福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

中論第二十五章

2013-11-25 | 諸経
【反対者いわく】
一 もしもこの一切のものが空であるならば、【何ものかが】生起することも無く、また消滅することも無い【筈である】。何ものを断ずるが故に、また何ものを滅するが故に、ニルヴァーナ(涅槃)が得られると考えるのか。

【中観派が答えていわく】
二 もしもこの一切のものが不空であるならば、【何ものかが】生起することも無いし、また消滅することもない【筈である】。何ものを断ずるが故に、また何ものを滅するが故に、ニルヴァーナが得られると考えるのか。

三 捨てられることなく、【あらたに】得ることもなく、不断、不常、不滅、不生である。―――これがニルヴァーナであると説かれる。

四 まず、ニルヴァーナは有(存在するもの)ではない。【もしそうではなくて、ニルヴァーナが有であるならば、ニルヴァーナは】老いて死するという特質を持っているということになってしまうだろう。何となれば、老いて死するという特質を離れては、有(存在するもの)は存在しないからである。

五 また、もしもニルヴァーナが有(存在するもの)であるならば、ニルヴァーナはつくられたもの(有為)となるであろう。何となれば無為である有は決してどこにも存在しないからである。

六 また、もしもニルヴァーナが有(存在するもの)であるならば、ニルヴァーナはどうして【他のものに】依らずに存するであろうか【しからばニルヴァーナは(他のものに)依って存することとなる】。何となればいかなる有も【他のものに】依らないでは存在しないからである。

七 もしもニルヴァーナが有(存在するもの)でないならば、どうして非有(無)がニルヴァーナであろうか。有が存在しないところには、非有(無)は存在しない。

八 またもしもニルヴァーナが無であるならば、どうしてそのニルヴァーナは【他のものに】依らないでありえようか。何となれば、【他のものに】依らないで存在する無は存在しないからである。

九 もしも【五蘊、個人存在を構成する五種の要素を】取って、あるいは【因縁に】縁って生死往来する状態が、縁らず取らざるときは、これがニルヴァーナであると説かれる。

一〇 師(ブッダ)は生存と非生存とを捨て去ることを説いた。それ故に「ニルヴァーナは有に非ず、無に非ず」というのが正しい。

一一 もしもニルヴァーナが有と無との両者(有にしてかつ無)であるならば、それでは解脱は無でもあり、また有である【ということになるであろう】。しかしそれは正しくない。

一二 もしもニルヴァーナが有と無との両者(有にしてかつ無)であるならば、それではニルヴァーナは【他のものに】依存しないで成立しているのではない【ということになるであろう】。何となれば【有と無との】両者は【他のものに】依存して成立しているからである。

一三 ニルヴァーナがどうして有と無の両者でありえようか。
ニルヴァーナはつくられたのではないもの(無為)であるが、有と無はつくられたもの(有為)であるからである。

一四 ニルヴァーナのうちに、どうして有と無の両者がありえようか。この両者は同一のところには存在しえない。それは光明と暗黒とが同一のところに存在しえないようなものである。

一五 <ニルヴァーナは無でもなく、有でもない>という想定は、無と有が成立してこそ成立しうるのである。

一六 <ニルヴァーナは無でもなく、有でもない>ということが成立するならば、<無でもなく、有でもない>ということが何によって表示されるのか。

一七 <尊師(ブッダ)は死滅したあとでも存在している>と解することはできない。尊師は死後に<存在しない>とも<存在しかつ存在しない>とも、また両者でもない(<存在しかつ存在しない>のでもない)とも解することは出来ない。

一八 (一)<尊師はいま現に存在しつつある>と解することもできない。(二)<尊師はいま現に存在しているのではない>とか(三)<尊師はいま現に存在しつつありかつ存在している>という両者であるとか、(四)またその両者でもない、と解することもできない。

一九 輪廻はニルヴァーナに対していかなる区別もなく、ニルヴァーナは輪廻に対していかなる区別もない。

二〇 ニルヴァーナの究極なるものはすなわち輪廻の究極である。両者のあいだには最も微細なる区別もない。

二一 如来(ブッダ)は死後に存在するかどうか。世界は有限なものであるかどうか、など、世界は常恒なるものであるかどうか、などというもろもろの見解は、ニルヴァーナと【死後の】のちの世界と、【生まれる前の】未来の世界とに依存して述べられている。

二二 一切のものは空なのであるから、何ものが無限なのであろうか。何ものが有限なのであろうか。何ものが無限にして有限なのであろうか。何ものが無限でもなく有限でもないのであろうか。

二三 何が同一なのであるか。何ものが別異なのであろうか。何が常恒であるのか。何ものが無常なのであるか。また何ものが無常にしてしかも常恒なのであるか。また何がその両者(無常と常恒)ではないのか。

二四 【ニルヴァーナとは】一切を認め知ること(有所得)が滅し、戯論が滅して、めでたい【境地】である。いかなる教えも、どこおいてでも、誰のためにも、ブッダは説かなかったのである。


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