今日7月6日は鎌倉光明寺開山忌です。光明寺は浄土宗第三祖良忠上人の開山です。上人は鎌倉中期の浄土宗の僧。石見の人。然阿と称し天台・倶舎・法相・禅・浄土を学び、関東に広く布教して鎌倉に蓮華寺(光明寺)を創建。浄土宗第三祖となっています。光明寺のホームページには「弘安十年七月六日、八十九歳をもって鎌倉に入滅せられた。 三祖良忠上人の化教は、九州から関東までの極めて広範囲にわたり、上は皇室から下は庶民大 . . . 本文を読む
『続日本紀』天平四年732・七月六日「(聖武天皇が)「畿内百姓私畜猪四十頭を和買して山野に放たしめ性命を遂げしむ」(聖武天皇が畿内の百姓から家畜の猪40頭を買って山に逃がした)」 . . . 本文を読む
・今日延暦二十三804年七月六日、大師(三十一才)御一行の遣唐使船は肥前国松浦郡田浦を出発されています。日本後紀に「延暦二十三年・・遣唐使第一船,到泊對馬嶋下縣郡.大使-從四位上-藤原朝臣-葛野麻呂上奏言:「臣-葛野麻呂等,去年七月六日,發從肥前國松浦郡田浦,四船入海.七日戌剋,第三、第四兩船,火信不應.出入死生之間,掣曳波濤之上,都卅四箇日.八月十日,到福州長溪縣赤岸鎮已南海口.鎮將-杜-寧、縣 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の16/16
十六、杖頭地蔵の事
中古淡路の國に住侶しける教僧圓照坊の母、生在に更に善力無きを以て子息の僧圓照、教力を以て常にこしらへ奉りて念佛誦経の結縁を勧めけれども、業因深きに引かれて教門に入らずして善根に眼を閉じ耳を塞ぎける。されども辻化(遷化か?)無常に追福をして衰老無愛の身と成りて妄執愛着の栖を別れ遥かに思ひし閻羅國に赴き闇々たるくらき冥路曠々とひろき原 . . . 本文を読む
上皇陛下・今上陛下がいずれも事あるごとに後奈良天皇に言及されているのは「皇室を無意味にすべき、という教育を東大で教わった官僚等達が障害になって天皇として国民の為に十分働くことができなくても後奈良天皇が国民の為をおもって心経を全国の寺に奉納されたお気持ちは見習います」というお気持ちをあらわされたのではないか。参考1.此処に今上陛下が後奈良天皇に言及されたお言葉があります。 参考2。 宮内庁のホーム . . . 本文を読む
(以下大略ダライラマ法王庁の記事に依ります)「ダライ・ラマ法王は1935年7月6日、アムド地方の小さな村タクツェルで生れ、ラモ・ドゥンドゥプと名ずけられました。法王には2人の姉妹と4人の兄弟がおられた。トゥプテン・ジグメ・ノルブは一番上の兄で、高僧タクツェル・リンポチェの転生者と認定されていた。末弟のテンジン・チューギェルも高僧ガリ・リンポチェの生まれ変わりと認められていた。ラモ・ドゥンドゥプ(法 . . . 本文を読む