真言教誠義・・21
密蔵沙門周海.
(六波羅蜜のうち,つぎは精進波羅蜜)
菩薩は常に勤行する正念のやまざれば、怠惰懈怠不善の煩悩の心を退治して常香の絶えざるが如く漸次に煩悩の糠を精げて浅より深に至る。これを精進という。
善行を懈怠する心は煩悩なり。悪行を懈怠するこころは善行を精進する心なれば煩悩にあらず。無明煩悩の父母がつくりなせる凡夫なれば博奕等の悪事をなすは面白き故に退屈おこらざれども光明真言等を唱ふるの善事は退屈の煩悩がおこりて懈怠して精進修行せざるなり。・・すでに人間の善悪を分別する生を受けたるからはせめて春秋の彼岸には真言の教えを聴聞すべし。来世のことを思わずして父母と我と妻子等の現在の身命を養うのみははかなきことなり。このごときを古は蓄養すなどといふなり。
密蔵沙門周海.
(六波羅蜜のうち,つぎは精進波羅蜜)
菩薩は常に勤行する正念のやまざれば、怠惰懈怠不善の煩悩の心を退治して常香の絶えざるが如く漸次に煩悩の糠を精げて浅より深に至る。これを精進という。
善行を懈怠する心は煩悩なり。悪行を懈怠するこころは善行を精進する心なれば煩悩にあらず。無明煩悩の父母がつくりなせる凡夫なれば博奕等の悪事をなすは面白き故に退屈おこらざれども光明真言等を唱ふるの善事は退屈の煩悩がおこりて懈怠して精進修行せざるなり。・・すでに人間の善悪を分別する生を受けたるからはせめて春秋の彼岸には真言の教えを聴聞すべし。来世のことを思わずして父母と我と妻子等の現在の身命を養うのみははかなきことなり。このごときを古は蓄養すなどといふなり。