ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「聖化」は問答無用ですから。

2022-03-27 06:53:20 | 日記
グラグラッ、としますと、また来たかとの不安を覚えます。
〈この先一か月程度内に、震度6程度の地震が起きる可能性がある〉
そうした気象庁の発表もあるものですから、震度1程度でも不安になったりします。
それに地震だけではなく、コロナやウクライナの戦禍などが心にフレイルを引き起こしているのかもしれません。

ウクライナの惨状は不安を伴って迫って来ます。
様々な情報が飛び交っています。
「諜報活動」、昔も今もスキルは異なっても変わってはいないのでしょう。
相手の目を眩ませ、状況を誤認させることによって相手の士気を低下さたり誤った作戦に走らせたり・・・と。
田舎者のばーばが、世界情勢の分析など出来はしないのですが、まずは自身が立つ位置を確かめるためには、何が「真実」なのかを捉えて置きたいと考えています。
何を「真実・正義」と解釈するかという事ではなく、何が「現実」に起こっているかを知りたいと。
砲撃を受け街が焼かれ、人々が困窮し街を追われ、子ども達も犠牲となっていることは紛れもない現実ですが。

先日、ウクライナのゼレンスキー大統領が、日本の国会でオンラインによる演説をしました。
私も翻訳された文章をしっかり読んでみました。
そして、私なりに自身の経験なども踏まえ、様々なことに思いを馳せています。
空爆被害の恐ろしさはかつて幼い頃に経験しました。
私も、早くウクライナの戦禍が終焉し、市民生活の日常が戻って来ることを心から願っている一人です。
ロシア兵も戦闘に関わることなどなくなって、家族の許へ戻ることができることも祈っています。
道のりは困難を極めるでしょうが。
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今日は、全国的に荒れ模様です。
散歩へは出られません。
あれや、これや想起する思いに暫し留まったり、検証したりしながら、目はぼんやりと雨模様の空を眺めていました。

「愛国的」って何だろう。
昭和20年、敗戦間近なこの季節、学校の教師は私たちに、
「一億一心 火の玉だ」
「一億総玉砕」
などと、教えたものです。
愛国心の名の下に。
以下、2年半ほど前に記したブログからの抜粋です。

《「愛国的でないことを非難することは、『国』を聖なるものとして崇拝する行為の一環にほかならない(中略)。
現代において愛国的であることは、国民国家への自己同一化(中略)を
前提とし、国民国家が聖性を独占する以上、常に、自国を『聖なるもの』
として崇拝することへと転化する可能性を内蔵している」》

上記の記述は、『愛国の構造』 将基面貴巳 著、について、毎日新聞2019年9月9日 東京夕刊に紹介されていた記事です。
かなりの部分共鳴いたしました。
「自国」を、「自国のみ」を、聖化することはとても危険な気がします。
「聖化」は問答無用ですから。
議論が成り立たなくなってしまいますから。
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