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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は疾疫流布で尊鎮親王等が二千巻心経を読誦した日。

2025-05-12 | 法話
今日は疾疫流布で尊鎮親王等が二千巻心経を読誦した日。享禄四年(1531)五月十二日条「十二日 疾疫流布ニ依リ 青蓮院入道尊鎮親王 勧修寺尚顕、第二千巻心経ヲ読誦セラル」(二水記)(・天皇は後奈良天皇。室町幕府は十二代足利義晴・青蓮院入道尊鎮親王は後柏原天皇の皇子。青蓮院に入り親王となり出家。天台座主。・勧修寺尚顕は権中納言であった第9代当主・勧修寺政顕の実子。室町幕府第9代将軍・足利義尚の偏諱を受 . . . 本文を読む
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今日は大師が遣唐使船に乗船された日です。

2025-05-12 | 法話
・延暦二十三年五月十二日、大師三十一才の御時、遣唐使藤原葛野麻呂と同船される。(「御遺告」に「更に發心を作して去んじ延暦二十三年五月十二日を以て入唐す。初めて學習せんが為なり。天応慇懃にして勅を載せて海を渡る。彼の海路の間三千里なり。先例は楊蘇州に至って質さわりなし云々。しかるにこの度七百里を増して衡州に到り礙多し。」)・「扶桑略記抄」延暦二十三年五月十二日条に 「大安寺空海和尚、生年丗一、入唐の . . . 本文を読む
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今日は疫病を払うために十七寺で大般若を読誦させた日

2025-05-11 | 法話
「文徳実録 」「仁寿三年五月庚子(11)条(853)「庚子 詔 十七寺読大般若経 限三日訖 攘災疫也」 . . . 本文を読む
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今日は天然痘流行で全国で仁王会を修させた日

2025-05-11 | 法話
日本紀略 / 正暦五年(994)五月十一日壬戌条「十一日壬戌 五畿七道諸国に仁王会を修すべきの官符を給ふ。 疾病を攘ふ為也」(天皇は一条天皇。この年、天然痘が流行し、京の街中に蔓延し、路上には死者があふれたとされる。) . . . 本文を読む
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今日は律僧学如の示寂された日

2025-05-11 | 法話
今日は律僧学如の示寂された日 密教大辞典による 学如「安芸福王寺の学僧。・・芸州可部村の人、享保元年十一月十四日生。年十三學範に従って薙髪し諸方に歴遊し・・・南山に登り妙瑞に師事す。かくて同士密門等と共に律儀の復興を誓ひ自誓得戒して苾蒭となる。妙瑞その法器たるを知りて授るに野澤の秘奥安流の淵源を以てす。師帰りて錫を福王寺に掛け苦修練行。行すでに成るや有部律を興し密蔵を弘演す。道化四方に播き受法 . . . 本文を読む
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今日は親鸞上人が上宮太子御記を書写された日です

2025-05-11 | 法話
今日は親鸞上人が上宮太子御記を書写された日です。「上宮太子御記」の奥つ城には「親鸞書寫す、正嘉元歳丁巳五月十一日書寫之 愚禿親鸞 八十五歳」」とあります。以下「上宮太子御記」です。「上宮太子御記(親鸞聖人撰述)「釈迦の正覚なしたまひし日より涅槃にいたりたまふよにいたるまで、ときたまへるところのもろもろのみのり、ひとつもまことにあらざることなし。始めには華厳を説いて解らしめたまふ。日のいでまず高峰を . . . 本文を読む
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今日は持統天皇が諸国に金光明經百部を置いた日

2025-05-11 | 法話
今日持統八年694、五月十一日は持統天皇が諸国に金光明經一百部を置き読誦させることとした日です。日本書紀・持統天皇の項に「(即位八年)五月癸未朔戊子、饗公卿大夫於內裏。癸巳、以金光明經一百部送置諸国、必取毎年正月上玄讀之、其布施以當国官物充之」(五月十一日。金光明経百部を諸国に送置く。必ず、毎年、正月の上弦(カミツユハリノヒ=7日8日)に取りて読め。その布施はその国の官物を当てよ。)金光明最勝王経 . . . 本文を読む
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今日は賀茂神社に金剛般若経一千巻を転読した日

2025-05-11 | 法話
  『続日本後紀』承和六年(839)五月辛卯(11日)条 「今日より始めて三箇日を限り、賀茂大神(賀茂神社)の為に金剛般若経一千巻を転読す。」 この頃は仁明天皇の病気平癒祈願の記事が頻繁にみられます。 賀茂神社は神仏分離が昔からすすんでいたと思われていますが、実はここの神仏一体でした。 上賀茂神社には「紺紙金字法華経」が奉納されていますし、 https://www.googl . . . 本文を読む
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今日は7年続く疫病で下賀茂上賀茂両社で祈願した日

2025-05-10 | 法話
今日は7年続く疫病で下賀茂上賀茂両社で祈願した日。続史愚抄 / 延徳四年1492五月十日巳卯条「十日巳卯 賀茂下上社に於いて病事御祈仰せらる <他社及諸寺も同じ歟 >天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は十代足利義材文明十八年1486から7年間疫病が続き、この後、延徳四年七月十九日には延徳から明応へ改元しています。(「妙法寺記」による) . . . 本文を読む
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平城天皇が飢饉疫病に際して給付と免税をされた日。

2025-05-10 | 法話
貴族政治と言われている平安時代でさえ、飢饉疫病に際して大乗経転読に加えて給付金や減税をしていました「脩徳は虚ならず」としています。 日本後紀 / 大同三年(808)五月辛卯(10)条「辛卯 (平城天皇)詔して曰く ・・・ 頃者天下諸国 飢餒繁に興る 疫癘相尋ぎ 多く夭折を致す ・・・ 其の畿内七道。飢疫を言上せる諸国は 今年の調 宜しく咸く免除せよ 仍ち国司は親しく郷邑を巡し 医薬営救せよ 兼て . . . 本文を読む
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今日は疾病対策のため諸寺社において仁王経を読ましめた日

2025-05-10 | 法話
日本紀略・延喜九年909 五月十日「疾病に依り、諸寺諸社において仁王経を読ましむ・・」 天皇は醍醐天皇。延喜8年(908)の夏季から延喜9年(909)の夏季にかけて、疫病の大流行があり、そのなかで、. 延喜8年(908)に、平安京では「咳逆」(インフルエンザ)が流行していた。 . . . 本文を読む
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今日は疫病を払うために大極殿や賀茂神社等で大般若を読誦

2025-05-09 | 法話
今日は疫病を払うために大極殿や賀茂神社等で大般若を読誦させた日「文徳実録」 「 斉衡三年五月庚戌(9)条(856)「庚戌 請僧二百五十人於大極殿 及冷然院 賀茂 松尾神社 分読大般若経 限三日訖 攘災疫也」 仁寿三年853には天然痘の大流行があったばかりですがこの天然痘がまだ残っていたのでしょう。 . . . 本文を読む
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今日は疫病封じで大覚寺の勅封般若心経を後土御門天皇が拝された日です。

2025-05-09 | 法話
続史愚抄 / 延徳四年1492五月九日戌寅条「九日戌寅 疫病流行 因って大覚寺般若心経(注1)を召して宮中(注2)に於いて御頂礼あり云 抑も京畿諸国大疫し 死者相枕 寛正に云ふがごとし(注3)」 疫病で延徳四年七月十九日には延徳から明応へ改元しています。(注1) 大覚寺般若心経。嵯峨天皇が大師に勧められて疫病退散のために心経を写経されて霊験を現したことが大師の般若心経秘鍵にあります。「上表文。時 . . . 本文を読む
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今日は疾疫に依り紫野に疫神を祭り御霊会を行った日

2025-05-09 | 法話
日本紀略 / 長保三年(1001)五月九日庚辰条「九日庚辰 紫野に於いて疫神を祭り、御霊会と号す。天下の疾疫に依る也。是日以前、神殿三宇・瑞垣等木工寮修理所造也。又神輿内匠寮之を造る。京中上下多数此の社に集会す。之を今宮と号す。」(これが京都紫野の今宮神社の濫觴とされます。桂昌院はこの今宮神社再興につとめ、護国寺にも今宮神社を境内社として勧請しています。明治の神仏分離でいまは江戸川橋にあります。) . . . 本文を読む
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今日は疾疫に依り 諸寺諸社に 仁王経を読ませた日

2025-05-09 | 法話
日本紀略 / 延喜九年(909)五月九日条「九日 疾疫に依り 諸寺諸社に於いて 仁王経を読ましむ」 ・天皇は醍醐天皇、「延喜の治」と呼ばれ安定していたように見えるがこの年延喜九年は藤原時平が道真の祟りで頓死したとされます。 ・続日本紀・巻第四十・延暦九年の末文に「是年秋冬。京畿男女年卅已下者。悉豌豆瘡を発す。〈俗云裳瘡。〉臥疾者多し。其の甚しき者は死す。天下諸国往往而在」(都と畿内に住む三十歳 . . . 本文を読む
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