今年も年賀状の季節になりました。
年賀状に、
「本年をもって、年賀状での、ご挨拶は止めさせていただきます。
今後とも、よろしくお付きあい下さいませ」
と書き添えて発送したのは、70歳(古希)の時でした。
周囲を見渡しますと、70歳は【人生七十古来稀なり】とも言えないようです。
でも、年賀状を書くのが少々億劫になってきたというのが、ホンネでした。
ハガキに画像が印刷されているだけのものを差し出すのも、
何かしら おざなり感も覚えてしまいます。
パソコンで、様々な絵や図形をダウンロードしただけのものも
また“なんだかなぁ”の思い…………。
一筆書き添えて差し出してはいたのですが、
年末の忙しい時期、少し大変にもなってきたからでした。
1年半ほど前、
長い間、一週間に一度、食事と、お茶をしていた数人の友人達との集まりからも離脱。
75歳を過ぎ、もう一度自分をリセットしたいという思いでもあったのです。
でも、人間、なかなかリセットは難しく、身辺整理も捗らずに今年も年末を迎えます。
教会は、アドベント第二週に入りました。
クリスマスを迎える準備の週です。
祭壇のローソクには、二本目に灯がともり、
牧師先生が、説教で、水野源三さんの詩を教えて下さいました。
〔苦しまなかったら〕
水野源三
もしも私が苦しまなかったら、
神さまの愛を知らなかった。
多くの人が苦しまなかったら、
神さまの愛は伝えられなかった。
もしも主イエスが苦しまなかったら、
神さまの愛は現れなかった。
水野源三さん(1937年~1984年)は、9歳の時罹った赤痢の高熱のため
重度の脳性麻痺を起し、話すことも、書くこともできなくなりました。
お母さんが、51音を書いた文字板を指で示し、唯一残された「瞬き」を通して
意思疎通を図ったそうです。
12歳の頃から聖書を読み始め、
毎日訪れて下さった牧師の愛によりクリスチャンとなった方で、
「瞬きの詩人」と呼ばれています。
一カ月ほど前から気がかりなこともあって、どこか落ちつきの悪い日々を過ごしていました。
『それはそれで、安心か 迷いか、と考えずに、すべてを委ねなさい』
帰天なされた井上洋治神父さまの、そんな言葉が聞こえるような気がします。
教会を出ましたら、風が。
『さて、どちらへ行かう 風が吹く』
山頭火
年賀状に、
「本年をもって、年賀状での、ご挨拶は止めさせていただきます。
今後とも、よろしくお付きあい下さいませ」
と書き添えて発送したのは、70歳(古希)の時でした。
周囲を見渡しますと、70歳は【人生七十古来稀なり】とも言えないようです。
でも、年賀状を書くのが少々億劫になってきたというのが、ホンネでした。
ハガキに画像が印刷されているだけのものを差し出すのも、
何かしら おざなり感も覚えてしまいます。
パソコンで、様々な絵や図形をダウンロードしただけのものも
また“なんだかなぁ”の思い…………。
一筆書き添えて差し出してはいたのですが、
年末の忙しい時期、少し大変にもなってきたからでした。
1年半ほど前、
長い間、一週間に一度、食事と、お茶をしていた数人の友人達との集まりからも離脱。
75歳を過ぎ、もう一度自分をリセットしたいという思いでもあったのです。
でも、人間、なかなかリセットは難しく、身辺整理も捗らずに今年も年末を迎えます。
教会は、アドベント第二週に入りました。
クリスマスを迎える準備の週です。
祭壇のローソクには、二本目に灯がともり、
牧師先生が、説教で、水野源三さんの詩を教えて下さいました。
〔苦しまなかったら〕
水野源三
もしも私が苦しまなかったら、
神さまの愛を知らなかった。
多くの人が苦しまなかったら、
神さまの愛は伝えられなかった。
もしも主イエスが苦しまなかったら、
神さまの愛は現れなかった。
水野源三さん(1937年~1984年)は、9歳の時罹った赤痢の高熱のため
重度の脳性麻痺を起し、話すことも、書くこともできなくなりました。
お母さんが、51音を書いた文字板を指で示し、唯一残された「瞬き」を通して
意思疎通を図ったそうです。
12歳の頃から聖書を読み始め、
毎日訪れて下さった牧師の愛によりクリスチャンとなった方で、
「瞬きの詩人」と呼ばれています。
一カ月ほど前から気がかりなこともあって、どこか落ちつきの悪い日々を過ごしていました。
『それはそれで、安心か 迷いか、と考えずに、すべてを委ねなさい』
帰天なされた井上洋治神父さまの、そんな言葉が聞こえるような気がします。
教会を出ましたら、風が。
『さて、どちらへ行かう 風が吹く』
山頭火