散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

単一争点化する都知事選~「群化社会」における政治的意思決定

2014年01月14日 | 地方自治
今日の細川氏の立候補宣言によって、昨日の記事で述べた「国政代理選挙」を積極的に推進するグループの登場となった。一方、これを別の視点から見ると、単一争点のイデオロギー選挙とも云える。
 『地方自治体の政策から国政を視る20140113』

何故、そうなるのか?冷泉彰彦氏は根深い問題だと次の様に述べる。
「有権者に根深い分裂がある」「世代、階層、家族の有無、子どもの有無によって個々の有権者は具体的な政策への利害を大きく異にする。具体論に突っ込んで行けば行くほど、都民の世論は分裂し対立する。」

「高齢者に配慮すれば現役世代に手が回らなくなる、子育てがしやすい政策にすれば、子供のない人には関心のない話…多くの候補が具体的な政策論に関しては「総花的で毒にも薬にもならない」公約を掲げざるを得なくなる」

「そうなると、決め手としては「カルチャー」の話題で「陣営をまとめよう」という動きになり、ナショナリズムとか、脱原発などという話が「旗印」として浮かび上がってくる。」

「ナショナリズム、脱原発は、賛否両者の間では厳しい対立…ですが、賛成派の中、反対派の中は極めて対立の少ない一方で、現実を離れた抽象的な言論で済む「安楽な世界」…その安楽さが「票を固めてまとめてくれる」のであれば、どうしても候補はその方向へ向かう。」

これを氏は「東京病」とよぶ。しかし、それよりも「大都市症候群(シンドローム)」とでもよべば、ハタと思い当たる節がある。大阪維新の会は「one 大阪」を掲げて、府市の首長選挙を戦った。また、名古屋市、愛知県では「減税」がテーマになった。これは確かに“抽象的単一争点選挙”である。また、橋下、河村の両氏は極めて高い人気の持主であった。

東京の抱える大きな問題として、一極集中、やがて訪れる膨大な単身高齢者を抱える「無縁都市化」、インフラ更新の必要性、国際都市への脱皮などを指摘しつつ、氏の回答は、状況の追認になる。

「今は大いに分裂をして…それぞれのグループが各都知事候補を「自分たちの利害から」審査、推薦して、有権者の投票行動に役立つようにし…各候補の「実務能力」や「未経験の問題に直面した場合の解決能力」などを問うていくことができれば、選挙の「中身」は自然と充実してゆく。」

しかし、明治維新以降、東京を始めとして日本の大都市は神島二郎の言う「群化社会」となって久しい。それはムラ社会をつくりながら、自己意識も昂進させ、活気を帯びる社会ではあるが、逆に内面は崩壊し、政治的無関心と政治への過剰反応を生む下地になっている(「近代日本の精神構造」(岩波書店))。

この中で、草の根から市民レベルの活動だけによって、選挙の中味が自然に充実するわけではないだろう。もちろん、それも必須の一つであるが…日常的に地方自治体の政治・行政に関心を持ち、具体的問題に関与し、更に政治過程そのものに参加するステップを必要としているはずだ。「関心・関与・参加」だ!