散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

民主党の追随者たちは、何故、首相を信任したのか

2011年06月03日 | 政治
マックス・ウェーバー『職業としての政治』に次のくだりがある。

「…人民投票的指導者による政党指導は、追随者から「魂を奪い」、彼らの精神的貧困化をもたらす。…」
この言葉は、民主党議員の実態を示しているかのようである。

菅、鳩山、小沢を除いた民主党議員を一般議員とすれば、まさに彼らは「追随者」である。但し、菅、鳩山、小沢は人民投票的指導者というほどのことはなく、閉ざされた派閥の中の単なる「領袖」であろう。鳩山・小沢の「追随者」たちは、野党提出の内閣不信任案に賛成しようとしていた。領袖の立場を鵜呑みにしてである。しかし、代議士会の菅の発言を受けてあっさりと反対に転じた。鳩山が分裂回避の立場から否決を説き、小沢が棄権したからである。

もともと、菅首相に辞任を要求していたのであれば、今回の代議士会での発言を受けて、「辞めるのなら、すぐに辞めろ」でなければ、「時期を明らかにしろ」と、その場で言わなければならない。

しかし、魂を奪われ、精神的貧困化をきたした「追随者」たちは、原口氏に代表されるように、「権力の幻想」にしがみついたのだ。彼らを動かしていたのは、実は議員のイスであり、政権党としてのうま味である。それが土壇場にきて自ら暴露してしまっただけである。

代議士会が議決機関でないのであれば、議員総会でも何でも開く手続きを踏めば良い。民主党の党首を解任すれば、新党首が選ばれた段階で総辞職する他はない。あくまでも党内で先ずは決着をつける問題である。議会で信任した後に、これから党内で議員総会開催へ向けて、署名集めをしようとするのは、政治家としての判断能力が著しく乏しいことを、これも自ら暴露しているだけである。

賛成から反対へ回った「追随者」たちは、先ず第一に自らが権力者であったら、いつが「目途」であるか自問自答し、少なくとも、その時期までは積極的に菅政権を支えなければならない。これが論理的一貫性というものである。そのうえで、「目途」について調整を図ることだ。