観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・5/52
五観音を念じて溺死を免るる事
長崎に一人の船頭あり。平生海上を家として諸方に往来する身なれば風波の難を恐れて観音の名号を守として常に祈念しけり。延宝年中(1673年から1681年)に大船に乗り商人五六人を乗せて肥後に赴くに天草の江中に到りて大風起りて船破砕しぬ。諸人一時に溺れ死す。船頭は檣に取著て海上に漂泊すること三日、飢て食なければ藁索を噛て僅かに命を系ぐ。
然るに少し睡みたる夢に観音の現じ玉ひて告げ玉ふやう、「汝何ぞ早く標竿を立てざるや。然らずんば恐らくは溺死すべし」と。覚めてありがたく思ひ犢鼻褌(とくびこん、ふんどし)を解て竹竿の頭に繋て横檣の上に立つ。時に馳る舩あり。東より来たる。遥かに標竿の風にひらめくを見て怪しんで近つ゛き見れば檣に取著たる人の聲を挙げて喚はり命を救玉へと云。其の船の人相憐れんで即ち救乗せて見れば三日食せず漂泊せしかば憔悴して力なき體なり糜(かゆ)を煮てくわしめ、後に飯を食せしむれば、二三日を経て力著くこと本の如し。相携て長崎に帰る。船頭諸人に逢ひて船破損のことを語り、観音の御告に依りて命活きたりと語りければ諸人信心を生ぜずといふことなし。寔に大海の中なれば遥かに標識を見るにあらずんば餘の船も助くることを得ざるべきに、御告のほどありがたきにあらずや。
又予貞享四年(1687年)九月讃州高松より船に乗りて大坂に来るに備前の真尾の内、九艘の泊り(岡山県備前市日生町)と云處にて九月九日大風大雨に遭ふ。其の風大木を抜き民屋を吹き破り海上の船、十に八九は皆破砕しぬ。予が船には上下七十人ばかり乗りたり。類船五六艘は眼前に沈没、又船中の者皆一心に仏名を唱へ或は観音経を誦し真言を念ず。僧六七人皆一心に寶号を唱ふ。予も発願すらく、今般の船恙なく大坂に著きなば速やかに住吉に詣して法施の普門品三十三巻を誦し奉り、又寺に帰りて後、如意輪供一百座修行すべし。若し定業遁るべからずんば願くは衆人の命を助けて我一人をして溺死せしめ玉へと。然るに大風の起こりしは巳の刻ばかりに申の上刻に漸く静まりて船恙なきのみならず類船の破砕けせる中に僧五人をば予が船に助け乗せつ。船中の人々皆以て衆僧の唱念の力なりと悦びけり。十二日大坂に著きければ十三日に船中の人々悉く住吉に参詣して悦びけり。其の時の風雨に海中の死人数を知らず。室明石兵庫浦等の大波民屋を打ち破れる体を見るに、予が船の恙なかりしは誠に観音薩埵の御助なりけりと後には思ひ知りけり。