ジェンダーからみるカンボジア

カンボジア社会について、ジェンダー視点から色々な情報をお届けします。

知性溢れる男性(SM4)

2015年10月12日 | CHILDHOOD in KR

 

SF8の夫、現在は賃貸業を営んでいる男性にインタビューしたら、歴史の講義を受けているような専門用語ばかり飛び出して、学生達は目からウロコ。

「小さい時のことを話してください」と切り出すと、「生活面?それとも政治面?」と聞かれ、インタビューの最初の段階ではいろんな質問に、確実な回答ができるように質問がかえってきたりして、とっても論理的な男性。

父親を小さい時に亡くし、母親ときょうだいと助け合って生きて来た。

あまりにも専門用語というか、珍しい歴史用語がたくさんなので、翻訳に苦しむであろうこのグループ・・・・クメールルージュ時代の楽しい思い出は、「食べる時間。とにかく空腹だった」

 


クメールルージュ時代の看護婦(SF8)

2015年10月12日 | CHILDHOOD in KR

 

 

インタビューする人が見つけられなくて、教会で信徒にアタックしてインタビューしていた男子グループに合流。

↓クメールルージュ時代に看護婦として働いていた

教会のミサが終わったところで、外国人宣教師が写真をとりに何度もきたり(外部者、特に袈裟をきた僧侶たちがきたのは珍しいのかな?)、子供達が部屋に乱入したり大騒ぎ。

↓最終日だけ参加した男子学生、よく頑張りました

強制結婚もさせられてるこの女性。「内臓をとって料理してた」話とか、村の病院から都市部の病院に患者を運んだ話とか、なかなか興味深い珍しい話がきけたのである。

 


大金持ちの娘(SF7)

2015年10月12日 | CHILDHOOD in KR

 

ラッキーなことってあって、今回は大金持ちのお嬢さんだった方にもインタビュー。

学生の親友で調査に同行していた女子の叔母。村での調査を終えられなかったチームに、急遽都市部でインタビューしてもらうことになったのだ。

↓シエムリアップで祖父母に育てられた

 

74年にプノンペンに避難していて、クメールルージュに突入してしまった。首都へ逃げるまで両親とは滅多に会わなかったので、親から怒られた記憶はないそう。

 

祖父母にとっても初めての孫娘だったので、とてもかわいがられて育ったそうで、今でもお嬢さんとしか表現のしようがない、とってもとってもチャーミングな女性。

 

 


きれいな女性は連れて行かれると聞いた(SM1)

2015年10月12日 | CHILDHOOD in KR

 

シエムリアップから、男性の調査も自分でとることにした。本当は女性だけを担当する予定だったんだけれど、子ども時代は性犯罪のこととかも、男女ともにあまりわかってなかったりわかてったりするような印象を受けたので、男女比較の視点を入れて分析できるかやってみようと思ったのである。

↓記憶力抜群の男性(SM1)

「いつ頃かしら・・・・わからない」が連発する女性とちがって、この男性は年代がばっちり言える。これってやはり後付けの記憶なんだろうけれど、わたしにとっては目から鱗の経験。6月のプリベインで、「国王陛下がクーデターで・・・」って言ってた高齢の男性のことを思い出したのである。

この男性は、自分の姉2人と兄1人が強制結婚で、姉2人の結婚式は見に行った。母親が強制移住の際に死亡していたので、父親も自分から希望してのクメールルージュに要請を出しての結婚だったのだけれど、父親の結婚式は覚えてないから、行ってないんだろうとのこと。

面白かったのは、彼はクメールルージュ時代に新聞を見たことがあるという。1978年代後半か、1979年前半に、写真ばかりの新聞を見たそう。

72年から75年まで強制移住させられて集団生活していて75年に自分の村に戻ってきてクメールルージュ時代に突入したという話、この男性の話を聞いて初めて理解できたのである。他の女性達は、「あっちにいってこっちにいって」ってかんじで、的を得なかったんだけれど、要は、「ロンノル軍が来る」ということでクメールルージュに強制移住させられてて、しばらく集団生活をして(この期間は学校があったと多くの人たちが証言)、75年にクメールルージュがプノンペンを制覇したので、自分のもといたところに戻ってきたということらしい。複雑だなあ。