mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

絶景のソロキャンプ、瑞牆山

2020-08-26 15:43:07 | 日記

 一昨日(8/24)から一泊で瑞牆山へ行ってきた。野反湖方面へ行こうと考えていたのだが、生憎そちらの好天は1日しかもたない。kwrさんが「みずがきやま自然公園キャンプ場」がいいらしいと調べてくれた。しかもルートは、これまで上ったことのある瑞牆山荘からではなく、自然公園からぐるりと一回りする周回ルートという。北杜市が力を入れて開発し、平成8年頃から周回ルートを策定したらしい。
 もう40年も前になるが、不動沢を俎上して瑞牆山に上ったことがあった。しかしそのときは、ザイルを背負っていたし、下山も岩場を懸垂下降するといういわば訓練のためであった。だから、不動沢を登るルートが一般登山路として開かれているというのは、初耳。彼の提案に乗ることにした。
 
 浦和から車で約3時間。昔風に言うならば前夜泊の山行というわけだが、年寄りの登山としてはゆとりもあって好ましい。テント生活二度目で面白くなってきたkwさん夫妻と現地で合流することにした。瑞牆山荘で合流してキャンプサイトに向かうとしていたのだが、私のnaviが案内するルート上にあるはずの瑞牆山荘が、見当たらない。その頃突然の大雨。ワイパーを早回ししながらすすんでいたから、見過ごしたのだろうか。しぜん公園に着いてしまった。電話をすると、山荘に来ているという。はて一体、どうしたんだろう? そちらに行くよということで、キャンプサイトの草地広場で会うことになった。kwrさん手持ちの地図で見ると、中央高速の須玉ICからくる道が、北杜市に入ってから増冨鉱泉を通る道と川上村へ抜けるルートとに分岐する。その川上村へ抜けるルートがさらにまたもう一度分岐して「みずがきやましぜん公園」に入る。その方が、瑞牆山荘を通るよりも短いらしいと分かった。
 
  北杜市の設営したしぜん公園キャンプ場。中央に管理棟を置き、ロッジやレストランやトイレや農産物などの販売所がもうけられているキャンプ場は、何カ所か水場も設けられ、獣除けの通電ワイアが取り囲む草地が広がる(ロッジやレストランはやっていなかった)。車を止めテントを張るのは自在にというわけ。その中央部の草地広場の外にも草地があって、そちらにも幾張りかテントを張っている。なによりも広い木陰にテントを張って北の方をみあげると、目に入る範囲全部に瑞牆山が広がっている。おりから午後2時の陽ざしを受けて標高2020メートルの峨峨たる岩山が明るく聳え立ち、麓を覆う緑がいかにも夏の日を精一杯吸い込んで輝いている。
 kwさんたちはディレクターズチェアを出して腰を下ろし、私はブルーシートに座って、ビールを空け、ワインを嗜む。おつまみも用意して、一週間ぶりの言葉を交わしながら、このキャンプ場のいごこちのよさをほめそやす。まるでスイスのリゾート地に遊びに来たように気持ちがいい。

  4時過ぎだったろうか、東御市にいるはずのswdさんから電話が入る。
「いまどこですか?」
「みずがきしぜん公園キャンプ場」
「そこのどこですか?」
「えっ? こっちへ来てるの?」
 kwrさんが起ちあがり、陽ざしの中を入口の方へ向かう。
「ああ、みえた。みえました。今行きます」
 なんと、swdさんと彼女の友人が車でやって来た。今日の山行のことは、山の会の人たちにも知らせていた。 swdさんたちは、今朝やってきて、金峰山に登り、9時間の行程をこなして、私たちに合流しようとやって来たという。
 いやあ、いいね。こういう、合流の仕方って。swdさんたちは、立山や蓼科山を経めぐっていたらしい。彼女たちはそれぞれがご自分のテントを積み込んでいる。ソロキャンプってわけだ。
「コロナ時代の山歩きはソロキャンプね」
 と、swdさんは力を入れる。立山の雷鳥沢でもソロキャンプをする女の人たちがずいぶんいたらしい。
「あなたは寿命が70って言っていなかったっけ。いつから元気になったの?」
 と私が話を混ぜ返す。彼女は、母親も叔母も七十のときにすい臓がんになって身罷ったらしい。そこで七十までに日本百名山を登るのだと、私の山行に同行したこともある。彼女は、kwrさんの知り合いの医者を紹介されて診察してもらい、すい臓がんの気配はないとお墨付きをもらった。
「そうなのよね。次のステージがオープンしたの」
 と、今年の70を目前にして開眼したと、意欲いっぱいにソロキャンプをすすめる。
 
 草地広場のテント場には、大きなインディアンテントを張ったり、その脇にタープを張って食事に力を入れたり、薪を焚く鉄製コンロを借りて火を燃やし、調理している人たちもいる。あとから車でやってきて、テーブルや組み立て椅子を出して、いかにもキャンプ生活を楽しむ構えの一群もいる。ファミリーというよりは若い人のグループ十数組。子どもたちはすでに学校が始まっているのか、姿を見せていない。それでもテントの距離は、ポツンポツンと何をしているのかさえ気にならないほど閑散としている。近場に張ったswdさんたちの話し声も聞こえない。
 
 翌朝(8/25)4時少し前に目が覚めた。kwテントは動き始めた。4時に目覚ましが鳴っているのは、swd組のようだ。空には雲がかかっているが、昨夜は雨が落ちなかった。涼しい。標高が1500メートルほどあるから、奥日光の湯元と同じだ。先週の上州穂高の宝台樹キャンプ場よりも3、400メートル高い。寝袋やテントマットは片づけるが、テントは下山してから車に積みこむことにする。一泊二日は張っておいていいからだ。「豆乳のそうめん」にお湯を入れて待つ間に、「安曇野の飲むヨーグルト」とコーヒーを頂戴する。どれもが、はらわたに素直に染み込む。今日はうまく登れそうな気がする。「後から行きます。気にしないでいってください」とswdさんたちは、朝食とおしゃべりを楽しんでいる。ルートも変えるかもしれない、とも。
 ではではと出発。5時15分ころか。舗装林道が分かれる地点に、注意書きがあった。巻機山で見落としていたから注意して読む。
《みずがき林道から不動沢へ向かう橋が崩落しております。たいへん危険ですので、通行を控えていただきますようお願いいたします。山頂を目指す方は、瑞牆山荘登山口をご利用ください》
 なんだ、これは。通行不能ってことか?
「昨日、受付でこのルートのことをきいたら、危ないって言ってなかったよ」とkwrさん。丁寧すぎる敬語といい、いかにもお役所の(言っておいたぜ)という魔よけのお札みたい。行こ行こ、徒歩をすすめた。舗装林道が終わり、「四駆じゃないとムツカシイ」とやはり受付の方にいわれたざれた道をすすむ。先週の武尊山の神社奥の林道よりは、走りやすいと思った。その林道終点には十分すぎるほどのスペースがあるから、車を止めるのには不都合はない。ここまで車を持ち込むと、行程が40分省略される。
 
 でもすぐに沢には入らない。不動沢の左岸に沿って10メートルくらい高いところを詰めていき、沢に降りるところに、しっかりした橋がある。その先には、補修したのであろう、手すりの金具がまだ新しいクサリ。沢は大きな流木が大石の間にとどまり、水の量は多い。水量が多くなると沢床を歩けなくなる。そのために沢岸上の方に大木が橋代わりにおかれ、それがいかにも滑りやすく危うい。雨が多かった今年の6、7月は「通行禁止」もやむを得なかったか。
 沢は瑞牆山の南西側にあるから朝陽はささない。針葉樹林の木間越しに岩山の一角が朝日を受けて明るく輝くのが見えた。5時48分。向こう岸へ渡るように倒れた大木が途中で折れている。これを渡るのはムツカシイなと思ったら、その脇に沢に降り立つ踏み跡があり、沢床を歩く。ちょっとしたルートファインディングだが、結構人が入っているらしく、踏み跡と赤テープをみていくと迷うことはない。沢に沿った橋にのしかかるように老木が倒れ掛かり、それを切りとってルートを歩けるようにしているのがわかる。倒木を乗っ越す処もある。
 
 不動滝に出る。30メートルほどの大岩を水が流れ下る。表面をなめるように流れているところもある。6時38分。出発してから1時間13分。コースタイムは1時間35分だから、少し早いか。見上げると暗い樹林の上の青空に、朝日を受けながら飛ぶジェット機の飛行機雲が二筋の線を引いて横切る。そう言えばここは、新潟から関西方面への飛行ルートになっているのだろうか。キャンプ地にいても、何機もの飛行機雲をみた。明るいシラカバの林を抜けると傾斜が急になる。苔むした大岩の脇を踏み、岩の間から張り出した大木の根を踏みつけて上るようになる。朝の上りは気持ちがいいと、kwrさんは快調だ。途中で先頭を彼に代わる。岩の山だとわかる大岩が迫り出してきて、岩登りも始まる。シャクナゲが多くなる。kwmさんが「花の百名山でしたっけ?」と聞く。わからない。田中澄江がここに求めたとすればシャクナゲだが、シャクナゲの山ってもっと沢山ある。
 途中の木に「ししくい坂 頑張って」と書いてある。上から降りてくる人にはよく見えるが、上ってくるものは振り返らないとわからない。どちらに「頑張って」と声をかけているのだろうか。富士見平の方から登る瑞牆山の岩登りはなかなか面白い醍醐味があった。それに比べたら、こちらは登りやすい傾斜もうまく配分されていて、息切れするようなところがない。
 ところどころに岩の名前を記した青色のトタン板が張り付けてある。それももう色があせ、一部は折れて落ちてしまっている。小川山への分岐があった。こんなところから登る人もいるんだ。
「左王冠岩」と表示があるので振り返ると、木々を巻き付けた鋭鋒が向こうに見える。「弁天岩」「クーラー岩」と、なんにでも名前を付けている風情。青いトタン板はもう古びて昔の名残をとどめるという感じだ。
「***降りるのは違います。***山頂まで引き返してください」と何やら不思議な看板がある。***のところは、たぶん赤かオレンジで書いてあったのであろう。色あせてしまって消えてしまったようだ。そういうルートを間違える人がいたからこその掲示だったのだろう。ということは、山頂が間近ということか。あるいはこれを読む当事者は「もっと上に書いてよ」といったのだろうか。8時9分、山頂手前の分岐に出る。ここで間違えると、目的地に下れないというわけだ。
 
 山頂着。8時15分。出発してからちょうど3時間。コースタイムで歩くのが、普通になった。5人ほどの先着者がいた。不動沢ルートは私たちが最初の登攀者。どうして? 沢沿いの踏み跡で蜘蛛の糸が何度か顔に張り付いたから、それ以前に登った人がいないと思っていた。お茶を沸かし、あるいはコーヒーを豆を挽いて淹れている人もいる。何十人が載っても大丈夫という山頂の広い大岩は陽ざしを受けて360度の見晴らしが利く。小川山、国師ヶ岳、金峰山、富士山も少し雲を被っているが、高さを誇って頭を突き出している。南の櫛形山は雲の上に山頂部がちょっと見えるだけだが、その右の方には、間ノ岳、北岳、鳳凰三山、仙丈岳、甲斐駒ヶ岳と南アルプスが勢ぞろい。
「その向こうのは木曽駒かい?」とkwrさんが訊く。中央アルプスの木曾駒ケ岳や空木岳が遠景に少し霞む。双眼鏡でもあれば、御嶽山や乗鞍岳も見えるかもよという。西をみればこれまたくっきりと、八ヶ岳が編笠山から蓼科山まで屏風のように見晴らせる。すぐ間近には屹立する巨岩を目にすることができる。その向こうの下界は、雲が張り出して雲海にみえる。北西の方には平地から雲が湧きたつ。気温が上がってきているのだ。
 アラフォーの女性が八ヶ岳を背景にカメラのシャッターを切ってくれという。持つと軽い。一眼のミラーレスというやつだ。ほほう、こりゃあすごい。シャッター音まで軽快で上等に聞こえる。
 次から次へと人が上がってくる。上にいた人も挨拶をして下山にかかる。いい天気に、kwrさんは寝そべってしまった。私たちはswdさんたちが来るかと40分も長居をして、下山にかかる。
 
 9時少し前に出発。富士見平へと降る。こちらのルートは2014年10月15日に、山の会で歩いている。日帰り登山。最高齢のoktさんが桃太郎岩から上部の岩場をよじ登り、同じルートを「こんなところ登ったかなあ」と言いながら下ったことが思い出される。今日は、私たちが下山するころから、人が上がってくる。岩場ばで上り下りで場を譲る。上から降りてくる若い人たちにも順番を譲る。彼らはたちまち姿が見えなくなる。瑞牆山が人気の山だということを実感する。
 やはり昨年来の台風や大雨のせいか、崩落が起きている。流れ落ちてきた倒木が谷間に無残な姿をさらす。鎖も新しくつけられていて、6年前よりも容易に下っている気がする。kwrさんもkwmさんも道を譲るとき以外は、休むことなく、順調に下った。1時間10分。コースタイムより10分多いが、交叉するときの待ち時間を考えると、まずまずの時間だ。
 桃太郎岩からは若干の上りが入る。kwrさんは「こいつは草臥れる」と弱音を吐く。上から登って来たグループが「おおっ、年上がいるぞ。ベテランだ」とkwrさんをみて軽口をたたく。「違うよ、ヘテランだよ」と応じる。「ヘタッテルンダヨ」って通じたかな。
 コースタイムより早く富士見平小屋に着く。2組が食事をしている。キャンパーだろうか。明るく、テーブルや椅子が設えられている。小屋に人気はなさそうだ。少し休んでおしゃべりをして、いよいよ最後の下りに入る。10時40分。10分足らずで「みずがき自然公園→」へのルートに入る。上部から水がざあざあと流れ落ちて、側溝へ消えていく。いかにも「みずがき」って感じだなこれは、と思う。広い林道。苔むしてもいる。緩やか、かつ、快適に下り、5分ほどでシャクナゲや樹林の中の道に入り、ここも、ふかふかと落ち葉が積もって歩きやすい。
 kwmさんが紅葉を見つけた。モミジがそこだけ朱くなって際立つ。クリンソウの群落があったのであろう。終わった花が実になりかけている。道の両側はう~んと苔むしていて、まるで築庭された箱庭を散歩しているようにみえる。天鳥川を越える木の橋を渡ると「←草地広場・草地広場→」と反対側に行きかねない標識があって、どっちだろうと戸惑う。いや、左だよ当然、と左へ道をとる。下に道路が見えるよというので、そちらに降りる。まだ少し、キャンプ地には距離がある。照りつける陽ざしは11時半過ぎ。まもなく真昼に近い。日陰を辿って歩くようにするが、道路沿いにはそれほどの樹木がない。ならば、そちらの草地に入ろうと踏み込むと、そこはテント場すぐそばの草地であった。
 11時45分。出発してから6時間半。山頂の40分を除くと、5時間50分。コースタイム通りに歩いたようになる。歩くコースタイムの面目躍如ってところだね。
 
 swdさんたちの車はなかった。登らないで、帰ったのかもしれない。ま、それもいい。ソロキャンプが、コロナ時代の山歩きだとすると、現地集合、現地解散の集合方式で、交通手段はそれぞれに工夫工面する。そういう時代になったのかもしれない。


「わたし」が面白い

2020-08-26 06:45:24 | 日記
 
文化の細いきずなとナショナリズム

  大澤真幸が「想像の共同体」を梃子にまとめたナシ ョナリズムの五点の特徴をもとに、さらに踏み込んで話をすすめていきたい。    ① 「知らない者同士」が国民である。    ② ......
 

  昨日まで山に入っていた。その記録はこれから取りかかる。去年のこの記事を読むと、すでに「中世」化が現れている。このところときどき引用している田中明彦の「新しい中世」とは切り口が違うが、彼の用いる言葉がニンゲンの変容によって時代相のなかにあらわれていると言ってもいいように思う。

 自分の書いたことをすっかり忘れて次から次へと関心が移ろっているように思っているが、案外、わが身に堆積していることが、思考の継続性をたもってくれてているんだといえるのかもしれない。「わたし」が面白い。


なぜホンネをさらけ出すのはみっともないのか

2020-08-24 05:58:09 | 日記

 アメリカの大統領トランプは、実に子どもっぽい。自分の気に食わないことはウソかデタラメ。対立する人はクレージーであり、極左暴力主義者であり、秩序の破壊者だ。敵か味方かという政治力学の図式通りに世界ができていて、共和党の集会は壮大なエンターテインメント。主役の自分は、聴衆を喜ばせ、参加者の娯楽となるような出し物を提出して憂さ晴らしをしていただく。もちろんご自分も、存分に憂さを晴らす。率直にホンネをさらけ出して、思い浮かんだことを口にしている。
 
 いささかでも不都合を感じたら、その障害になる「敵」をみつけ、そこへ攻撃を集中する。口を極めて悪罵を投げつけ、相手がビビるとみるや、そこへ抜け目なくつけ込む。いじめっ子の典型であり、その近視眼的な世界は、少しでも歴史的に世の中をみて来たものにとっては、開いた口が塞がらないほどバカげている。でもあまりにバカげているから、まともに相手にしたくなくなる。トランプはますますつけあがる。
 
 不思議なのは、その彼を間違いなく支持する岩盤のような人々の存在である。私はアメリカ人というのをそれほど知っているわけではないから、これまでに読んだ本や観た映画のイメージでかたちづくったアメリカ人大衆を想いうかべているのだが、TVの画像に登場する「集会」の参加者たちの熱狂は、信じられないくらい夢中である。本気なのだと伝わってくる。バカげているというより、文字通りバカだと思うほどだ。
 そう思う人がアメリカにもいるからか、トランプを支持する人が「隠れトランプ」と呼ばれるように、身を隠す。彼を支持すると公言するのはみっともないと感じているのだ。でも隠そうと隠すまいと、彼の振る舞いは日々、電波に載って世界中にばらまかれている。つまり、アメリカ人って、こんなにバカなのだと宣伝している。いや、ただのバカならば、話題にもならない。そのバカが世界随一の軍事力を持ち、経済的な位置を占め、世界中に通用するドル札という紙っ切れをふりまいて、他国と他の人々を右往左往させている。旧来の条約や取り決めを反故にし、文字通り暴力的にも、我が儘ではた迷惑な振る舞いがこの4年間席巻してきた。
 日本のアベサンもよくつきあったと思うが、もともと体質的に二人は似ているから、案外アベサンは苦にしなかったのではなかろうか。
 
 だが私たちは、トランプの振る舞いをみて、なぜみっともないと感じるのか。
 国内向けの言葉をホンネとして披瀝するだけでなく、対外的にもそれを口にして憚らないのは、言葉や論理で相手と交渉するというよりは、とどのつまり腕力が強い方が強いんだよと、思い知らせて相手を屈服させるってことしか、彼の交渉術にはないってことか。そこには、近代が育んできたさまざまな交渉よりも、そのベースに流れる力関係が決定的だということが表面化しただけなのではないか。つまりマキャベリの(騙したりウソをついたり裏切ったりする)文化的な装いすらはぎ取って目的合理的な最短距離を突っ走れという、ポスト近代の手法を先取りしているということなのか。
 つまり私たちの感性は、いまだ近代文化の衣をまとっていて、トランプはそっくりそれをはぎ取って応対していると。エデンの園でリンゴを食べた二人は「裸でいることが恥ずかしくなった」が、今は逆に、「衣装を着ていることが恥ずかしくなった」トランプの前で、衣をまとうという醜態をさらしているのであろうか。
 
 みっともないという感触は、古い道徳観から来る「美意識」なのだろうか。今はホンネをさらして、率直に好意・敵意を剥き出しにして人に対するのが、ニンゲンらしい態度なのだろうか。アベサンをみていて、トランプと同じだと思うのは、この点だ。
 私たち年寄りの持っている(これこそ日本人の多数がもつと思う)古い「美意識」からすると、敵意を剥き出しにして接すると、相手の人も必ず敵意を剥き出しにするようになり、売り言葉に買い言葉というふうに、「かんけい」は対立的になる。いうまでもないが、では逆に、好意をもって(あるいは敵意を隠して)対すると、相手も同じようにしてくれるかというと、必ずしもそうではない。そこが、難しいところ。ジレンマに陥る。でも政治の世界って、「敵―味方かんけい」が本質なのだから、それも仕方がない。だが、国家の首脳が取り仕切る「かんけい」は、ニンゲンの社会にベースを置いている。ニンゲンのかんけいが、基本的に「相見互い」で構成されていることは、近年の脳科学の実験でも証明されていることである。ましてグローバルに「相互依存」の関係が深まっている現代においては、ヒトとヒトとのかんけいの作法と国家と国家の関係の作法とが、それほどにかけ離れているはずがない。
 
 だがまず、自らが「好悪」「善悪」の関係をひとまず棚上げにして、人に対して友好的に接することからはじめなければ、「かんけい」の改善は望めない。じつはトランプも、#ミー・ファーストが結局のところ他者の協力を得られない地平であることに、ぶつかっている。ところがトランプは、驚いた行動に出る。たとえば今日のネットニュースの配信。新型コロナワクチンの製造を大統領選の後、11月以降に送らせようとしていると政府の薬事局を非難したのだ。何という無茶ぶり。ここまでくるとお笑いになる。
 だが、トランプ支持の岩盤は崩れない。これは、たぶん、アメリカという社会の捨て置かれた人々が、ほとんど顧みられる余地をもたないからではなかろうか。トランプはその世界と社会体制の(知的に権威主義的な)欺瞞を突き崩してくれる。そう期待しているのだろうか。
 昔ながらの、ささやかな日常を味わいながら暮らしていた人たちが、経済的な変動に揺さぶられ、適応しようと右往左往するにもかかわらず、如何ともしがたい壁にぶつかる。個々人の責任で生きていくという共和党的世界が、グローバル化に伴う多数の移民の流入によって崩され、古き良き時代が消えていっている。良き時代の再来するを希望する人たちが、そうした魂の声に近い(ホンネの)叫びを脈絡なく繰り返すトランプに、期待を寄せているのだろうか。
 
 つまり、民主党か共和党かという区分けだけでなく、社会の中下層にいる人たちの黙しがたいが、でもどこへぶつけていいかわからない「ふんまん」が噴き出しているのがトランプ現象だとすると、ニンゲン社会がすでに限界を通り越していて、調整不能な段階に来ているのではなかろうか。
 限界を通り越しているから、たとえば「民主主義的自由」な社会体制では「国家」すら保つことができず、中国のような独裁制やロシアのような裏社会的暴力性が横行することで、かろうじて「(国民国家の)社会」の体裁が維持されているのではなかろうか。
 とすると、「みっともない」とかバカげているという美意識の次元ではなく、ホモ・サピエンスの末期症状としてコトを見直してみる必要があるような気がするのである。


みなまではみず

2020-08-23 07:06:35 | 日記

「剣ヶ峰山って登った?」と夕刊をみていたカミサンが聞く。
「うん、のぼったよ。どうして?」
「今年の山だって、ほらっ」と、夕刊の1ページを開いて見せる。
 一面の1/3をつかうほどの大きさに武尊山の山頂からと思われる剣ヶ峰山の「鋭鋒」がど~んと座っている。《激動の2020 不動の2020》の見出し。
 
 そうか。剣ヶ峰山の標高が2020メートルだったかと、4日前に登った上州武尊山と周回ルートの一角にある剣ヶ峰山のことを振り返る。じつは、厳密には上っていない。去年、剣ヶ峰山まで登り、調子の悪くなった人がいて、その先の上州武尊山には行けなかった。今年はそのリベンジで、逆コースを歩いて上州武尊山に登り、剣ヶ峰山へのルートを歩いた。今年の調子は良く、武尊山から剣ヶ峰山へ向かう途中で雲が取れ、夕刊の写真に載っていたような景色が一望できた。剣ヶ峰山のすぐ下に下山の分岐があり、ま、去年上ったんだから今年はいいよねと笑いながら言葉を交わして、下山の道をたどった。
 そうか、「今年の山」か。もしそうと知っていたら、剣ヶ峰山へ足を延ばしたのになあ、といま思う。みなまではみず、ってわけだ。
 
 夕刊の記事は、川場からの積雪期は「さらに登りやすい」と記してある。武尊山側からみると鋭く尖って見えるが、川場からの稜線はなだらかな台地上になっている。「クリスマスごろからリフトも動く」と、さらに登りやすさを強調して誘っている。さてまた、再々リベンジとなるか。
「今年の山」って言葉を最初に意識したのは、1982年の石鎚山。香川県高松生まれの私にとっては、子どものころから耳にしいつかは上りたいと思っていた山だったから、1982年に報道を目にして、気に止めたのだ。でも石鎚山に登ったのは2013年の5月。私の兄二人と一緒に瓶ヶ森から入り山頂にも一泊した。長年の大願成就であった。
 
 週1で山を歩いていると、「今年の山」っていうような「記念登山」はほとんど胸中にない。同じ山を何度も登ることもある。でも夕刊のような記事になってみると、剣ヶ峰山は、上州武尊山の(ルート上の)おまけというよりも、それ自体でなかなか威風堂々とした名山である。ことに、武尊神社から登ると、最後の分岐のところから山頂までの屹立が、岩場もあってなかなか面白い。
 みなまではみずという思いが、ますます名山気分を増してくれる。木下こゆる記者・伊藤新之助カメラマンと同じ週に、同じルートを登ったことで、ちょっと違った感懐を味わったと、よろこんでいる。


#ミー・ファーストと国際協調とパレート最適

2020-08-22 17:07:13 | 日記

 イランに対する非核化圧力を強めようとトランプが言い出した。それに対して英仏独ロ中が、「勝手に(イランの非核化合意から)離脱しておいて、いまさら何を言うか」と同意しない。それはそうだろう。
 トランプのやることを見ていると、まるで国際関係のいろはも知らない素人が、大きな権力を振り回して、駄々をこねているように見える。そして一つ一つ躓くごとに、素人が学ぶように、その世界のことがどのように出てきて来たかを知り、その意味をはじめて体感することになる。つまり、トランプ以前の世界をつくりあげた「関係のネットワーク」の「壁」にぶつかるのだ。
 振り返ってみれば、4年前にトランプが攻撃したのは「戦後国際政治の理念」であった。それがわりと単純に、国際協調の理想に向けて作られていると理解していたのは、ナイーブな日本人であって、じつは、様々な利害とその背景にある力関係が絡み合って、かろうじて日の目を見た到達点であった。日本人がそれに対してナイーブであったのは、第二次大戦の敗戦国であり、ドイツとともに、いまだに国連の「敵国条項」の適用を受けている立場であるからでもある。それ以上に、敗戦後の日本国憲法の「理念」によって、ある種の(欧米民主主義の)モデル的な出立をしたからでもあった。だから私がここで、素人と呼んでいるのは、私を含む日本の庶民であり、トランプを指示する、憤懣を抱えるアメリカの貧相な暮らしを強いられている白人の庶民である。
 トランプは「強いアメリカの再来」を看板に掲げる。その「強いアメリカ」をバックに「#ミー・ファースト」を矛先にして、旧来の知的権威に対して攻撃を仕掛けてきた。ナイーブな私などは、な
 第二次大戦時のアメリカは、民主主義と国際的な協調を看板にして、自国は戦場になることなく漁夫を利を得るようにして経済的にも世界の頂点に立った。反ファシズムや反軍国主義の看板は、アメリカ国民を奮起させるための(日本流にいえば)タテマエだったわけだが、日本占領をしたときの日本国憲法の原案を作製した民政局おの若いリーダーたちは、アメリカにさえない「理想的な憲法」をつくろうと力を注いだと、いつだったかその当事者が語っていたことがあった。私のような戦中生まれ戦後育ちのものには、その「理念」がまっすぐ戦後社会の目標として身に入ってきた。
 そのアメリカのタテマエが、タテマエに過ぎないとわかるのには、そう時間はかからなかった。占領軍の統治が、日本に対する軽蔑的な態度と差別的な意識に満ち、かつ、後に松本清張が描く様な「工作」によって、政治過程の裏表が露出してきたからであった。だが私たちは(ナイーブにも)日本国憲法の理念を理想と受け止めて、思い通りに行かない現実過程を理解してきたのであった。
 トランプの登場は、いわば、アメリカ社会がタテマエを脱ぎ捨て、それまで裏街道で「工作」してきたホンネを剥き出しにしたと受け止めた。だから、トランプの国際協調への攻撃も、視野の狭さを思うことはあっても、この人たちは目前のコトしか関心がないと、理解していた。
 
  そうして、イランの非核合意実施へ向けての制裁を改めて発動しようとなったとき、何を勝手なことをしておいてホザイテいるかと、他の合意諸国から肘鉄をくらわされたというわけだ。面倒なアメリカではあるが、民主主義って、そういうものよと思うから、ほかの国々も、だったらもう一度イランの非核化合意協定に復帰しなさいよと、諭すようにしているのであろう。
 だが、そうしているロシアのプーチン政権は、反政府活動をしている活動家をこっそり始末しようとしている。中国の習近平政権は、香港やウィグル自治区への強圧的な締め付けで、自己保身に懸命だ。ヨーロッパもまた、イギリスの離脱と新型コロナウィルス禍で青息吐息にある。つまりみなさん、イランにかまっている暇がないほど、ミー・ファーストにならざるを得ない状態に置かれている。
 何の力もない日本の、何もできない庶民は、こうして、国際協調が「相身互い」をベースに築かれていて、とりあえず、その点だけはまだ保持されているんだなと、ベンキョウしているってわけ。
 
 ふと思い出したが、田中明彦という国際政治学者が、「相互依存の世界システム」というのを書いて、「パレート最適」という言葉を使っていた(『新しい中世』)。何だったっけ。もう一度本を開いて調べてみたら、こう書いてあった。

《相互依存関係から限界点まで利益を得ようとすれば、片方の利益を増大させたら、もう相手の利益を減少させなければならなくなるような地点に到達するであろう。(それをパレート最適という)》

 相互依存の関係が互いに利益をもたらす最適の地点で、かつて「イランの非核化合意」が締結された。むろんアメリカのバックにはイスラエルもついていたであろう。トランプは、それが弱腰であったとして、限界点を踏み越えて「#ミー・ファースト」を剥き出しにして、合意からの離脱したのだが、それがかえってイランの核開発を許容することになったことに気づいたというわけだ。
 それでもトランプさんが学んでくれればいいが、彼はあまり学習能力は高くなさそうだ。目前のことにしか関心がないと、先々のことは目の前にしてから考えるしかないというのは、私ら庶民の日頃の無様な姿だ。まあ、国際政治までもが、ほとんど私たちの日頃のやりくりと変わらない次元で行われているというのは、岡目八目の庶民が国際政治をベンキョウするいい機会でもある。
 ま、いろいろと教えてくださいな、USAの皆々さま。