来るのでしょう。
ウクライナの人々の安らかな日常は失われてしまっています。
それにしても、攻撃を仕掛けているプーチン大統領の「安らぎ」などは、どんなことの中に在るのでしょう。
側近といえども、果たしてどこまで信用できるものかどうか。
心許せるものは、何なのか。
わかりません。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』などを思い浮かべています。
そしてまた、対照的に良寛さまの詩などを思い起こします。
   生涯身を立つるに懶く、
   謄謄天真に任す、
   嚢中三升の米、
   炉辺一束の薪。
   誰れか問はん迷悟の跡、
   何ぞ知らん名利の塵、
   夜雨草庵の裡、
   双脚等閑に伸ばす。

当たり前ですが、良寛さまの様にはなれません。
それに、『任す』って、なかなかできないことです。
ちっぽけな自分の知恵や経験に頼ってしまいがちな私です。
だからでしょうか、こんな安らぎの世界に憧れを抱くのは。

世界中に平安が訪れます様に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「限られた医療資源」とは言え、

2022-03-23 06:46:56 | 日記
予報通り朝から雪。
咲き誇っている水仙の群れにも、侘助椿にも、濃い蕾を膨らませた紅梅にも。
「お彼岸は寒(かん)の一つよ」
彼岸に天候が荒れたり冬の天候に見舞われたりすると、母のこうした言葉を思い出します。

お彼岸の墓参は、近所に住む長女が済ませてくれました。
「ありがとう」です。
姉の墓所は昨年2月の地震で土手と言うより崖が崩れて補修されました。
今回の地震による被害はまだ確かめられませんので、
「無理して寄らなくてもいいからね。ご先祖さま方は〈ムリしないで、身の安全が大切よ〉と言ってくれているはずだから。」
と、長女に言った私です。
あれ、この言葉は生前の母や姉がクチにしていた言葉だ、と気付きました。
こんなかたちで、親から子へとコトバが継承されていくことに、心がふっと温かくなりました。
継承と言うよりは、心のDNAにインプットされているのでしょう。

「まん延防止等重点措置」が解除されました。
《新型コロナウイルスの感染拡大「第6波」では、高齢者施設で療養を余儀なくされ、死亡する人が全国各地で相次いだ。
国は医療の逼迫をしのぐため施設内療養を進めてきたが、
・・・・・・中略・・・・・・
全国的にも2月以降のクラスターの発生場所は高齢者施設が最多となった。
識者は現場対応の限界を指摘する。》
          (毎日新聞 2022/3/20 19:49)

と、報じられています。
また、
《淑徳大の結城康博教授は「クラスターの発生で職員の手が回らず、療養中に亡くなるケースが目立つ。
介護施設での医療的なケアには限界があり、現場にこれ以上を求めるのは酷だ」と指摘。
・・・・・・中略・・・・・・
「感染者数は高止まりしており、施設内療養中の死者が多い状態はまだ続く。
政府が要介護者用の宿泊療養ホテルや病院を準備するなどの対策を講じなければ抜本的な問題解決にならない」と話す。》

とも、報じられています。
限られた医療資源です。
すべてが満足できる医療ケアなどは無理な話ですが、施設内療養中の患者が、家族と会う事もなく死へ赴かざるを得ないことは痛ましい限りです。
災害弱者であることからして尚のこと哀しい現実です。

夕方には雪は上がりました。
アスファルト舗装の道路の雪は直ぐに融けてしまいました。
ほんの少し散歩へ。
明日は天気が回復するとのこと。
ウクライナの戦禍も、早く治まってほしいと切に願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「なに ふざけてんの?」

2022-03-22 06:51:32 | 日記
あれこれと家事をしているうちに、あっという間に午前は終了。
青空が広がっていましたので、今日はゆっくり散歩へ出たいところだったのです。
「家事って、キリがないなぁ」
このボヤキは、ずーっと、ずーっと、長~いこと、結婚して以来持ち続けたボヤキです。
家事などほっぽり投げて一人、好きなことに時間を使えたら・・・
そんな気持ちを夢の様に持ち続けて来た私です。

連れ合いが、全く家事に手を出さなかった、という事ではありません。
共働きの夫婦でしたから、奥さんが家に居て家事万端司っている友人知人に比べたら、かなり家事はこなしてくれたと思っています。
家事を分担して貰わなかったら、自家用車なども無く、電気製品などもまだまだ少ない時代でしたから子育てなどできませんでした。
某電気の労組の委員長をしていた連れ合いは、子連れで集会やデモにも参加。
・・・と、まあ、ハナシは脱線しました。
地震など来なくとも、私のグチやハナシはすぐに脱線し易くて。

「今晩、何か食べたいものある?」
と、連れ合いに訊ねました。
はっきりした意思表示はありません。
もっとも、「ある」と言われても応えられるかどうかは甚だ疑問で、私の気分の方が先行しますから。
まあ、暮らし中での慣用句程度。
あらゆる選択肢を排除せずに検討しますけど」
と、岸田首相の得意な口調を真似て言ってみました。
「えっ えっ えっ・・・?」
耳の遠くなって来た連れ合いは聞き取れなかった模様。
こんな時、言い直すのもバカげていますので、会話はそこで中断。
暫くしましたら、真顔で
「なに ふざけてんの?」
ですと。
と、まあ、午前中は終了となりました。

岸田首相の答弁によく使われる『あらゆる選択肢を排除せずに検討します』って、文章にはなっていますが質問の具体的な回答にはならない便利な言葉です。
ご本人が考え出したものなら、すごい才能の持ち主。
陳情書を受け取る受付係のご挨拶に似ています。
差し戻すわけでもなく、承知するわけでもなく、それでいて激しいトゲも無く、丁寧に・・・。
でも、国会の答弁では肩透かしを食った気分にさせられます。
討議は成立しません。
しかし、私も使ってみたい言葉でした。
そんな気持ちが、今日ふっと口からこぼれ落ちて・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする