散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

企画『永井政治学の世界』~“自己認識の学”として

2014年10月17日 | 永井陽之助
このブログは元はと云えば、永井陽之助の政治学を支柱に、政治状況の認識・評価・態度を語ることを考えて始めたものだ。その中で、自分の描いている永井政治学を明らかにしてみたいと思っていた。

しかし、始めてみると、最初は永井政治学に引っ掛けられる事象を適当なタイムスパンで取り上げたが、世の中の事象を自分で論評することに関心が向いていった。特に安倍政権から黒田・新日銀総裁の「異次元金融緩和」に至り、自分のとっては経済をフォローすることに関心が向いた。
 『黒田バズーカ砲は華麗なる空砲か~株と無縁の住民の眼130424』

それでも適宜、永井に関連した記事も書き、永井政治学の一端を紹介もしていた。しかし、それもまとめ切らずに、最近は、テーマを決めて「思考方法、原体験」に絞って論じてみた。結果は、手掛かりを得た感覚になった。
 『原体験、フロイト流の自己分析140926』

そこで、更に大きいテーマを決めて“永井政治学”を論じてみたいと、思うようになった。一つには、青学時代に永井の薫陶を受けた国際政治学者・中山俊宏氏の「永井論」に違和感を覚えたことにもよる。例えば、氏は「永井のきらびやかな用語群」というが、そうなのだろうか?何か軽い表現の様な気がする。
 『永井陽之助“感染する思考”(3)140916』

先ずは「『永井政治学の世界』~“自己認識の学”」として、以下のことを考えてみたい。

「序.永井政治学の位置~「主体的浮動層」へ向けて」

本ブログの最初の記事に書いた様に「永井政治学の本当の神髄は“政治意識論をベースにした政治理論”にある」。それは、大衆社会において、如何に主体的浮動層を育成するのか、という問題意識に貫かれる。そこで筆者なぞは、国際政治に引きずられないで、政治意識を介した社会の動態分析を優先して欲しいと思っていた。大学紛争の頃は丁度その時期ではあった。
 『序にかえてー追悼の辞~永井政治学に学ぶ20110502』

「1.永井陽之助の思考方法~「迂回」しながら「飛躍」へ」
「2.現代社会への政治学的接近~作品としての「秩序」
「3.大衆民主主義と統治~「政治意識」からの出発」
「4.偶発革命から「柔構造社会」へ~「成熟時間」の発見」
「5.政治的人間論~「政治的成熟」への道」

以上が仮に付けた各論のタイトルだ。本来だと、ここから永井が具体的に関心をもった政治学の範疇に関して論じたい処だ。しかし、そこまでの整理は未だできていない。細かい意味での文献収集も抜けがある。

そこで先ず、「1.永井陽之助の思考方法~「迂回」しながら「飛躍」へ」の章立ては以下の様に決めて、始めてみる。これも仮の姿であり、今後、変更があるかもしれないが。

序論―思考方法の不思議
1-1 原体験
1-2 師との「交流」
1-3 衝撃・違和感との「対話」
1-4 両義性と矛盾の「直視」
1-5 目から鱗が落ちる「読書」

「1-1 原体験」については既に記事にした。もう一度、見直すにしても、記事にするかどうかは、そのときに考える。

従って、次は「1-2 師との「交流」」になる。

「兄・成男…寄るとさわると熱っぽい議論」
「ドイツ語教師(旧制二高)…神秘主義、ナチス」
「丸山眞男…政治意識への導入」
「リースマン…了解的方法」
「編集者・粕谷一希…仲介者」

以上の5名だが、「兄・成男」と「編集者・粕谷一希」は、必ずしも「師」ではない。しかし、永井に強く影響を及ぼしていると思われる。この中でも、政治的考え方に対して大きな影響を受けたのはリースマンであろう。なお、これらの人たちに対して、本格的に資料を集めたのでは無いから、簡単な試論になるだろう。



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