石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

137 文京区の石碑-4-礫川公園と諸工伝習所跡記念碑

2019-01-20 15:01:22 | 石碑

東京に70年いるのだが、礫川公園は初めて。

 公園入口とは反対側からの写真。左のビルが文京区役所。下記の2本の木は、写真では右側にある。

公園の北側は、小石川2丁目。

「礫川」は、「小石川」の意だから「小石川公園」であってもいい。

道路の向こう、東側に文京区役所がそびえている。

公園の左手に2本の樹木が枝を伸ばしていて、それぞれに説明板がある。

左の木は、はぜの木で、向ヶ丘のサトウハチロー家の庭にあった。

童謡「小さい秋みつけた」は、この木を眺めて作詞されたという。

 

私が訪れたのは、11月初旬のことで、まだ紅葉には早かったのが、心残り。

右の木は、ハンカチの木で、作家幸田文の家にあったものという。

 

由緒のある樹木を公園に移して保存する、区役所仕事としては粋な計らいではないかと感心するのです。

公園の出口、春日通りに面して立っているのは、春日局像。

像がピカピカで真新しいのは、平成9年に造立されたばかりだから。

NHKの大河ドラマ「春日局」放映を記念してのものという。

ここは「春日1丁目」で、前を走る道は、春日通り。

銅像設立場所としてこれ以上の適地はないでしょう。

石碑の上部に刻された和歌は、彼女辞世の歌。

 

西に入る 月をいざない 法を得て
今日ぞ 火宅を のがれぬるかな

(西の方へ没してゆく月を心にとどめ 仏の道に入って 今日こそ 煩悩の多いこの世からのがれることができる)

礫川公園は段丘の突端で、入口から坂や階段を上ってゆくようになっている。

石段を上がるとその奥が、都戦没者霊苑。

霊苑の仕切りに沿って南へ行くと、片隅にひっそりとたたずむのは、「諸工伝習所記念碑」。

◇諸工伝習所跡記念碑

「伝習所」という表記が物語っているが、これは、明治初め、この地に設けられた陸軍の兵器製造技術教育の跡地。

後に陸軍砲兵工廠となります。

砲兵工廠の敷地は、元の水戸藩の屋敷跡。

現在の東京ドーム、小石川庭園、文京区役所、礫川公園、都戦没者霊苑、中央大学を含む広大な軍用地でした。

 

ところが関東大震災で壊滅的打撃を受け、九州小倉へ移転を余儀なくされます。

碑は、幾何学模様の組み合わせ、兵器製造の教育機関らしい趣向に満ちています。

碑文は、左に「諸工伝習所跡記念碑」、右に「陸軍砲兵工科学校、陸軍校歌学校跡」とあります。

碑裏の碑文は、

ここは近代陸軍技術教育発祥の地である
明治五年七月十五日政府は佛国砲兵大尉ジョルジュ・ルポン氏を招聘しここに諸工伝習所を創立してから第二次大戦終結までその名は陸軍砲兵工科学校 陸軍工科学校 陸軍兵器学校とかわったが七十三年たゆることなく陸軍技術の教育がつづけられた
本年は諸工伝習所創立百周年に当たるものでその教育を受けた有志がここに碑を建て先達の歩みに思いをいたすものである
        昭和四十七年七月十五日 諸侯伝習所跡記念碑建設委員会