散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

禁油は“真珠湾”を導くか~日本の位置と戦略

2017年08月31日 | 国際政治
日本の上空を越える北朝鮮のミサイル発射に対して国連安保理は議長声明で北鮮を非難した。しかし、日米は北鮮に対する禁油を提起するとのことだ。この言葉から「(1)真珠湾攻撃(2)朝鮮戦争」の二つの事例を想い起こした。

1941年米国は日本への禁油措置を行った。しかし、米国は日本の窮鼠猫を噛む真珠湾攻撃を予測できなかった。その歴史を踏まえて、永井陽之助は朝鮮戦争の発端、北朝鮮の韓国侵攻(1950)を「冷戦の真珠湾」と呼んだ(『冷戦の起源』中央公論社1978)。

北朝鮮に対する禁油措置の提起は、石油を提供しているのは中露であるから、その両国への圧力であることは確かだ。当然、中露も含めた駆け引きになる。ここで注目するのは、この提案が日本主導型にも見えることだ。それはミサイルが日本を横断して太平洋に落ちたこともあるが、安倍政権が日本の存在を世界へアピールする意図もあるように思える。

今回の事案は日米韓の環の脆弱な部分である日本も標的する可能性を北朝鮮が提示したとも云える。北朝鮮がその主張を維持し、米国の奇襲(金正恩を標的)を避けながら中露の支援を得る方法として、実際のミサイル演習は米韓を外して日本を対象としたとも考えられるからだ。

教宣活動としてはグァムを提示しておき、実弾は日本に近づけることによって米国世論の軟化を図る。一方、韓国は暗に聖域化して韓国民と中露を宥める。日本が経済封じ込めの先頭に立つことを過去の侵略と同一視する視点から批判してそれを抑制する。そんな実質的戦略も可能なのではないか。
即ち、顕教「核開発・南北統一」は維持しながら、密教「日米韓の弱点」を突くと共に「中露を手放さない」やり方だ。

今、迫っている危機は相互の演習がエスカレートして手詰まりになり、武力による“真珠湾”に至ることだ。「禁油」はそのトリガーにもなることは“歴史の教訓”だが、日米が自らの過去をどのように学び、歴的状況が異なる現在へ臨むのか?米韓とは異なり、日本は北朝鮮の直接的対決の位置にはない。その中で、日本が北朝鮮の矢面に立つことを覚悟しての戦略か?