今年の桜は、早かった。
しかし、金目観音へ行った3月19日、寺の前を流れる金目川両岸の桜は、まだ、開花していなかった。
金目観音は、坂東三十三観音の第7番札所なので、以前、参詣したことがある。
徳本名号塔が2基、金目観音にあると資料で知り、写真フアイルを探すも、見つからない。
写真を撮るのは、被写体に関心があるからで、徳本行者について全く無知だった8年前の私が徳本名号塔にレンズを向けることがなかったのは、至極、当然のことです。
223cmの自然石の中央に南無阿弥陀仏と刻んだ徳本名号塔は、観音堂の左手、広いコンクリートの台座の上にゆったりと立っています。
その真裏の石柱は、前回紹介した徳本上人百回忌供養塔。
立派な徳本名号塔と百回忌供養塔が、ここ金目観音にあるのは、大会(おおがい)念仏西組の、初め念仏の寺だったからです
持参資料には、寺にお願いすれば、大会念仏の諸道具を見せてもらえる、とある。
社務所でその旨お願いする。
応対してくれたご婦人の答えは、しかし、「道具は、ここにはありません」。
徳本行者座像、六字名号掛け軸。鉦、太鼓などの諸道具は、西組のどこかへ運ばれたまま行方不明だというのです。
それならば、と西組「しまい念仏」の寺、土屋の大乗院へ。
西組は、初大会(はつおおがい)を金目観音で行い、北金目、真田、大根、本町落合など在家の家々を月ごとに回って、1年の最後の「しまい念仏」を大乗院で行った。
大乗院(土屋)
戦前には、200名を超える講員がいたが、今はほぼ絶滅。
大乗院だけで、細々と念仏をあげるだけになっています。
お彼岸で多忙な住職に訪問の意図を告げると、諸道具は保管してあるとの返事。
快く見せてくれた。
真新しい本堂の左廊下の突き当りに、徳本行者が座しておわします。
天蓋に隠れてお顔は見えにくい。
住職が抱えてきた箱には、掛け軸が何本か入っている。
50代位だろうか、住職が、その意味をご存じない掛け軸もある。
大会念仏も年に1回、本堂でささやかに行うだけで、最盛期のことは知らないという。
徳本行者を描いた絵のある掛け軸もある。
これは、大会念仏の幟。
「大正拾五寅年吉日 中郡西組講中」とある。
十三仏の掛け軸も。
「道具は行方不明」と金目観音のご婦人が云った、その道具一式がこれ。
はじめ念仏の寺が、しまい念仏の寺に電話一本かけさえすれば、道具のありかは確かめられたのに。
それさえもなされなかったというのは、大会念仏は無関心のまま放置されて、すっかり過去の遺物となってしまった、とことになります。
≪続く≫