朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

奥びわ湖、観音と薬師の里

2016-03-29 | 国内各地の風物

長浜で1泊して、琵琶湖の湖畔を走りました。

まだ中洲の木々には芽吹きが始まっていません。(3月22日)

ここは水鳥の観察ステーションになっていて、冬にはコハクチョウが渡ってきます。2013年1月に琵琶記のハクチョウを見に来ました:ここ

左に見える三角の小島は、竹生島です。

さらに北に走り「観音と薬師の里」、古橋鶏足寺案内所に向かいました。

”伝来した本尊(十一面観音立像)は、古橋地区にある己高閣(ここうかく)に安置されています。隣接する世代閣(よしろかく)とともに、重要文化財の薬師如来立像、十二神将立像のほか、滋賀県指定文化財をはじめ多くの文化財が保存されています。これらの文化財も地域の住民の手によって守り継がれています。” (引用: http://kitabiwako.jp/spot/spot_970/

ということで、村の人が交代で案内役をしてくれます。

見応えのある観音さま、薬師如来さま、十二神将でした。七仏薬師(7つの薬師像)が並んだ姿にも驚きました。

昔、無人となったお寺に安置されていた仏像が複数盗まれた事件があったとのこと。その仏像はいまだに発見されていません。その後、貴重な文化財でもあり、しっかりした収蔵庫が作られたとのことです。

薬師堂と大日堂の間には、大木がありました。クスノキだったかな?

別の背の高い巨木は、杉の一種ですが、こんな木の実をつけます。まるで松ぼっくりのようです。案内の人が「持って帰っていいよ」といったので、もらってかえりました。

さらに、北に向かって余呉湖(よごのうみ)に行ってみました。

豊臣秀吉が、織田信長の跡目相続の争いで、決定的な勝利を得た「賤ヶ岳の戦い」の古戦場です。農民上がりの秀吉は、それまで譜代の部下がいなかったのですが、この戦いで活躍した七本槍と呼ばれる武将がその後の豊臣政権を支えました。結果的には、後継者選びに失敗して徳川に滅ばされますが。この地が石田三成の出身地であることも何かの因縁ですね。

余呉湖につながる余呉川の河原。

野草化した菜の花が咲き誇っていました。

~~追記~~ FB友人に教えて頂きました

国内初!地方自治体による、「観音」がテーマの都内情報発信拠点 「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」 2016年3月21日(月・祝) 芸術の街 “東京・上野“にオープン

コンセプトは、“東京にある、長浜の観音堂”  “観音の里”長浜市で愛され続ける「観音像」を、2か月交代で展示

 
施設名:びわ湖長浜KANNON HOUSE(びわこながはまかんのんはうす)
所在地:東京都台東区上野2丁目14番27号 上野の森ファーストビル1F
アクセス:京成「京成上野駅」より、徒歩1分
    JR/東京メトロ「上野駅」より、徒歩2分
構成:観音堂(長浜市内の観音像を2か月交代で展示)/ギャラリー
※オープンから2か月間は、聖観音立像(竹生島宝厳寺)を展示予定です。
 
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