ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『さて、どちらへ行かう』などと。

2015-12-07 06:20:12 | 日記
今年も年賀状の季節になりました。
年賀状に、
「本年をもって、年賀状での、ご挨拶は止めさせていただきます。
今後とも、よろしくお付きあい下さいませ」
と書き添えて発送したのは、70歳(古希)の時でした。

周囲を見渡しますと、70歳は【人生七十古来稀なり】とも言えないようです。
でも、年賀状を書くのが少々億劫になってきたというのが、ホンネでした。
ハガキに画像が印刷されているだけのものを差し出すのも、
何かしら おざなり感も覚えてしまいます。
パソコンで、様々な絵や図形をダウンロードしただけのものも
また“なんだかなぁ”の思い…………。
一筆書き添えて差し出してはいたのですが、
年末の忙しい時期、少し大変にもなってきたからでした。

1年半ほど前、
長い間、一週間に一度、食事と、お茶をしていた数人の友人達との集まりからも離脱。
75歳を過ぎ、もう一度自分をリセットしたいという思いでもあったのです。
でも、人間、なかなかリセットは難しく、身辺整理も捗らずに今年も年末を迎えます。

教会は、アドベント第二週に入りました。
クリスマスを迎える準備の週です。
祭壇のローソクには、二本目に灯がともり、
牧師先生が、説教で、水野源三さんの詩を教えて下さいました。

  〔苦しまなかったら〕
                       水野源三
  もしも私が苦しまなかったら、
  神さまの愛を知らなかった。
  多くの人が苦しまなかったら、
  神さまの愛は伝えられなかった。
  もしも主イエスが苦しまなかったら、
  神さまの愛は現れなかった。

水野源三さん(1937年~1984年)は、9歳の時罹った赤痢の高熱のため
重度の脳性麻痺を起し、話すことも、書くこともできなくなりました。
お母さんが、51音を書いた文字板を指で示し、唯一残された「瞬き」を通して
意思疎通を図ったそうです。
12歳の頃から聖書を読み始め、
毎日訪れて下さった牧師の愛によりクリスチャンとなった方で、
「瞬きの詩人」と呼ばれています。

一カ月ほど前から気がかりなこともあって、どこか落ちつきの悪い日々を過ごしていました。
  『それはそれで、安心か 迷いか、と考えずに、すべてを委ねなさい』
帰天なされた井上洋治神父さまの、そんな言葉が聞こえるような気がします。

教会を出ましたら、風が。

   『さて、どちらへ行かう 風が吹く』
                         山頭火

コメント (2)
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