散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

大阪維新の会、素顔のオポチュニスト~家庭教育支援条例案、政治的真空状態へ~

2012年06月22日 | 国内政治
『スイミー』としての橋下徹(3)(2012/3/5)」において以下の懸念を書いた。
1)急速に膨張する集団には政治的オポチュニストも存在するので、その発露を抑える。
2)討論を越えた過剰な言語はネガティブな攻撃性を助長し、1)にフィードバックされると悪循環になる。

政治的オポチュニストは様々な形で表れる。初歩的なのは、個人的な利益に係わることだ。しかし、問題なのは精神病理的な傾向を有する人間が権力への渇望を満たそうとしたときであり、ナチスドイツの中核を担った群像であるが、我が国において台頭するのは難しい。

上記両者の中間的存在として、自ら信奉する極端な政策を具現化しようとする少数派政治集団がある。この場合、反対勢力の存在も含めて通常の政治状況では非常に実現しにくい政策であることが一つのポイントである。「家庭教育支援条例案」を担いだ大阪維新の会大阪市議団の一部がその一例と考えられる。

前回記事のように、「家庭教育支援条例案」は、脳の機能障害である「発達障害」を親の愛情不足に起因するとしており、更に、それを虐待と同列に置く表現をしたことから関連団体などが抗議し、結局、大阪維新の会は条例案を白紙撤回、陳謝に及んでいる。この「親の愛情不足」イデオロギーは親学推進協会を実質的に主宰する高橋史朗が唱えている。

しかし、高橋氏には発達障害や脳科学に関する専門家の査読を経た学会論文はなく、橋下氏も言うように何ら科学的根拠はない。むしろ疑似科学である。
乙武洋匡氏が述べるようにである。 http://togetter.com/li/297720

その親学推進協会が深く政治家と結びついており、親学推進議員連盟がこの4月に設立されている。会長は自民党・安部晋三議員である。ここに世相に反映される『問題点』をすべて“親の愛情不足”に還元する発想、すなわち「親の愛情不足」イデオロギーを政治宗教とする議員団体が成立したのだ。

その親学議連が5月末「発達障害を予防する伝統的子育て」をテーマに勉強会を開催し、もちろん高橋氏が講師、関係者の抗議が殺到、議連側は最終的に陳謝したと6/12付・毎日新聞に報道された。

更に、先の「家庭教育支援条例案」が問題化する少し前に安部氏と松井大阪府知事が会談したことが報じられたはずだ。ここまでくると全体像が想像できるように繋がる。大阪維新の会には松井府知事がそうであるように、自民党・保守派出身の方も多々いるであろう。

橋下市長は2012/5/3付けツイッターで「発案議員グループが作成し、これから市議団政調会にかけるという段階」と言い訳に苦労している。しかし、この発案議員グループこそが “政治的オポチュニスト”の正体である。おそらく、松井知事を含めた旧自民党で政治的には右派に属し、安部氏の政治的イデオロギーに親和性を持つ人たちであろう。

では何故、大阪市が「親学議連・親学推進協会」に目を付けられたのであろうか。ここで、『政治的真空状態としての大阪市』にぶつかる。今の大阪市の行政機構、特に教育行政は混乱している。それは橋下改革によって既存の“制度”が否定され、しかし、その後は構築に時間の係る“制度化”よりも、条例・規則・罰則等の機構化に走りがちなところが見えるからである。教師のなかで、どこに向かって仕事をしていくのか、戸惑いがある人が出てきても不思議ではない。

有効な支配を継続する分岐点-制度型/機構型(2012/5/5)」で述べたように、法体系・組織体系を構築しても、それを動かす “制度”としての行動規範を醸成していかない限り、長期的には安定した体制は望めない。

この間隙を縫うのが政治的オポチュニストの集団である。個人的な利害に係わる人間は個々の問題であり、精神病理的な傾向を有する人間は現れにくい。結局、警戒すべきは極端な政策へ走る集団である。維新の会の議員以外には、特別顧問(例えば古賀氏、飯田氏)が挙げられる。今後もウオッチが必要である。