朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

シュメル文字

2015-02-02 | もろもろの事
ちょっと仕事の上で必要があって、文字(=情報を表現・記録するための記号)の起源をしらべました。

そこで予備的な勉強をするために、この本を買って読みました。



小林登志子著「シュメル ー 人類最古の文明」(中公新書 1818)2005年発行 中央公論社

なんと、文字が初めて発明されて(記録にあるかぎりでは)使用されたのは,今から5200年前であった証拠があります。さらにその元祖だと推察されるトークン(文様のある小さな塊)や円筒印章(円筒の外側に紋様が刻まれている)はさらに数千年も遡るようです。

メソポタミア(今の中東、イラク、シリア、イランのあたり)シュメル国(シュメール)は、それほど長続きせず周辺の王朝に攻めほろばされてしまうのですが、この王国で確立した楔形文字は他国に広がっていきました。

より広い王国を築いたアッシリアは、シュメル文字を使って自国の言葉を記録したのです。

同様にその後もシュメルの楔形文字は、多少の変形を加えながらも生きながらえました。

地中海の港湾都市、フェニキアで用いられたフェニキア文字は楔形文字の派生ですが、それがギリシャ、ローマに伝わって、現代のラテンアルファべットのABCになっていきました。

エジプトから地中海沿岸、レバノン、イラン、イラクの一帯は、数千年前「肥沃な三日月地帯」(ひよくなみかづきちたい、Fertile Crescent)として、温暖な気候と大きな河川の水利を利用して、麦や豆などを栽培する農業が発達しました。その結果人口が増加し都市が生まれて、古代オリエント文明に発展していきました。

オリエント学が19世紀に欧州でブームとなったのは、旧約聖書に書かれた事象につながる文書や遺跡が続々発見されたことにあります。


(引用:http://www.britishmuseum.org/explore/highlights/highlight_objects/me/t/the_standard_of_ur.aspx)


(引用:http://www.upenn.edu/almanac/volumes/v52/n24/marextras06.html)


シュメル文字は、王政、宗教、行政や商業記録のために共通化していたのですが、各民族の言葉は多様になっていて「バベルの塔」の遺跡も発見されています。

そもそも、そんな古代の文字や文書をどうやって解読することができたのか。その研究過程と成果は全くの驚きです。現代では、シュメル語、アッカド語(これも楔形文字)も読むことができます。
(メモ:ベヒストゥン碑文、イギリス軍武官のヘンリー・ローリンソン)

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