ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

野坂昭如さんと、米倉斉加年さんと、私と兄と、そして母と。

2015-12-13 06:19:07 | 日記
野坂昭如さんが亡くなりました。
私より7歳上ですが、先の大戦に対する思いなどからすれば同時代性を共有しています。
昨年の夏、米倉斉加年さんが亡くなられた時と同様、
“あぁ、同時代の人が逝く……………”
の思いで、淋しく感じられます。

米倉斉加年さんは、絵本『おとなになれなかった弟たちに』で、太平洋戦争の末期、
疎開先で栄養失調で死んだ幼い弟への想いを、自伝的に書かれています。
  《空腹に耐えかねて、僅かばかり配給になる弟の食べ物・粉ミルクを、
   母親の目を盗んで飲んでしまった自責、心の痛み…………》
などが、淡々と記されているだけに、戦争という不条理さと悲しみ、苦しみが
伝わって来た絵本でしたので、「読み聞かせ」や「朗読」によく用いた教材でした。

野坂昭如さんも、『火垂るの墓』で、自身の妹への想いを重ね合わせて書かれています。
野坂さんは、
  《戦時中の食糧不足のさなか、自らの飢えのあまり、妹の食べ物にまで手を出したこと、
   泣く妹を殴ったこと、当時1歳半だった妹が、栄養失調死している》
ことなどを話されています。

あのひもじい時代を生きて来た者の一人として、
野坂昭如さんや、米倉斉加年さんのしたことを責めることなど出来はしません。
文字や記録には残されなくとも、あの時代を生きた多くの少年、少女が
共有していることがらではないでしょうか。

私の戦争末期の思い出です。
田舎に疎開していた私たちは、食糧不足で毎日、お腹を空かしていました。
時折、母が、当時としては、なかなか手に入らない お米だけの お握りや、
お餅(丸め餅)を頂いてくることがありました。
母は、米倉斉加年さんの絵本『おとなになれなかった弟たちに』の中の、お母さん同様、
自分は食べずに、私たち子どもに等分に切り分けて食べさせました。
少し端が出たところや、大きめのモノは、歳の小さい私が頂いたのです。

ある時、兄が小さく呟やきました。
“お母ちゃん、これって、本当の平等じゃないね”と。
兄は、大人同様に、母の仕事をを助けていたのです。
何もしない私と同じ分量のモノは、真の「平等」では無いと言いたかったのでしょう。

“小さい者は、かわいそうだからね、あなたは、お兄ちゃんだから”
そう言ったあの時の母の悲しそうな顔を、私は今でも覚えています。

野坂昭如さん。
あちら(彼岸)で、妹さんに お会いできましたか。
ご冥福を、お祈りいたします。
                                   〈ゴマメのばーば〉
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