朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

海住山寺

2014-05-14 | 京都の文化(春)
木津川市にある古寺の一つ、補陀落山(ふだらくさん)海住山寺(かうじゅうせんじ)に友人と行ってきました。



昨日(5月13日)の朝日新聞記事にこのお寺のことが詳しく掲載されています。「南山城の古寺巡礼」が京都国立博物館で6月15日まで開催されていて、先日見学したのですが、ぜひこのお寺に行ってみたくなりました。


(引用:朝日新聞デジタル

集落の中を非常に狭い道を抜けて山の麓にたどり着くと、そこからは綴織の急坂となります。

午前中だったためか他に参詣者はいません。インターフォンのボタンをおして、本堂を開けて頂きました。


(引用:海住山寺パンフレット)

このパンフレットの右上の十一面観音立像がご本尊で、本堂で拝観することができました。予想以上に大きなお姿です。167.7cm。

京博にお出まししているのは左上の十一面観音で、サイズはもっと小さく45.5cm。普段は奈良国立博物館に預けてあり、10月下旬の特別公開の時にはお帰りになるとのことでした。

四天王立像も現在、京都で展示されています。その造形美は素晴らしく、着色の保存状態もよくてとてもきれいなで像です。



国宝の五重塔。裳階が付いているので、六重に見えます。秋の特別公開ではこの内部も拝観することができます。



この文殊堂は重文です。



周囲の山には新緑の木々に、ところどころ白い泡のようなものが見えました。



拡大すると、白い花が満開です。恐らく、椎ノ木の花のようです。

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2 コメント

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Unknown (山岳修行者@1975)
2014-05-14 18:56:58
海住山寺は、親鸞聖人に縁あるものにとって、重要なお寺だと思います。お寺は、解脱上人(げだつしょうにん)貞慶によって中興され、貞慶は晩年の5年をここで過ごしました。貞慶は「興福寺奏状」の草案を制作し、法然教団への弾圧のきっかけを作った人でした。このお坊さんがいなければ、親鸞聖人の教義が確立しなかったし、今の本願寺教団も発展しなかったと思います。
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山岳修行者@1975さん (geneve)
2014-05-15 10:06:20
そうなんですか。親鸞聖人のご縁につながるお寺だったのですね、弾圧側の発端として。勉強になります、ありがとうございます。
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