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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・4/39

2025-06-13 | 先祖供養

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・4/39

四和州岡寺丈六如意輪観世音

大和國高市郡東光山龍蓋寺真珠院は俗に岡本寺と云ふ(拾芥抄)。舒明天皇の皇居岡本の宮の地なるが故にかくぞ云ふなめり。即ち天智天皇の御願、義淵僧正の開基なり。義淵姓は阿氏和州高市郡の人なり。其の父、子なかりし故に観音の形像に祈りければ、或夜児の泣く聲を聞て出て見れば柴垣の上に何やらん一包ありて妙なる香気芬々たり。開きて見れば小児なり。父母悦んで是なん観音の給はりし子なりと取りて養ふに、程なく成長せり。天智天皇聞こしめして皇子と同じく崗本の宮にて養育し玉へり。後に出家して智鳳(飛鳥時代から奈良時代の新羅僧。703年(大宝3年)に入唐、法相宗を学んだ。奈良法興寺に住して法相宗を広め、日本における法相宗の第3伝とされる。706年(慶雲3年)藤原不比等が維摩会を復興した折にはその講師をつとめた。弟子に義淵。)に随って唯識宗(法相宗)を学び又入唐して智周法師(唐僧。中国法相宗第三祖)に随って法相宗の奥義を極む。智周は即ち慈恩大師の高足なり。帰朝して盛んに法相宗を弘め玉ふ。行基菩薩・道慈(三論宗。入唐して三論と密教を学び、大和の大安寺に住す)・玄昉・良辨・宣教(法相宗の義淵七高足の1人)・隆尊(義淵七高足の1人)等は皆義淵僧正の弟子なり。龍蓋寺龍門寺(吉野にあった廃寺。今昔物語の久米仙人話に出てくる)龍福寺(弘法大師が再興されたが明治の廃佛毀釈で廃寺。その跡地天理市滝本町には現在大親寺が建てられている)ま皆義淵の開基なり。大宝三年(703年)に僧正となり神亀五年(728年)十月に掩化し玉ふに葬送の儀まで皆天子より営み玉ふといへり。本尊如意輪は本一搩手半(いっちゃくしゅはん。36㎝。念持仏など、小型の像の基準法量として用いられた)の六臂の小像にして弓削道鏡の造立たり。後に弘法大師三国の土を以て丈六(約5メートル)二臂の大像を造り小像を像の胸に納め玉ふとかや。御堂は孝謙天皇の勅願なり。今に寺領二十石(約六百万円か)あり。建立より一千年にもならんが終に炎上なしといへり。此の寺は三十三所の第七番なり(今も西国第七番は岡寺 (龍蓋寺))第八番は長谷寺なり。霊験ことに多ければ末の二巻に詳しく記す。南円堂より以後を此の巻に記するなり。三十三所の次第は走卒(下僕)児童も諳んじたることなり。一には那智山、二には紀三井寺,三には粉河寺、四には槇尾山寺、五には藤井寺、六には壺坂、七には岡寺なり。

 

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