福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「万世一系は幻想で上に立つ者の徳がなければ・・(誠太子書全文)」

2020-12-01 | 法話

 

1、今上天皇は皇太子時代に「誠太子書」に触れられ以下のように述べられました。

「花園天皇という天皇がおられるんですけれども……誡太子書(太子を誡〈いまし〉むるの書)と呼ばれているんですが、この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、その徳を積むためには学問をしなければならないということを説いておられるわけです。その言葉にも非常に深い感銘を覚えます」(今上天皇・昭和57年3月15日学習院大学ご卒業の折に)

 

2、「誠太子書」は花園天皇が時の皇太子量仁親王に贈られた訓戒書で一言でいうと天皇は徳を積むべしといっておられます。さらに、万世一系などというものがあるが、それは幻想で、皇族に徳がなければ、いつでも天皇制は崩壊する、との趣旨も述べておられます。天皇陛下が徳を積まれるのに国民が不徳のままで良いわけはありません。

 

3、「誠太子書」

「余聞く、天は蒸民を生じ、之に君を樹てて司牧するは、人物を利する所以なり。

下民の暗愚なる、之を導くに仁義を以てし、凡俗の無知なる、之を御するに政術を以てす、

凡俗の無知、之を馭するに政術を以てす。其の才なくば則ち其の位に處すべからず。人臣の一官之を失ふ。猶之天事を乱すと謂ふ。鬼あへて遁ること無し。何ぞ況や君子の大寶をや。慎まざるべからず。懼れざるべからず。而も綺羅の服を衣、織紡の労役を思ふ無し。鎮、稲梁の珍膳に飽き、未だ稼穡の艱難を辨ぜず。國に於いて曾って尺寸の功無し。民に於いて豈に毫釐の恵有んや。只先皇の餘烈と謂を以て猥りに萬機の重任を期さんと欲す。徳無くして謬って王侯の上を託す。功無くして苟も庶民の間に莅のぞむ。豈自ら慙じざらん乎。又其の詩書礼楽、俗を御すの道、四術の内、何を以てか之を得ん。請ふ、太子自ら省焉。温柔敦厚の教、性を体し、疏通知遠の道、意に達せしむ。則ち善矣。

然りと雖も猶不足有るを恐る。況や未だ此の道徳備らず、争彼の重位を期す。是則ち求る所其為す所に非ず。譬へば猶網を捨て魚羅を待ち、耕さずして穀熟を期するがごとし。之を得るに豈難しからずや。仮使へ勉強して之を得るも恐らくは是吾有に非ず。所以、秦の政、強しと雖も漢の并する所と為る。隋煬盛んなりと雖も唐の滅する所と為る也。

而して諂諛の愚人は以為へらく、吾が朝は皇胤一統、彼の外国の徳を以て鼎を遷し、勢を以て鹿を逐ふに同じからず。故に徳微なりと雖も、隣國窺覦の危きことなく、政乱るると雖も、異姓簒奪の恐れなし。是れ其の宗廟社稷の助、余国のに卓躒たる者なり。然らば即ち纔に先代の余風を受け、大悪、国を失ふことなければ、即ち守文の良主、是に於いて足るべし。何ぞ必ずしも徳の唐虞に逮はず、化の陸栗にしからざるを恨みんやと。士女の無知、此の語を聞いて皆以て然りとなす。

愚惟深く以て謬と為す。何ぞ則ち洪鐘響きを蓄へ、九乳(鐘のこと)未叩、誰か之を無音と謂ふや。明鏡影を含み、萬象未だ臨まず、誰か之を照さずと謂ふ。事跡未だ顕れずと雖も物の理は炳然たり。所以に孟訶は帝辛以て一夫為り。武發の誅を待ざる矣。薄徳以て神器を保たんと欲するは豈其の理の當る所ならん乎。之を以て之を思へ。累卵の頽嵩の下に臨む危き、朽索の深淵の上を御すこと甚だし。仮使へ吾國、異姓の窺覦無くも宝祚の脩短以て茲に由る。加之中古以来兵革連綿、皇威遂衰、豈悲しまざるべけんや。太子宜しく前代の興廃の所以を察観し熟すべし。亀鑑遠からず、照然と眼に在る者歟。況や又、時澆漓に及び人皆暴悪、自ら智は萬物に周からず。才は夷険を経ず。何を以て斯かる悖乱の俗を御せんや。而して庸人は太平の時に習ひ、曾って今時の乱を知らず。時に太平、則ち庸主と雖も治するを得べき故に尭舜而も上に在り。十の桀紂有りと雖も之を乱すことを得るべからず、勢治まる也。(韓非子に「堯舜生在上。雖有十桀紂不能亂者勢治也」)。今時未だ大乱に及ばずと雖も乱の勢萌已に久し。一朝一夕の漸に非ず。聖主位に在れば則ち無為に帰すべし。賢主國に當れば則ち乱無し。若し主、賢主に非ざれば則ち恐くは唯だ乱数年の後に起こるべし。而して一旦乱に及べば則ち縦へ賢哲の英主と雖も朞月(きげつ・一年)は而活すべからず。必ず数年を待つべし。何ぞ況や庸主(凡庸な君主)此の運に鐘れば國は日に衰へ、政は日に乱る。勢必ず士崩瓦解に至る。愚人は時変に達せず、昔年の泰平を以て今日の衰乱を計る。謬哉謬哉。近代の主、猶未だ此の際会に當らず。恐らくは唯太子登極之日、當にこの衰乱の時運なるべし。内に哲明の叡聡あり、外に通方の神策あるに非ざれば則ち乱國に立つことを得ざる矣。

是朕の強く學を勧むる所以也。今時の庸人、未だ嘗って此の機を知らず。宜しく神襟を廻すべし。此の弊風の代に当たり詩書礼楽に非ざれば自ら治むるを得べからず。是を以て寸陰を重んじ夜を以て日に続き、宜しく研精すべし。縦へ學、百家に渉らずとも口に六経(りくけい、詩経・書経・礼記・楽経・易経・春秋)を誦し、儒教の奥旨を得ざるべからず。何ぞ況や末學膚受(まつがくふじゅ、うわべだけの学問)に治國の術を求め、蚊虻の千里、鷦鷯(しょうりょう・みそさざい)の九天の望を愚さんや。故に思ふて學ぶべし、學べば思ひ経書に精通す。日に吾躬を省みれば則ち相似たる有り。

 

凡そ學の要為や周物の智を備へ、未だ萌さざるの先を知り、天命の終始に達し、時運の窮通を辨へるなり。

 

若し古に稽ひ先代の廃興の跡を斟酌せば、変化無窮なる者なり。諸子百家の文を暗誦し、巧に詩賦を作り、能く議論を為す如きに至らば、群僚皆所掌あり、君主何ぞ強て自ら之を労せんや。故に寛平の聖主遺誡に天子雑文に入る日を潰やすべからず云々。近世以来、愚儒の庸才、學ぶ所は則ち徒に仁義の名を守り未だ儒教の本を知らず。労して功なし。駛に所謂博して要を寡する者也(史記 太史公自序に「博而寡要、勞而少功」)。又頃年、一群の學徒あり、僅かに聖人の一言を聞き自ら胸臆の説に馳す。佛老の詞を借り濫りに中庸の義を取る。湛然虚寂の理を以て儒の本と為す。曾って仁義忠孝の道を知らず、法度を論ぜず、礼儀を辨へず。無欲清浄則ち取るべきに似たりと雖も唯是老荘の道也。豈に孔孟の教え為んや、是並に儒教の本知らざる也。之を取るべからず。縦へ學に入ると雖も猶此の如きの失多し。深く自ら之を慎み宜しく益友を以て切磋せしむべし。學猶誤り有れば則ち道に遠し。況や餘事に於いてを乎。深誠し必ず之を防ぐべし。而して近く曾って染る所則ち小人の所習は唯俗事、性相近し、習ば則ち遠し。縦へ生知の徳備ふと雖も、猶陶染する所有るを恐る(「文心雕龍」に「陶染所凝」とあり)。何ぞ況や上智及ばざるをや(荘子:逍遥遊第一に「 小知不及大知」)。徳を立て學を成すの道、曾って由る所無し。嗚呼悲かな。先皇の緒業此の時忽ち墜んと欲す。余、性拙、智浅なりと雖も粗ぼ典籍を學し、徳義を成し王道を興さんと欲す。只宗廟祀を絶へざらしむるを為すは宜しく太子の徳に在るべし。

而今道廃れ脩せず。則ち所學の道、一旦溝壑を填する亦用ふるべからず。恐れざるべき乎。若し學功を立て、徳義成らば、啻に帝業当年に於いて盛んなるに匪あらざるや。亦即ち美名を来葉に貽り、上大考を累祖に致し、下厚徳を百姓に加ふ。然れば則ち高くして危ふからず。満ちて溢れず。豈楽しからざらんや。一旦屈を受け百年栄を保つ、猶忍べし。況や墳典に心を遊ばせ、則ち塵累の纏索無し(文選に「綬を結びては纏牽を生ず」とありこれは、官綬につながれて拘束される憂いをいう。)。書中に故人に遇ひ、只聖賢の締交有り。一窓を出でず而して千里を観ず。寸陰を過ぎずして萬古を経る。楽の尤も甚だしきは此れに過ぐる無し。道を楽しみと、乱に遇ふは憂喜の異なり。同日に語るべきや。豈自択せざる哉。宜しく審思すべき而已。」

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