散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

大阪維新の会・「家庭教育支援条例案」の本質~すべてを親の愛情不足に還元する政治宗教~

2012年06月16日 | 国内政治
有効な支配を継続する分岐点-制度型/機構型(2012/5/5)」で述べたように、大阪維新の会大阪市議団の一部が「家庭教育支援条例案」を企画した。これがツイッターを駈け巡った。しかし、発達障害は、脳の機能障害であって、親の愛情不足などではないことが本質であり、これは調べれば簡単に判ることだ。スルーされた橋下市長への乙武洋匡氏の説明がこれらをまとめている。

『大阪維新の会による家庭教育支援条例(案)は、「発達障害の原因は、育て方が悪いから」と読み取れるものでした。このような誤解によって苦しめられている人が、たくさん存在しています。一人でも多くの方に読んでいただければ。』

何故このような紛いもの、誤解するふりをして、「脳の機能障害」を「親の愛情不足」へ押しつける考え方がまかり通っているのか?それは世相に反映される『問題点』を、すべて“親の愛情不足”に還元する発想が、その政治集団の根底にあるからだ。

何でも良いのだ!“親の愛情不足”と言えさえすれば!「発達障害」は単にそのターゲットに選ばれたに過ぎない!これが今回の『家庭教育支援条例案』に関する事件の本質であり、恐ろしい「政治宗教」と言うべきである。

では、その「政治宗教」の種明かしを試みよう。
毎日新聞大阪夕刊5/7付けによる「家庭教育支援条例(案)」の概要は、
▽「親の学び」の手引を配布。母子手帳に学習記録を記載
▽保育・幼稚園で年1回以上「親の学び」カリキュラムを導入
▽保育・幼稚園で保護者の一日保育士(幼稚園教諭)体験を義務化
▽保護者対象の家庭用道徳副読本を作成し、配布
▽中学生?大学生に乳幼児の生活に触れる体験学習を義務化
▽発達障害課や、部局が連携した発達支援プロジェクトを設置
▽乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害やそれに似た症状を誘発する大きな要因と指摘され、それが虐待や非行、引きこもりなどに深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる
▽わが国の伝統的子育てによって(発達障害は)予防、防止できる。子育ての知恵を学習する機会を親やこれから親になる人に提供

注意すべきことは、愛着形成の不足が、最初は軽度発達障害の誘発と、やや軽く書かれているが、次に虐待、非行、引きこもりに深く関与していると、重く書かれていることだ。言いたいのはここであって、発達障害はダシに使われたことが明白である。発達障害の当事者にとっては迷惑も甚だしいことだ。

また、“親の愛情不足”の発想は、子どもの虐待においては顕著であり、これを否定する人はいないはずだ。しかし、それなら虐待する親だけを対象に、その防止を考えれば良い。また、非行、引きこもりになると、単に親の問題だけでなく、友人関係等の社会的環境の問題が出てくる。ところが、発達障害になると乳幼児の頃からの親との関係だけにクローズアップが比較的可能になる。おそらく、ダシに使われた理由は、この辺りであろう。

もう一つ注意すべきことは、虐待、非行、引きこもりと異なる事象を並記、これに「など」を加えていることだ。これは虐待と非行、引きこもりを同じレベルで捉えることであり、つまりは、子どもに関して悪いとされていることはすべて、愛着形成の不足に起因するといつのまにか言っており、すり替えの論理だ。

ここまでくると、本当の狙いは別にあることが判然とする。問題の核心を文言から合成すれば、太線部分「愛着形成の不足、伝統、道徳」である。愛着形成の不足が社会生活での問題を引き起こすが、伝統的な方法によって愛着形成を可能にできる。これにより道徳の回復を図り、社会生活を安定化させる。簡単に言えば、他のことはさておいて、子育てに関しては「昔は良かった、昔に返れ」と『三丁目の夕日』よろしく、郷愁を呼び覚ましているのだ。

従って、その実現へ「昔と同じ」ように上から目線の庇護的、かつ、官僚的な押しつけの、手引・副読本の「配布」、カリキュラムを「導入」、体験を「義務化」が並べられる。これが『家庭教育援助条例案』と呼ばれるものの全体像だ。

この考え方が受け入れられる土壌は『戦後憲法における「機構信仰」 (2012/10/4)』で述べた政治的中間層の心理(法体系を社会秩序形成の基準)がある。これについては、別に議論が必要だ。