お釈迦様の前世の捨身はあったということ・・その1、截頭施人の話。
法顕傳には四大塔として・タキシラ(中国語で截頭の意)国の『截頭施人塔』と・『投身餧餓虎塔』、・スハタ国の『割肉貿鳩塔』、・ガンダーラ国の『捨眼塔』を挙げています。
截頭施人塔の実在に関しては、実際に有った話として法顕傳・大唐西域記に截頭の地名と塔があったことが出ています。法顕傳には「ここ(ガンダーラ国)から東行すること7日、一つの国があり、タキシラ(竺刹尸羅・咀尸羅国・特叉始羅国)国という。タキシラとは中国語で截頭の意である。仏が菩薩だった時、ここで頭を人に施したので、このように名づけている)」とあります。
宋雲行紀(6世紀)にも「ここ(ガンダーラ国)から西行すること五日で如来が頭を捨てて人に施した処(タキシラ國)に至った。ここにもまた塔と寺があり二十人余りの僧が住んでいた。」とあり、
又大唐西域記にも「斯の勝地也。是は如來昔し在して菩薩行を修し大國王となり、戰達羅鉢剌婆(ちゃんどらぷらば、唐言で月光)と称せしとき、菩提を求めて斷頭惠施せり。此の捨をなして凡そ千生を歴られたところ。捨頭窣堵波の側に僧伽藍あり。庭宇荒涼僧徒減なり。」とあります。
賢愚経巻第六・ 月光王頭施品第三十には、お釈迦様が涅槃に入られるとき先に舎利弗が涅槃に入った因縁を阿難がきいたのに対し、お釈迦様が過去世においてお釈迦様が月光王であり婆羅門に頭を施した時、臣下の大臣であった舎利弗が悲しんで先に死んでしまった因縁に依ると説かれています。
以下お経と注記です。
賢愚経巻第六・ 月光王頭施品第三十
如是我聞。一時佛在毘舍離菴羅樹園中。爾時世尊、賢者阿難に告げたまふ。「其の四神足(注2)を得る者は能く壽に住すること一劫。吾、四神足を極めて能善く修す。如来は今者當に壽は幾許ぞや」と。如是にして三にいたる時、阿難は魔の為めに迷はされて世尊の教を聞き黙然としてこたえず。又、阿難に告げ給ふやう「汝、起ち去りて静処に思惟すべし」と。賢者阿難は坐より起き、林中にいたる。阿難去って後に、時に魔波旬(欲界第六天の魔王)、佛所に來至して佛に白して言さく、「世尊よ、世に處して教化すること已に久し。人を度すること周く訖り生死を脱することを蒙らしむること数恒沙の如し。時に又年老い給へり。涅槃に入り給ふべし」と。時に世尊、地の少土を取り爪上に着けて魔に告げて言く「地の土多しと為すや、爪の上多しとなすや」と。魔、仏に答へて言く「地の土極めて多く爪の上の土に非ざるなり」と。仏、又告げて言く「度する所の衆生は爪の上の土の如く、余残の未だ度せざるものは大地の土の如し」と。又魔に告げて言く「却後三月当に般涅槃すべし」と。時に波旬、是の説を聞きおわって歡喜して去る。爾時阿難、林中に坐し忽然として眠睡す。夢に大樹虚空に普覆し枝葉蓊欝し茂りて盛なり、一切の群萠、頼せざるは靡し。其の樹の功徳種々奇妙にしてあげて数ふ可からず。旋風卒に起り其の樹を激しく吹きて枝葉破砕すること猶微塵の如し。力士所住の地を滅す。一切の群生悲悼せざるは莫しと見る。阿難、驚覚し怖れて自ら寧むぜず。又自ら思惟す「夢みる所の樹は殊妙にして量り難し、一切天下咸な其の恩に頼る。何の縁にて風に遇ひ砕壊すること是の如きや、而して今、世尊は一切を覆育すること猶大樹の如し。世尊の般涅槃を欲すること無らむとするや」と。是の念を作し已り甚だ用つて戦懼し仏の所に来至し、仏の為めに礼を作す。而して仏に白して言さく「我、向に夢る所の斯の如きの事、将に世尊般涅槃を欲すること無からむとするや」と。仏、阿難に告げ給ふやう「汝言ふ所の如く吾、後三月当に般涅槃すべし。我向に汝に問ふ、若し四神足を得る者有らば能く寿に住すること一劫なり。吾、四神足あり、極めて能く善く修む。如来、今日能く寿幾何くばくなりやと是の如く三たび満ちて而も汝は対へず。汝去るの後、魔来りて我に涅槃を取ることを勧む。吾、已に之を許せり」と。阿難、之を聞き、悲慟・迷荒・悶悩・惘塞し自ら持すること能はず。其の諸の弟子、展転相ひ語り各悲悼を懐き来りて仏の所に至る。爾時、世尊、阿難及び諸の弟子に告げ給ふやう「一切は無常なり、誰か常存を得む。我、汝等の為めに作す応きは已に作せり。説く応きは已に説けり、汝等、但懃精し修習すべし。何ぞ憂慼を為さん。補ひ無く行無むや」と。時に舎利弗、世尊の般涅槃し給ふべきを聞き深く歎感を懐き、因て説いて曰く「如来の涅槃一に何ぞ疾き耶、世間の眼滅す。永く恃怙を失ふ」と。又、仏に白して言く「我、今、世尊の減度を取り給ふを見るを忍びず。今、前に在りて涅槃に入らむと欲す。唯、願くば世尊よ、聴許し給へ」と。如是三たびに至る。世尊告げて曰く「宜しく是の時を知るべし、一切の賢聖皆当に寂滅すべし」と。時に舎利弗、仏の可を得已り、即ち衣服を整へ長脆し膝行し、仏を遶ること百匝、仏前に来至し若干の偈を以て仏を讃嘆し已る。仏の両足を捉へ頂上に敬戴す。是の如きこと三を満し合掌して仏に侍る。困しみて言ふて曰く「我、今最後に世尊を見る」と。叉手し敬粛し却行して去る。沙弥、均堤を将ゐ羅悦祇(王舎城のこと)に詣り本生地に至る。到り已り即ち沙弥均堤に勅すらく「汝、往きて城に入り及び聚楽に至り国王・大臣・旧故の知識、諸の檀越の輩に来つて共に別を取れと告げよ」と。爾の時、均堤、師の足を礼し已り遍く行きて宣告す。我が和上・舎利弗、今来りて此に在り般涅槃を欲せり、諸の見むと欲する者は宜しく時に行くべし」と。爾の時、阿闍世王及び国の豪賢の檀越の四輩は均堤の語を聞き皆惨悼を懐き、異口同音に是の語を説くやう「尊者舎利弗は、法の大将なり衆生類の信仰する所なり。今般涅槃を仰ぐ、一に何ぞ疾き哉。各自馳奔し其の所に来至り。前みて為めに礼を作し問訊し已竟る。承り聞く「尊者、身命を捨て涅槃に至らむと欲すと。我曹之等、恃怙を失ふ」と。時に舎利弗、衆人に告げて言く「一切は無常なり。生者は皆終る。三界は皆苦。誰か安を得る者ぞ。汝等宿慶なり、生れて仏の世に値ひぬ。経法聞き難く人臣得ること難し、福業を念懃し生死を求めて度せよ」と。是の如く種々若干に方便して広く諸人の為めに病に随ひ薬を投ぜり。爾の時、衆會其の説く所を聞き初果乃至三果を得る有り。或は出家し阿羅漢を成ずる者有り、復、心に誓って仏道を求むる者有り、説法を聞き已り礼を作して去れり。時に舎利弗、其の後夜に於て身を正しくし意を正しくし心を繋けて前に在らしめ、前みて初禅に入る。初禅より起ちて第二禅に入り、第二禅より起ちて第三禅に入り、第三禅より起ちて第四禅に入る。第四禅より起ちて空処定に入り空処より起ちて識処に入り、識処より起ちて不用処に入り、不用処より起ちて非有想非無想処に入り、非有想非無想処より起ちて滅尽定に入り、滅尽定より起ちて般涅槃せり。時に天帝釈、舎利弗の已に滅度を取るを知り、多くの天衆百千の眷属と与に各華香供養の具を齎し来りて其の所に至る(仏伝・中村元のお釈迦様の涅槃の様もこれと同じような瞑想段階の場面が出てきます)。側に虚空を塞ぎ咸各悲叫す。涙盛なること雨の如し。普く諸の華を散じ積りて膝に至る。復、各言ひて曰く「尊者の智慧は巨海の若く、捷弁機に応ず。音は涌泉の若く、戒・定・慧を具ふる法の大将軍なり。当に如来を逐ひ広く法輪を転ずべし。其の涅槃を取ることの何ぞ其速なる哉」と。城・|聚の内外、舎利弗已に滅度を取るを聞き悉く酥油、香華供倶を齎らし馳走し悉く集まり、悲哀痛恋し自ら勝ふる能はず。各香華を持て供養す。時に天・帝釈、毘首羯磨(世界創造神)に勅し衆宝を合集し高車を荘厳し舎利弗を安んじ高車の上に在り。諸天・龍・鬼・国王・臣民侍し送り号咷し、平博の地に至る。時に天帝釈、諸の夜叉に「大海に往き牛頭栴檀(牛頭山栴檀香)を取れよ」と。勅す。夜叉教を受け尋いで取り還る。積みて大𧂐と為し、身を安んじ上に在き、酥油を以て灌ぎ、火を放ち耶旬(荼毘)し礼を作し供養し各自ら還り去る。火滅するの後、沙弥均堤は舎利を収め鉢の中に盛着り其の三衣を摂め、担ひて仏の所に至り、仏の為めに礼を作し長跪して仏に白さく「我が和上舎利弗、已に般涅槃せり。此は是れ舎利、此は是れ衣鉢なり」と。時に賢者阿難、是の語を説くを聞き悲悼憒悶し、ますます感切を増せり。而して仏に白て言さく「今は此の尊者、法の大将軍、已に滅度を取る。我、何にか憑怙せん」と。仏、之に告げて曰く「此の舎利弗、復た滅度すと雖も其の戒・定・慧・解脱・解脱知見(注3)、是の如き法身は亦滅せざるなり。又、舎利弗は但、今日のみ我が般涅槃を取るを見るに忍びずして先に滅度せしにあらず。過去世の時も亦我が死を見るに堪忍えずして我に先ち前に死せり」と。賢者阿難、合掌し仏に白さく「不審なり世尊よ、往古、先前に死を取る。其の事云何、願くば為に解説せよ」と。仏、阿難に告げ給ふやう「過去久遠無量無数不可思議阿僧祇劫に此の閻浮堤に一大国王有り旃陀婆羅脾と名づく。晋に月光と言ふ。閻浮堤の八万四千国、六万の山川八十億の聚落を統ぶ。王に、二万の夫人・婇女有り、其の第一の夫人を須摩檀、晋に花施、と云ひ一万の大臣ありて其の第一を摩旃陀と名づく。晋に大月と言ふ。王に五百の太子有り、其の最大の太子名を尸羅跋陀、晋に戒賢と言ふ。王住する所の城を跋陀耆婆と名づく。晋に賢寿と言ふ。其の城、縦広四百由旬、金・銀・琉璃・頗梨(水晶)の成ずる所なり。四辺に凡そ百二十門有り、街陌・里巷斉整相当す。又其の国中に四行樹有り、又、金・銀・琉璃・頗梨の成ずる所なり、或は金枝銀葉、或は銀枝金葉、或は琉璃枝頗梨葉、或は頗梨枝琉璃葉なり。諸の宝池有り、又、金・銀・琉璃・頗梨の成ずる所なり。其の池の底の沙も亦是れ四宝なり。其の王の内宮の周四十里、純ら金・銀・琉璃・頗梨を以てす。其の国豊潤なり。人民快楽し珍奇異妙称て計ふ可らず。爾の時、其の王、正殿に坐し忽ち此の念を生ず「夫れ人の世に処し尊栄豪貴にして天下敬瞻し言を発すること違ふこと無く、珍妙の五欲意に応じ至るところの斯の果報は皆積徳修福の致す所に由る。譬へば農夫の春に広く種え秋夏豊収するが如し。春時復到り若し勤めて種ずんば秋夏何をか望まむ。吾今、是の如く先の修福に由りて今の妙果を獲たり。今、復種えずんば後亦望み無し」と。是の念を作し已り、諸の群臣に告ぐやう「今我、珍妙宝蔵を出し諸の城門に置き及び市中に着け大檀施を設けむ。其の衆生の一切、須ふる所に随つて尽く之を給与せむと欲す。幷びに復八万四千の諸小国土に告下し悉く蔵を開き一切を給施せしめむ」と。衆臣、曰く「善し」と。敬ひて王の教の如くす。即ち金幢を竪て金鼓を撃ち広く布き令を宣べ王の慈詔を謄し遠近内外をして咸聞き知らしむ。時に国中の沙門・婆羅門・貧窮の孤老、乏短有る者、強弱相ひ扶け雲と起り雨と集る。衣を須ふれば衣を与へ食を須ふれば食を与ふ。金・銀・宝物・病に随ふ医薬一切の須ふる所意に称ひ之を与ふ。閻浮堤の内一切の臣民王の恩沢を蒙り快楽極り無く歌頌讃嘆衢路に盈ち、善名遐に宣べ四方に流布して欽仰せざるは無く、王の恩化を慕ふ。
時に邊表に一つの小国有り、王の名を毘摩斯那と曰ふ。月光王の美称高大なるを聞き心に嫉妬を懐き寝ねて席安からず。即ち自ら思惟す「月光を除かずむば我が名出でず。当に方便を設け諸の道士を請じ諸人を募求し用つて斯の事を弁ずべし」と。是を思惟し已り即ち勅して国内の梵士を請喚し餚饍百味の飲食を供養し恭敬奉事せり。其の意を失せず三月を経已れり。諸の梵志に告ぐるやう「我、今憂有り我が心に纏綿す。夙夜反側す。何ぞ方に能く釈かむ。汝の曹道士是れ我が奉ずる所なり、当に方便を思ひ我を佐け除滅すべし」と。諸の婆羅門共に王に白して言く「王よ、何の憂有りや、当に示し語らるべし」と。王、即ち言ひて曰く「彼の月光王の明徳遠く着き四遠風を承く。但、我れ独り卑陋にして此の美称無し、情志の願ふ所は之を除くことを得むと欲するなり。何の方便を作し能く此の事を弁ぜんか」と。諸の婆羅門、是の語を説くを聞き各自ら言ひて曰く「彼の月光王、慈恩恵沢潤一切に及び窮厄を悲済すること民の父母の如し。我等何の心にて此の悪謀に従はむ。寧ろ自ら身を殺さむ。此を為すこと能はず」と。即ち各罷めて散ぜり。毘摩斯那、益増す愁憒す。即ち出でゝ広く募り周遍して令を宣べぬ。「誰か能く我が為に月光王の頭を得るものぞ、共に国を半に分ちて治め、女を以て之に妻せむ」と。爾の時、山の脇に婆羅門有り、名を労度差と曰ふ。王の宣令を聞き来りて王の募に応ず。王、甚だ歓喜し重ねて之に語りて言く「苟くも能く成弁せば信誓を違へず。若し能く去らば当に何の日を以てすべきや」と。婆羅門曰く「我が行道の糧食須ふる所を弁じ却後七日便ち発引すべし」と。時に婆羅門、作呪自護し七日已に満たり。便ち王に来辞す。王、須ふる所を供給し路を進みて去る。
時に月光王国に予て種々の變怪興現す、地處處裂抴し電星落ち、陰霧晝昏、雷電霹靂、諸の飛鳥の輩は虚空の中に於て悲鳴感切し自ら羽翼を抜く。虎・豹・豺・狼の禽獣の屬は自投自擲跳踉鳴叫す。八万四千の諸小国王は皆大王の金幢卒折れ、金鼓卒に裂くと夢み、大月大臣は鬼、王の金冠を奪ふと夢み、各愁憂を懐き自ら寧むずること能はず。
時に城門の神、婆羅門の王の頭を乞ふと欲するを知り亦用つて憒遮して入るを聴さず。時に婆羅門城門を遶ること数匝にして前むを得ること能はず。首陀会天(浄居天)、月光王の此の頭施は檀に於て満すを得と知り、便ち夢の中に於て王に語りて言く「汝、誓つて布施し、衆心に逆はざれ、乞者門に在り、前むを得るに由し無し。施主為るを欲するも事然らざる所なり」と。王、覚めて愕然たり。即ち大月大臣に勅すらく「汝、諸門に往き勅して人を遮ること勿らしめよ」と。大月大臣、城門に往到る。時に城門の神、即ち自ら形を現じ大月に白して言さく「婆羅門有り他国より来り悪心を懐き挟さみ王の頭を乞はむと欲す。是を以て聴さず」と。大臣、答えて言く「若し此の事有らば是れ大災と為す。然るに王の教有り、理として違ふことを得ず当に是を奈何がすべき」と。
時に城門神、便ち休み遮らず。大月大臣、即ち自ら思惟す「若し此の婆羅門必ず王の頭を乞はゞ当に七寳頭を作ること各五百枚用つて之と貿易すべし」と。即ち勅して作らしむ。時に婆羅門、往きて殿前に至り高声に唱へて言く「我、遐方に在り、王は功徳一切布施し人の意に逆はざるを聞き、故に遠来より渉す。得る所有らむと欲す」と。王、聞き歓喜んで迎へて為に禮を作し問訊す、「行道疲極せざる耶、汝の願ふ所に随ひ国・城・妻子・珍宝・車乗・輦輿・象馬・七宝・・僕使、所有得んと欲するもの皆之を与ふべし」と。婆羅門言く「一切の外物を用つて布施すと雖も福徳の報は未だ弘広為らず、身肉の布施其の福乃ち妙なり。我故に遠来す。王の頭を得むと欲す、若し辜逆せずむば当に施与せらるべし」と。王、是の語を聞き踊躍量り無し。婆羅門言はく「若し我に頭を施さば何時与ふべきや」と。王、言く「却後七日当に汝に頭を与ふべし」と。爾の時、大月大臣七宝の頭を擔来し用ひて暁謝し腹を其の前に拍ち婆羅門に語りて言く「此の王の頭は骨肉の血と合して不浄の物なり、何を用つて此を索むるや。今、持ち来れる爾所の七宝頭以用つて貿易せむ。汝、之を取る可し、転易終身の富を得るに足らむ」と。
婆羅門言く「我れ、此を用ひず。王の頭を得て我が所志に合せむと欲す」と。時に大月大臣、種々諌曉すと雖も永く迴転せず。即時、憤感し心七分に裂け王の前に死す。時に其の王、臣下に勅語し八千里を象に乗り遍く諸国に告げて言はしむ「月光王、却後七日当に其の頭を持つて婆羅門に施すべし。若し来らむと欲せば速時に馳せ詣れ」と。爾の時、八万四千の諸王絡繹として至る。咸な大王に見え腹を王の前にて拍ち「閻浮堤の人みな王の恩沢に頼り各豊楽を得歓娯して患無し、云何んが一旦一人の為めの故に永く衆庶を捨てゝ更に矜憐せざるや。唯、願くば愍を垂れ頭を以て施す莫れ」と。一万の大臣皆身を地に投じ腹を王の前に拍ち「唯、我等を哀愍矜恤し頭を以て施し長く棄捐せらるゝこと莫れ」と。二万の夫人、亦身を地に投じ仰ぎて王に白して言さく「忘捨せらるゝこと莫れ、唯、陰覆を垂れよ、若し頭を以て施さば我等何をか恬まむ」と。五百の太子、王の前に啼哭す、「我等、孩幼なり何の所にか帰すべき。願くば愍念せられよ。頭を以て施すこと莫れ、我等を長養し人倫に及ぶを見よ」と。是に於て大王、諸の臣民、夫人、太子に告ぐるやう「我、本より計るに身を受けて已来、生死に渉歴し由来長く久し。若し地獄に在らば一日の中生れて輒ち死す。身を棄つること無数なり。灰河・鉄床・沸屎・火車・炭坑及び余の地獄を経歴す。是の如き等の身焼き、刺し、煮、炙り捨てゝ復棄つ。永く福報無し。若し畜生に在らば更に相ひ食噉し或は人に殺され身を衆口に供し、破壊、消爛す、亦復無数なり。空しく此の身を棄てゝ、亦福報無し。或は餓鬼に堕さば火身より出づ。或は飛輪有り来りて其の頭を截る。断ちて復生れ是の如く無数なり。是の如く身を殺し亦福報無し。若し人間に生るれば財色を諍ひ目を瞋らし怒り盛んなり。共に相ひ殺害す。或は軍を興し対陣し更に相ひ斫截す。是の如く身を殺すこと亦復無数なり。貪・恚・痴の為めに恒に多身を殺し未だ曾て福を為さず。而して此の命を捨つ。今我が此の身種々不浄なり。捐捨すべきに会ふ。久しく得ること能はず。此の危脆穢悪の頭を捨て用つて大利と貿ふ。何ぞ与へざるを得むや。我此の頭を持ち婆羅門に施さむ。是の功徳を持つて誓つて仏道を求めむ。若し仏道を成ぜば功徳具足せむ。当に方便を以て汝等の苦を度すべし。今、我、施心成満を欲すに垂むとす。慎みて我の無常道意を遮ること莫れ」と。一切の諸王・臣民・夫人・太子王の語を聞き已りて黙然として言無し。
爾の時、大王、婆羅門に語るやう「頭を取らむと欲せば今正に是の時なり」と。婆羅門言く「今、王の臣民大衆囲遶す。我、独り一身にて、力勢単弱なり、此の中にて王の頭を斫るに堪えず。我に与へむと欲せば後園に至るべし」と。爾の時、大王、諸の小王・太子・臣民に告ぐるやう「汝等若し苟も我を愛敬せば慎しみて此の婆羅門を傷害すること莫れ」と。此の語を作し已り婆羅門と共に後園に入る。時に婆羅門、又王に語りて言く「汝の身、盛壮にして力士の力あり。若し斫りて痛みに遭はば儻復還び悔まん。汝の頭髪を取り堅く樹に繋在げ。爾ば乃ち然る後に能く斫り取る耳」と。時に王この語を用つて一つの荘樹の枝葉欝茂するを求め堅固に繋けむと欲す。樹に向つて長跪し髪を以つて樹に繋け、婆羅門に語るやう「汝、我が頭を斫り我が手の中に堕せよ。後に我が手の中に於て取り去れ、今、我れ頭を以て汝に施さむ。是の功徳を持ち魔・梵・及び天帝釈、転輪聖王の三界の楽みを求めず。用つて無上正真の道を求む。誓つて群生を済ひ涅槃の楽に至らむ」。時に婆羅門、手を挙げ斫らむと欲すに樹神此を見て甚だ大いに懊悩して「此の如きの人を云何が殺さむと欲するや」として即ち手を以て婆羅門の耳を搏つ。其の項反り向き手脚繚戻し刀を失し地に在り、動揺すこと能はず。爾の時、大王、即ち樹神に語るやう「我、過去已来、此の樹下に於て曾て九百九十九頭を以用つて布施せり。今、此の頭を施せば便ち千に満つべし。此の頭を捨て已りなば檀は便ち満ち具はる。汝、我が無上道心を遮ること莫れ」と。爾の時、樹神、王の是の語を聞き還び婆羅門をして平復し故の如くならしむ。時に婆羅門、便ち地より起ち還び更に刀を取り便ち王の頭を斫る。頭手の中に堕つ。爾の時天地六反震動し、諸天の宮殿搖動して安すからず各の恐怖を懐き夫の所以を怪しみ、尋いで菩薩が一切の為めの故に頭を捨て布施するを見たり。皆悉く来り下り其の奇特を感じ、悲涙雨の如し。因つて共に讃じて言く「月光大王、頭を以て布施せり。檀波羅蜜に於て今便ち満すを得たり」と。是の時の音声天下に普遍せり。彼の毘摩羨王、此の語を聞き已り喜踊驚愕し心擗裂けて死せり。時に婆羅門、王の頭を担ひ去れり。諸王・臣民・夫人・太子、已に王頭を見て自ら地に投じ同声にて悲叫し絶えて復甦へる。或は悲結し血を吐きて死する者有り、或は愕いて住し識る所無き者有り、或は自ら其の頭髪を剪抜く者、或は復其の衣裳を爴裂く者、或は両手にて面を爴裂する者有り。啼哭し縦横に地に宛転《えんでん》す。時に婆羅門、王の頭臭きを嫌ひ即便ち地に擲《なげう》ち脚蹋《ふみにじ》り去る、或は復人有り婆羅門に語るやう「汝は之れ酷毒・劇甚乃ち爾る。既に用ふるに中らざれば何ぞ乃ち之を索むるや」と。時に婆羅門道を進みて去る。
人、見れば便ち責め食を給する者無し。飢餓委に悴れ困苦すること極めて理りなり。道中に人有り。因つて消息を問ひ、毘摩羨王、已に復命終するを知り望む所を失ひ懊悩し憒憒し心七分に裂け血を吐きて死せり。毘摩羨王(月光王の首を命じた王)及び労度差(月光王の首を切った婆羅門)命終し皆な阿鼻泥犁(阿鼻地獄)に堕す。其の余の臣民王恩を思念ひ死を感結する者皆生天を得たり』と。
是の如く阿難よ、爾の時の月光王を知らむと欲せば今我が身是れなり。毘摩羨王とは今の波旬(魔王波旬・他化自在天)是なり。時の労度差婆羅門とは今の調達(提婆達多)是れなり。時の樹神とは今の目連是れなり。時の大月大臣とは今の舎利弗是れなり。爾の時に当り我が死を見るに忍びずして我に先ち前に死せり」と。
仏、是を説き已り賢者阿難及び諸の弟子仏の説き給ふ所を聞き悲喜交懐、異口同音に咸共に嗟嘆す。如来の功徳奇特の行咸共に専修し四道果を得る者有り、無上正真道意を発す者有り。皆大いに歓喜敬戴奉行せり。
(注1、タキシラは竺刹尸羅・咀尸羅国・特叉始羅国とも書き、西パキスタンのラワルピンティの西北約30㎞のタキシラを指す。タキシラ、竺刹尸羅はともにサンスクリットの截頭(せつとう)の訛(なまり)という。古代から西北インドの要衝で、前5世紀~5世紀頃まで栄え、1913年以来22年にわたって行われた発掘により、ギリシャ文化や仏教文化の交流が明らかになった。
大唐西域記にも「城北十二三里有窣堵波。無憂王之建也。或至齋日時放光明。神花天樂頗有見聞。聞諸先志曰。近くに婦人あり、身に惡癩を嬰じ、竊に窣堵波に至りて躬を責め禮懺す。其の庭に諸糞穢有るを見て、灑掃掬除し塗香散華し青蓮を採り其地に重布れば惡疾除愈し形貌増す妍なり。身に名香を出し青蓮と同馥なり。斯の勝地也。是は如來昔し在して菩薩行を修し大國王となり、戰達羅鉢剌婆(ちゃんどらぷらば、唐言で月光)と称せしとき、菩提を求めて斷頭惠施せり。此の捨をなして凡そ千生を歴られたところ。捨頭窣堵波の側に僧伽藍あり。庭宇荒涼僧徒減なり。」
(注2、神通力を生じる足となる四つの定、①欲三摩地断行成就神足・意志によって種々の神通力を生じさせる三昧。②勤三摩地断行成就神足・精進によって種々の神通力を生じさせる三昧。③心三摩地断行成就神足・心によって種々の神通力を生じさせる三昧。④観三摩地断行成就神足・観想によって種々の神通力を生じさせる三昧)
(注3、戒・定・慧・解脱・解脱知見とは、戒律をたもち、禅定に入り、智慧を磨き、解脱し、解脱していることを自分で知覚すること)
法顕傳には四大塔として・タキシラ(中国語で截頭の意)国の『截頭施人塔』と・『投身餧餓虎塔』、・スハタ国の『割肉貿鳩塔』、・ガンダーラ国の『捨眼塔』を挙げています。
截頭施人塔の実在に関しては、実際に有った話として法顕傳・大唐西域記に截頭の地名と塔があったことが出ています。法顕傳には「ここ(ガンダーラ国)から東行すること7日、一つの国があり、タキシラ(竺刹尸羅・咀尸羅国・特叉始羅国)国という。タキシラとは中国語で截頭の意である。仏が菩薩だった時、ここで頭を人に施したので、このように名づけている)」とあります。
宋雲行紀(6世紀)にも「ここ(ガンダーラ国)から西行すること五日で如来が頭を捨てて人に施した処(タキシラ國)に至った。ここにもまた塔と寺があり二十人余りの僧が住んでいた。」とあり、
又大唐西域記にも「斯の勝地也。是は如來昔し在して菩薩行を修し大國王となり、戰達羅鉢剌婆(ちゃんどらぷらば、唐言で月光)と称せしとき、菩提を求めて斷頭惠施せり。此の捨をなして凡そ千生を歴られたところ。捨頭窣堵波の側に僧伽藍あり。庭宇荒涼僧徒減なり。」とあります。
賢愚経巻第六・ 月光王頭施品第三十には、お釈迦様が涅槃に入られるとき先に舎利弗が涅槃に入った因縁を阿難がきいたのに対し、お釈迦様が過去世においてお釈迦様が月光王であり婆羅門に頭を施した時、臣下の大臣であった舎利弗が悲しんで先に死んでしまった因縁に依ると説かれています。
以下お経と注記です。
賢愚経巻第六・ 月光王頭施品第三十
如是我聞。一時佛在毘舍離菴羅樹園中。爾時世尊、賢者阿難に告げたまふ。「其の四神足(注2)を得る者は能く壽に住すること一劫。吾、四神足を極めて能善く修す。如来は今者當に壽は幾許ぞや」と。如是にして三にいたる時、阿難は魔の為めに迷はされて世尊の教を聞き黙然としてこたえず。又、阿難に告げ給ふやう「汝、起ち去りて静処に思惟すべし」と。賢者阿難は坐より起き、林中にいたる。阿難去って後に、時に魔波旬(欲界第六天の魔王)、佛所に來至して佛に白して言さく、「世尊よ、世に處して教化すること已に久し。人を度すること周く訖り生死を脱することを蒙らしむること数恒沙の如し。時に又年老い給へり。涅槃に入り給ふべし」と。時に世尊、地の少土を取り爪上に着けて魔に告げて言く「地の土多しと為すや、爪の上多しとなすや」と。魔、仏に答へて言く「地の土極めて多く爪の上の土に非ざるなり」と。仏、又告げて言く「度する所の衆生は爪の上の土の如く、余残の未だ度せざるものは大地の土の如し」と。又魔に告げて言く「却後三月当に般涅槃すべし」と。時に波旬、是の説を聞きおわって歡喜して去る。爾時阿難、林中に坐し忽然として眠睡す。夢に大樹虚空に普覆し枝葉蓊欝し茂りて盛なり、一切の群萠、頼せざるは靡し。其の樹の功徳種々奇妙にしてあげて数ふ可からず。旋風卒に起り其の樹を激しく吹きて枝葉破砕すること猶微塵の如し。力士所住の地を滅す。一切の群生悲悼せざるは莫しと見る。阿難、驚覚し怖れて自ら寧むぜず。又自ら思惟す「夢みる所の樹は殊妙にして量り難し、一切天下咸な其の恩に頼る。何の縁にて風に遇ひ砕壊すること是の如きや、而して今、世尊は一切を覆育すること猶大樹の如し。世尊の般涅槃を欲すること無らむとするや」と。是の念を作し已り甚だ用つて戦懼し仏の所に来至し、仏の為めに礼を作す。而して仏に白して言さく「我、向に夢る所の斯の如きの事、将に世尊般涅槃を欲すること無からむとするや」と。仏、阿難に告げ給ふやう「汝言ふ所の如く吾、後三月当に般涅槃すべし。我向に汝に問ふ、若し四神足を得る者有らば能く寿に住すること一劫なり。吾、四神足あり、極めて能く善く修む。如来、今日能く寿幾何くばくなりやと是の如く三たび満ちて而も汝は対へず。汝去るの後、魔来りて我に涅槃を取ることを勧む。吾、已に之を許せり」と。阿難、之を聞き、悲慟・迷荒・悶悩・惘塞し自ら持すること能はず。其の諸の弟子、展転相ひ語り各悲悼を懐き来りて仏の所に至る。爾時、世尊、阿難及び諸の弟子に告げ給ふやう「一切は無常なり、誰か常存を得む。我、汝等の為めに作す応きは已に作せり。説く応きは已に説けり、汝等、但懃精し修習すべし。何ぞ憂慼を為さん。補ひ無く行無むや」と。時に舎利弗、世尊の般涅槃し給ふべきを聞き深く歎感を懐き、因て説いて曰く「如来の涅槃一に何ぞ疾き耶、世間の眼滅す。永く恃怙を失ふ」と。又、仏に白して言く「我、今、世尊の減度を取り給ふを見るを忍びず。今、前に在りて涅槃に入らむと欲す。唯、願くば世尊よ、聴許し給へ」と。如是三たびに至る。世尊告げて曰く「宜しく是の時を知るべし、一切の賢聖皆当に寂滅すべし」と。時に舎利弗、仏の可を得已り、即ち衣服を整へ長脆し膝行し、仏を遶ること百匝、仏前に来至し若干の偈を以て仏を讃嘆し已る。仏の両足を捉へ頂上に敬戴す。是の如きこと三を満し合掌して仏に侍る。困しみて言ふて曰く「我、今最後に世尊を見る」と。叉手し敬粛し却行して去る。沙弥、均堤を将ゐ羅悦祇(王舎城のこと)に詣り本生地に至る。到り已り即ち沙弥均堤に勅すらく「汝、往きて城に入り及び聚楽に至り国王・大臣・旧故の知識、諸の檀越の輩に来つて共に別を取れと告げよ」と。爾の時、均堤、師の足を礼し已り遍く行きて宣告す。我が和上・舎利弗、今来りて此に在り般涅槃を欲せり、諸の見むと欲する者は宜しく時に行くべし」と。爾の時、阿闍世王及び国の豪賢の檀越の四輩は均堤の語を聞き皆惨悼を懐き、異口同音に是の語を説くやう「尊者舎利弗は、法の大将なり衆生類の信仰する所なり。今般涅槃を仰ぐ、一に何ぞ疾き哉。各自馳奔し其の所に来至り。前みて為めに礼を作し問訊し已竟る。承り聞く「尊者、身命を捨て涅槃に至らむと欲すと。我曹之等、恃怙を失ふ」と。時に舎利弗、衆人に告げて言く「一切は無常なり。生者は皆終る。三界は皆苦。誰か安を得る者ぞ。汝等宿慶なり、生れて仏の世に値ひぬ。経法聞き難く人臣得ること難し、福業を念懃し生死を求めて度せよ」と。是の如く種々若干に方便して広く諸人の為めに病に随ひ薬を投ぜり。爾の時、衆會其の説く所を聞き初果乃至三果を得る有り。或は出家し阿羅漢を成ずる者有り、復、心に誓って仏道を求むる者有り、説法を聞き已り礼を作して去れり。時に舎利弗、其の後夜に於て身を正しくし意を正しくし心を繋けて前に在らしめ、前みて初禅に入る。初禅より起ちて第二禅に入り、第二禅より起ちて第三禅に入り、第三禅より起ちて第四禅に入る。第四禅より起ちて空処定に入り空処より起ちて識処に入り、識処より起ちて不用処に入り、不用処より起ちて非有想非無想処に入り、非有想非無想処より起ちて滅尽定に入り、滅尽定より起ちて般涅槃せり。時に天帝釈、舎利弗の已に滅度を取るを知り、多くの天衆百千の眷属と与に各華香供養の具を齎し来りて其の所に至る(仏伝・中村元のお釈迦様の涅槃の様もこれと同じような瞑想段階の場面が出てきます)。側に虚空を塞ぎ咸各悲叫す。涙盛なること雨の如し。普く諸の華を散じ積りて膝に至る。復、各言ひて曰く「尊者の智慧は巨海の若く、捷弁機に応ず。音は涌泉の若く、戒・定・慧を具ふる法の大将軍なり。当に如来を逐ひ広く法輪を転ずべし。其の涅槃を取ることの何ぞ其速なる哉」と。城・|聚の内外、舎利弗已に滅度を取るを聞き悉く酥油、香華供倶を齎らし馳走し悉く集まり、悲哀痛恋し自ら勝ふる能はず。各香華を持て供養す。時に天・帝釈、毘首羯磨(世界創造神)に勅し衆宝を合集し高車を荘厳し舎利弗を安んじ高車の上に在り。諸天・龍・鬼・国王・臣民侍し送り号咷し、平博の地に至る。時に天帝釈、諸の夜叉に「大海に往き牛頭栴檀(牛頭山栴檀香)を取れよ」と。勅す。夜叉教を受け尋いで取り還る。積みて大𧂐と為し、身を安んじ上に在き、酥油を以て灌ぎ、火を放ち耶旬(荼毘)し礼を作し供養し各自ら還り去る。火滅するの後、沙弥均堤は舎利を収め鉢の中に盛着り其の三衣を摂め、担ひて仏の所に至り、仏の為めに礼を作し長跪して仏に白さく「我が和上舎利弗、已に般涅槃せり。此は是れ舎利、此は是れ衣鉢なり」と。時に賢者阿難、是の語を説くを聞き悲悼憒悶し、ますます感切を増せり。而して仏に白て言さく「今は此の尊者、法の大将軍、已に滅度を取る。我、何にか憑怙せん」と。仏、之に告げて曰く「此の舎利弗、復た滅度すと雖も其の戒・定・慧・解脱・解脱知見(注3)、是の如き法身は亦滅せざるなり。又、舎利弗は但、今日のみ我が般涅槃を取るを見るに忍びずして先に滅度せしにあらず。過去世の時も亦我が死を見るに堪忍えずして我に先ち前に死せり」と。賢者阿難、合掌し仏に白さく「不審なり世尊よ、往古、先前に死を取る。其の事云何、願くば為に解説せよ」と。仏、阿難に告げ給ふやう「過去久遠無量無数不可思議阿僧祇劫に此の閻浮堤に一大国王有り旃陀婆羅脾と名づく。晋に月光と言ふ。閻浮堤の八万四千国、六万の山川八十億の聚落を統ぶ。王に、二万の夫人・婇女有り、其の第一の夫人を須摩檀、晋に花施、と云ひ一万の大臣ありて其の第一を摩旃陀と名づく。晋に大月と言ふ。王に五百の太子有り、其の最大の太子名を尸羅跋陀、晋に戒賢と言ふ。王住する所の城を跋陀耆婆と名づく。晋に賢寿と言ふ。其の城、縦広四百由旬、金・銀・琉璃・頗梨(水晶)の成ずる所なり。四辺に凡そ百二十門有り、街陌・里巷斉整相当す。又其の国中に四行樹有り、又、金・銀・琉璃・頗梨の成ずる所なり、或は金枝銀葉、或は銀枝金葉、或は琉璃枝頗梨葉、或は頗梨枝琉璃葉なり。諸の宝池有り、又、金・銀・琉璃・頗梨の成ずる所なり。其の池の底の沙も亦是れ四宝なり。其の王の内宮の周四十里、純ら金・銀・琉璃・頗梨を以てす。其の国豊潤なり。人民快楽し珍奇異妙称て計ふ可らず。爾の時、其の王、正殿に坐し忽ち此の念を生ず「夫れ人の世に処し尊栄豪貴にして天下敬瞻し言を発すること違ふこと無く、珍妙の五欲意に応じ至るところの斯の果報は皆積徳修福の致す所に由る。譬へば農夫の春に広く種え秋夏豊収するが如し。春時復到り若し勤めて種ずんば秋夏何をか望まむ。吾今、是の如く先の修福に由りて今の妙果を獲たり。今、復種えずんば後亦望み無し」と。是の念を作し已り、諸の群臣に告ぐやう「今我、珍妙宝蔵を出し諸の城門に置き及び市中に着け大檀施を設けむ。其の衆生の一切、須ふる所に随つて尽く之を給与せむと欲す。幷びに復八万四千の諸小国土に告下し悉く蔵を開き一切を給施せしめむ」と。衆臣、曰く「善し」と。敬ひて王の教の如くす。即ち金幢を竪て金鼓を撃ち広く布き令を宣べ王の慈詔を謄し遠近内外をして咸聞き知らしむ。時に国中の沙門・婆羅門・貧窮の孤老、乏短有る者、強弱相ひ扶け雲と起り雨と集る。衣を須ふれば衣を与へ食を須ふれば食を与ふ。金・銀・宝物・病に随ふ医薬一切の須ふる所意に称ひ之を与ふ。閻浮堤の内一切の臣民王の恩沢を蒙り快楽極り無く歌頌讃嘆衢路に盈ち、善名遐に宣べ四方に流布して欽仰せざるは無く、王の恩化を慕ふ。
時に邊表に一つの小国有り、王の名を毘摩斯那と曰ふ。月光王の美称高大なるを聞き心に嫉妬を懐き寝ねて席安からず。即ち自ら思惟す「月光を除かずむば我が名出でず。当に方便を設け諸の道士を請じ諸人を募求し用つて斯の事を弁ずべし」と。是を思惟し已り即ち勅して国内の梵士を請喚し餚饍百味の飲食を供養し恭敬奉事せり。其の意を失せず三月を経已れり。諸の梵志に告ぐるやう「我、今憂有り我が心に纏綿す。夙夜反側す。何ぞ方に能く釈かむ。汝の曹道士是れ我が奉ずる所なり、当に方便を思ひ我を佐け除滅すべし」と。諸の婆羅門共に王に白して言く「王よ、何の憂有りや、当に示し語らるべし」と。王、即ち言ひて曰く「彼の月光王の明徳遠く着き四遠風を承く。但、我れ独り卑陋にして此の美称無し、情志の願ふ所は之を除くことを得むと欲するなり。何の方便を作し能く此の事を弁ぜんか」と。諸の婆羅門、是の語を説くを聞き各自ら言ひて曰く「彼の月光王、慈恩恵沢潤一切に及び窮厄を悲済すること民の父母の如し。我等何の心にて此の悪謀に従はむ。寧ろ自ら身を殺さむ。此を為すこと能はず」と。即ち各罷めて散ぜり。毘摩斯那、益増す愁憒す。即ち出でゝ広く募り周遍して令を宣べぬ。「誰か能く我が為に月光王の頭を得るものぞ、共に国を半に分ちて治め、女を以て之に妻せむ」と。爾の時、山の脇に婆羅門有り、名を労度差と曰ふ。王の宣令を聞き来りて王の募に応ず。王、甚だ歓喜し重ねて之に語りて言く「苟くも能く成弁せば信誓を違へず。若し能く去らば当に何の日を以てすべきや」と。婆羅門曰く「我が行道の糧食須ふる所を弁じ却後七日便ち発引すべし」と。時に婆羅門、作呪自護し七日已に満たり。便ち王に来辞す。王、須ふる所を供給し路を進みて去る。
時に月光王国に予て種々の變怪興現す、地處處裂抴し電星落ち、陰霧晝昏、雷電霹靂、諸の飛鳥の輩は虚空の中に於て悲鳴感切し自ら羽翼を抜く。虎・豹・豺・狼の禽獣の屬は自投自擲跳踉鳴叫す。八万四千の諸小国王は皆大王の金幢卒折れ、金鼓卒に裂くと夢み、大月大臣は鬼、王の金冠を奪ふと夢み、各愁憂を懐き自ら寧むずること能はず。
時に城門の神、婆羅門の王の頭を乞ふと欲するを知り亦用つて憒遮して入るを聴さず。時に婆羅門城門を遶ること数匝にして前むを得ること能はず。首陀会天(浄居天)、月光王の此の頭施は檀に於て満すを得と知り、便ち夢の中に於て王に語りて言く「汝、誓つて布施し、衆心に逆はざれ、乞者門に在り、前むを得るに由し無し。施主為るを欲するも事然らざる所なり」と。王、覚めて愕然たり。即ち大月大臣に勅すらく「汝、諸門に往き勅して人を遮ること勿らしめよ」と。大月大臣、城門に往到る。時に城門の神、即ち自ら形を現じ大月に白して言さく「婆羅門有り他国より来り悪心を懐き挟さみ王の頭を乞はむと欲す。是を以て聴さず」と。大臣、答えて言く「若し此の事有らば是れ大災と為す。然るに王の教有り、理として違ふことを得ず当に是を奈何がすべき」と。
時に城門神、便ち休み遮らず。大月大臣、即ち自ら思惟す「若し此の婆羅門必ず王の頭を乞はゞ当に七寳頭を作ること各五百枚用つて之と貿易すべし」と。即ち勅して作らしむ。時に婆羅門、往きて殿前に至り高声に唱へて言く「我、遐方に在り、王は功徳一切布施し人の意に逆はざるを聞き、故に遠来より渉す。得る所有らむと欲す」と。王、聞き歓喜んで迎へて為に禮を作し問訊す、「行道疲極せざる耶、汝の願ふ所に随ひ国・城・妻子・珍宝・車乗・輦輿・象馬・七宝・・僕使、所有得んと欲するもの皆之を与ふべし」と。婆羅門言く「一切の外物を用つて布施すと雖も福徳の報は未だ弘広為らず、身肉の布施其の福乃ち妙なり。我故に遠来す。王の頭を得むと欲す、若し辜逆せずむば当に施与せらるべし」と。王、是の語を聞き踊躍量り無し。婆羅門言はく「若し我に頭を施さば何時与ふべきや」と。王、言く「却後七日当に汝に頭を与ふべし」と。爾の時、大月大臣七宝の頭を擔来し用ひて暁謝し腹を其の前に拍ち婆羅門に語りて言く「此の王の頭は骨肉の血と合して不浄の物なり、何を用つて此を索むるや。今、持ち来れる爾所の七宝頭以用つて貿易せむ。汝、之を取る可し、転易終身の富を得るに足らむ」と。
婆羅門言く「我れ、此を用ひず。王の頭を得て我が所志に合せむと欲す」と。時に大月大臣、種々諌曉すと雖も永く迴転せず。即時、憤感し心七分に裂け王の前に死す。時に其の王、臣下に勅語し八千里を象に乗り遍く諸国に告げて言はしむ「月光王、却後七日当に其の頭を持つて婆羅門に施すべし。若し来らむと欲せば速時に馳せ詣れ」と。爾の時、八万四千の諸王絡繹として至る。咸な大王に見え腹を王の前にて拍ち「閻浮堤の人みな王の恩沢に頼り各豊楽を得歓娯して患無し、云何んが一旦一人の為めの故に永く衆庶を捨てゝ更に矜憐せざるや。唯、願くば愍を垂れ頭を以て施す莫れ」と。一万の大臣皆身を地に投じ腹を王の前に拍ち「唯、我等を哀愍矜恤し頭を以て施し長く棄捐せらるゝこと莫れ」と。二万の夫人、亦身を地に投じ仰ぎて王に白して言さく「忘捨せらるゝこと莫れ、唯、陰覆を垂れよ、若し頭を以て施さば我等何をか恬まむ」と。五百の太子、王の前に啼哭す、「我等、孩幼なり何の所にか帰すべき。願くば愍念せられよ。頭を以て施すこと莫れ、我等を長養し人倫に及ぶを見よ」と。是に於て大王、諸の臣民、夫人、太子に告ぐるやう「我、本より計るに身を受けて已来、生死に渉歴し由来長く久し。若し地獄に在らば一日の中生れて輒ち死す。身を棄つること無数なり。灰河・鉄床・沸屎・火車・炭坑及び余の地獄を経歴す。是の如き等の身焼き、刺し、煮、炙り捨てゝ復棄つ。永く福報無し。若し畜生に在らば更に相ひ食噉し或は人に殺され身を衆口に供し、破壊、消爛す、亦復無数なり。空しく此の身を棄てゝ、亦福報無し。或は餓鬼に堕さば火身より出づ。或は飛輪有り来りて其の頭を截る。断ちて復生れ是の如く無数なり。是の如く身を殺し亦福報無し。若し人間に生るれば財色を諍ひ目を瞋らし怒り盛んなり。共に相ひ殺害す。或は軍を興し対陣し更に相ひ斫截す。是の如く身を殺すこと亦復無数なり。貪・恚・痴の為めに恒に多身を殺し未だ曾て福を為さず。而して此の命を捨つ。今我が此の身種々不浄なり。捐捨すべきに会ふ。久しく得ること能はず。此の危脆穢悪の頭を捨て用つて大利と貿ふ。何ぞ与へざるを得むや。我此の頭を持ち婆羅門に施さむ。是の功徳を持つて誓つて仏道を求めむ。若し仏道を成ぜば功徳具足せむ。当に方便を以て汝等の苦を度すべし。今、我、施心成満を欲すに垂むとす。慎みて我の無常道意を遮ること莫れ」と。一切の諸王・臣民・夫人・太子王の語を聞き已りて黙然として言無し。
爾の時、大王、婆羅門に語るやう「頭を取らむと欲せば今正に是の時なり」と。婆羅門言く「今、王の臣民大衆囲遶す。我、独り一身にて、力勢単弱なり、此の中にて王の頭を斫るに堪えず。我に与へむと欲せば後園に至るべし」と。爾の時、大王、諸の小王・太子・臣民に告ぐるやう「汝等若し苟も我を愛敬せば慎しみて此の婆羅門を傷害すること莫れ」と。此の語を作し已り婆羅門と共に後園に入る。時に婆羅門、又王に語りて言く「汝の身、盛壮にして力士の力あり。若し斫りて痛みに遭はば儻復還び悔まん。汝の頭髪を取り堅く樹に繋在げ。爾ば乃ち然る後に能く斫り取る耳」と。時に王この語を用つて一つの荘樹の枝葉欝茂するを求め堅固に繋けむと欲す。樹に向つて長跪し髪を以つて樹に繋け、婆羅門に語るやう「汝、我が頭を斫り我が手の中に堕せよ。後に我が手の中に於て取り去れ、今、我れ頭を以て汝に施さむ。是の功徳を持ち魔・梵・及び天帝釈、転輪聖王の三界の楽みを求めず。用つて無上正真の道を求む。誓つて群生を済ひ涅槃の楽に至らむ」。時に婆羅門、手を挙げ斫らむと欲すに樹神此を見て甚だ大いに懊悩して「此の如きの人を云何が殺さむと欲するや」として即ち手を以て婆羅門の耳を搏つ。其の項反り向き手脚繚戻し刀を失し地に在り、動揺すこと能はず。爾の時、大王、即ち樹神に語るやう「我、過去已来、此の樹下に於て曾て九百九十九頭を以用つて布施せり。今、此の頭を施せば便ち千に満つべし。此の頭を捨て已りなば檀は便ち満ち具はる。汝、我が無上道心を遮ること莫れ」と。爾の時、樹神、王の是の語を聞き還び婆羅門をして平復し故の如くならしむ。時に婆羅門、便ち地より起ち還び更に刀を取り便ち王の頭を斫る。頭手の中に堕つ。爾の時天地六反震動し、諸天の宮殿搖動して安すからず各の恐怖を懐き夫の所以を怪しみ、尋いで菩薩が一切の為めの故に頭を捨て布施するを見たり。皆悉く来り下り其の奇特を感じ、悲涙雨の如し。因つて共に讃じて言く「月光大王、頭を以て布施せり。檀波羅蜜に於て今便ち満すを得たり」と。是の時の音声天下に普遍せり。彼の毘摩羨王、此の語を聞き已り喜踊驚愕し心擗裂けて死せり。時に婆羅門、王の頭を担ひ去れり。諸王・臣民・夫人・太子、已に王頭を見て自ら地に投じ同声にて悲叫し絶えて復甦へる。或は悲結し血を吐きて死する者有り、或は愕いて住し識る所無き者有り、或は自ら其の頭髪を剪抜く者、或は復其の衣裳を爴裂く者、或は両手にて面を爴裂する者有り。啼哭し縦横に地に宛転《えんでん》す。時に婆羅門、王の頭臭きを嫌ひ即便ち地に擲《なげう》ち脚蹋《ふみにじ》り去る、或は復人有り婆羅門に語るやう「汝は之れ酷毒・劇甚乃ち爾る。既に用ふるに中らざれば何ぞ乃ち之を索むるや」と。時に婆羅門道を進みて去る。
人、見れば便ち責め食を給する者無し。飢餓委に悴れ困苦すること極めて理りなり。道中に人有り。因つて消息を問ひ、毘摩羨王、已に復命終するを知り望む所を失ひ懊悩し憒憒し心七分に裂け血を吐きて死せり。毘摩羨王(月光王の首を命じた王)及び労度差(月光王の首を切った婆羅門)命終し皆な阿鼻泥犁(阿鼻地獄)に堕す。其の余の臣民王恩を思念ひ死を感結する者皆生天を得たり』と。
是の如く阿難よ、爾の時の月光王を知らむと欲せば今我が身是れなり。毘摩羨王とは今の波旬(魔王波旬・他化自在天)是なり。時の労度差婆羅門とは今の調達(提婆達多)是れなり。時の樹神とは今の目連是れなり。時の大月大臣とは今の舎利弗是れなり。爾の時に当り我が死を見るに忍びずして我に先ち前に死せり」と。
仏、是を説き已り賢者阿難及び諸の弟子仏の説き給ふ所を聞き悲喜交懐、異口同音に咸共に嗟嘆す。如来の功徳奇特の行咸共に専修し四道果を得る者有り、無上正真道意を発す者有り。皆大いに歓喜敬戴奉行せり。
(注1、タキシラは竺刹尸羅・咀尸羅国・特叉始羅国とも書き、西パキスタンのラワルピンティの西北約30㎞のタキシラを指す。タキシラ、竺刹尸羅はともにサンスクリットの截頭(せつとう)の訛(なまり)という。古代から西北インドの要衝で、前5世紀~5世紀頃まで栄え、1913年以来22年にわたって行われた発掘により、ギリシャ文化や仏教文化の交流が明らかになった。
大唐西域記にも「城北十二三里有窣堵波。無憂王之建也。或至齋日時放光明。神花天樂頗有見聞。聞諸先志曰。近くに婦人あり、身に惡癩を嬰じ、竊に窣堵波に至りて躬を責め禮懺す。其の庭に諸糞穢有るを見て、灑掃掬除し塗香散華し青蓮を採り其地に重布れば惡疾除愈し形貌増す妍なり。身に名香を出し青蓮と同馥なり。斯の勝地也。是は如來昔し在して菩薩行を修し大國王となり、戰達羅鉢剌婆(ちゃんどらぷらば、唐言で月光)と称せしとき、菩提を求めて斷頭惠施せり。此の捨をなして凡そ千生を歴られたところ。捨頭窣堵波の側に僧伽藍あり。庭宇荒涼僧徒減なり。」
(注2、神通力を生じる足となる四つの定、①欲三摩地断行成就神足・意志によって種々の神通力を生じさせる三昧。②勤三摩地断行成就神足・精進によって種々の神通力を生じさせる三昧。③心三摩地断行成就神足・心によって種々の神通力を生じさせる三昧。④観三摩地断行成就神足・観想によって種々の神通力を生じさせる三昧)
(注3、戒・定・慧・解脱・解脱知見とは、戒律をたもち、禅定に入り、智慧を磨き、解脱し、解脱していることを自分で知覚すること)