mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

戦後の後の女一代記(下) お金の呪縛から解放される

2017-05-22 20:39:33 | 日記
 
 さて、Seminarのご報告を二回にわたって記してきました。ちょうど私たちが社会人になって現在に至るまでの、経済社会の中心に焦点を当ててsnmさんの55年ほどをたどったわけです。口を挟む方にも、それぞれの人の持つ、家族や、男や女に対するイメージや、お金に関する観念が混在して、踏み込むとなかなか多岐にわたって、己の戦後過程をたどるように思え、感慨深いものがありました。そのいくつかを拾い出して、書き留めておきましょう。
 
 Seminarが終わって会食に移る騒然としたなかで、どなたかとどなたかが言葉を交わしていました。
 
「いまNHKの朝ドラでやってるひよっこってあるでしょ。あれと一緒よ、私たちは」
「そうそう、昭和41年でしたっけ、あれは」
 
 昭和36年に高校を卒業して、すぐに就職した人たちもいましたが、大学へ進学した人たちが就職したのは、昭和40年とか41年でした。ドラマの「ひよっこ」は高卒後に東京へ就職した人たちが主人公ですから、私たちより5歳わかい。つまり、団塊の世代のトップランナーたちです。日本が高度経済成長へ向かっているさなか、定時制高校に就職した私の初任給は24000円。私が廊下に落とした「給与明細票」を拾った生徒が届けに来て、「こんなに安いのかよ。教師を辞めて俺の会社に来いよ。10万円だよ」と勧誘を受けたことをよく覚えています。インフレの進行に給料の改定が追いつかず、1970年のころにはボーナスがど~んと来て目を丸くしたことがあります。佐藤栄作や田中角栄が首相をしていたころです。でも私は、上から指図を受けることなくのんびり本を読んで過ごせる仕事がありがたいと思っていたので、毎年の給与改定を掲げる組合の方針に「ほどほどでいいんじゃないですか」と発言して、総スカンを食らっていました。
 
 話しはそれますが、私が教えていた定時制高校の生徒というのが、まさに新潟や福島、山形などから集団就職してきた「金の卵」たちでした。むろん中卒です。田舎に会場を設けて「地区PTA」というのを開くと、やってきた母親が「長男を高校へやれなかったから、娘を高校へ行かせるわけにいかなくて、就職させました。勉強の好きな子です。よろしくお願いします」と涙ながらにあいさつされて、言葉を失ったものです。彼らは四年間の定時制時代にお金を貯めて、半数ほどは大学へ進学していきました。私たちもそうですが、「ひよっこ」の主人公たちは(実家で高校を卒業しているのですから)、まだ恵まれた方だったと言えます。
 
 snmさんの「お金の話」がリアリティをもって伝わってきます。hmdくんは「snmさんは商才がある」と感嘆符をつけるように話していましたが、ほんのひと工夫、ふた工夫で、交換過程がお金を生み、それを蓄えておくだけでお金がお金を生む時代だったと言えます。ではhmdくんがいう「商才」とは何だったのでしょう。ひとつは、kmkさんが指摘していたように「岡山へ帰ってブティックをやったのが正解やった」といえます。snmさんが東京にいた学生時代にどのようにそれを磨いたのか興味がありますが、東京に四年間暮らすだけで十分、アパレル関係のセンスを磨くことになったのかもしれません。昭和36年から40年にかけては、VANやアイビールック、女性ではパンタロンとか、みゆき族やミニスカートの流行も見られました。つまり彼女が磨いたセンスが、当時はタイムラグをもって伝わっていた地方のブティック開業に、大いに役立ったというのが、kmkさんの見立てです。
 
 それにsnmさんの、問屋を介在させないで直に仕入れる、メーカーを開拓することが、利幅を大きくしました。「人の二倍働いて……」という構えは、私たちの世代に共通の「プロテスタントの倫理」です。さらに、着実に月々いくら貯めると決めてそれを貯金していくセンスが「商才」というものかもしれません。「節約」「倹約」の精神――ものを大事にする「もったいない精神」です。もちろん贅沢を知りません。
 
 時代はインフレ、預貯金の利息も7%~10%でした。7%だと複利計算で10年、10%だと複利計算すると7年で、預けていたお金が倍になります。「お金は借りない方がバカ」と言われていました。事業経営は、利益を次の事業につぎ込んで規模を大きくしていくのが面白いと言われています。だが、snmさんの商才は規模を大きくすることにこだわらなかったのが、良かったのかもしれません。鶏口となるとも牛後となるなかれ。小さくとも、自分の意思で取り仕切れる大きさを心得ていないと、ついつい大きく展開して行き詰ってしまいます。彼女の活躍時期と、日本経済の頂点にまで上り詰める時期とがちょうど符節をあわせていた。それを彼女は「幸運だった」といったように、私は受け取りました。TVの発達による「情報化時代」もすぐ目の前に来ていました。都会と地方のタイムラグも、まだ健在であったわけです。
 
 彼女はこだわっていましたが、ひょっとするとどなたかから「守銭奴」呼ばわりされたことがあるのかもしれません。だが「守銭奴」というのはお金を儲けることを指すのではありません。遣うのにケチでいぎたなく貯めることに執着するのを「守銭奴」と言ってきました。シェイクスピアの戯曲の登場するユダヤ人シャイロックのように、近代的な経済計算に徹している人を「守銭奴」と呼んでいたことがあるかもしれません。キリスト教やのちのイスラム教がいう「利息をとることは教えに違う」というセンスかもしれません。イスラム世界ではいまでもそうですが、でもいまは、出資している者たちが分け前を(出資に応じて)受け取ることは教えにそぐうと考えて、銀行業務などは欧米並みに展開しているのですから、今は昔の物語です。「守銭奴」と呼ばわるのは、お金を扱う人に対する嫉妬です。できれば自分にもそういう幸運が巡ってこないものかと思案しているヘイトスピーチです。
 
 経済計算ということでいえば、彼女は出入りをきちんと押さえれば、その間に貯まるものは貯まるという計算をきちんとしています。ご亭主が「だめなのよ、それが」というのは、出入りにこだわらず、「金は天下の回り物」という大雑把なとらえ方をしているのかもしれません。苦労知らずの育ちがいい人ってのは、えてしてそういうことに頓着しない。いつしか誰かが始末に走り回ってくれると、「周りの者」を信頼している、のほほんとしたところがあります。しっかりした会計係がいてくれて、かろうじて事業経営を続けている経営者は、たぶん、ごまんといます。それを、あれもこれも全部自分で取り仕切らなくてはならなかったところに、「女一代記」のすごさがあると思いました。
 
 途中から入室したmdrさんが「お金にしわい・強い女」というイメージで問いかけをくりだしたとき、「そういう文脈じゃないよ」と口を挟んだのは、お話を聞いた全体のイメージでは、お金にしわい」という雰囲気はsnmさんに微塵も感じなかったからです。むしろよれよりも、ご亭主の借金返済とは言え、貯めに貯めたご自分の財産を気前よく(なんでそれほどまでにして別れないのと質問が出るほど、別れもせずに)つぎ込んでいるというものでした。つまり、金離れがいい。お金の使い方を知っているというか、お金というものが天下の周りものだということを心得ているかのように、手放す。必要になれば稼ぐしかないという「天下の廻り方」を熟知しているような気配さえありました。
 
 なぜ別れないか。snmさんは照れて「気持ちがつながっていない」と決めていましたが、あとから矢継ぎ早に繰り出された質問に答えるうちに、ご亭主の人物像がだんだん描けるようになってきました。hmdくんが「魅力的だ」と言っていましたが、ご亭主の社会的な活動とそれへの評価、信用を保つというのは、生きていることの証のようなことです。snmさんは人というものが何もかも兼ね備えてオールマイティであるとは、ツユも思っていない。社会的活動に夢中でどこか抜けているところがあるご亭主の(愛すべき)見放せない人柄を感じているsnmさんが見えてきました。snmさんの人間認識のおおらかさといいましょうか、幅の広さはいまの時代にとても貴重です。自分自身が「見放せない」というのですから、ご亭主からすると、この上ないありがたい連れ合いってことになるでしょう。
 
 それら全体に共通して感じられるのは、古い言い方をすれば「連れ合い」「パートナー」の人格を自分とは別物だが、じぶんと切り離せない存在と認めることからはじまる。そのようにして二人の関係のおける自分の「位置」を定める。若いころに私は、自分のやっている社会的活動はカミサンも認めていることと思い込んでいました。1970年頃から2006年のころまで36年間、月に二回、土日に泊り込みで勉強会と機関誌の発行活動を行い、シーズンごとに合宿をし、全国を飛び歩いてきました。もうすっかり子供が大きくなったころにカミサンがぼそりと「あなたは私が保守的なのをいいことに(家事をすべて任せて)好き勝手してきた」といったのを聞いて、そうかそうだったのかと我が非を思い知ったことがあります。それまで私は、すっかりカミサンに依存して安穏と暮らしていたのですね。連れ合いとはいえ根底的なところでは「(お互いを)わからない」と知ることで、お互いのありようをそのままに受け容れることができるのだと、今にして思います。snmさんもそういったところに身を置いて、ご亭主をみているのだと思います。ご亭主もすっかりそれにおんぶしていると知らないわけではないでしょう。その「かんけい」が夫婦であり、kmkさんが言うように、年齢によって変わるものなのですよね。snmさん夫婦も「いいかんけい」なのではないだろうか。そう思いました。snmさんは、ご自分が稼いだ「お金」をご亭主の債務支払いに投入することによって、じつは「お金」の呪縛から解放されていたのかもしれません。
 
 「人に尽くす」とか「困っている人を見たら放っておけない」というのは、「利他的」として、人の倫理観の中の「不思議な」振舞いとみなされ、進化生物学の大きなテーマになっているほどです。snmさんの話を聞いていると、資本制の――お金を欠かすことができない社会では、snmさんの「利他的振舞い」が案外、生存戦略として一番有効なのかもしれないと思いました。
 
 後期高齢者に近くなると、お金の呪縛にとりつかれたままの人はうんと少なくなります。お金があってもどうにもならないだけではなく、それほどお金が必要ではないと思うからです。それよりも、お金にもそれほど頼らず、適度に人との行き来をし、おしゃべりをしながら元気に過ごすことのできる日常を幸せと感じる地点にやってきます。そんなことを具体的に感じさせてくれたSeminarでした。

戦後の後の女一代記(中) お金の使い方

2017-05-22 15:20:25 | 日記
 
(承前)
 病気を克服したsnmさんはすっかり会社から手を引いていました。あるとき、証券会社に勤めていた下の子が親もとに戻ってきていいかと相談があった。もちろん悪くないと思ったのだが、ご亭主に話すと、会社はもうすぐ潰れるぞ、うちの会社で働くことはできないよ、という。
 
snm:2008年のリーマンショック後に中小企業金融補助制度ができて、保証なしで借金できるようになったのをいいことに、借り手があればいくらでも貸したいと考えていた銀行から、ご亭主は借金を重ねていた。その返済が限度に来ていたことを、初めて知った。そのとき頭をよぎったのは、妹の亭主がお金のことで首をつって死んだこと。娘たちの父親の首をつらせるわけにはいかない。
 
snm:呉服商を商っていた父親は始終お金の工面に奔走していた。むかしは「掛け売り」だったんよ。「通い帳」があって、それをもって回収に歩いていた。年を越せば払わなくてよいという商習慣もあったから、年末の「紅白歌合戦」なんか聞いたこともない。ときには子どもの私に「通い帳」をもって回収してくれば、それを全部お小遣いであげるよと言われたこともあった。呉服商というのは、扱うお金が高額だから、それだけ「掛け売り」の回収できないことは大きく響くのね。
 
(「掛け売り」が終わったのはいつごろ?)
snm:カード会社ができてからかな。そう、信販会社よ。
 
(今はどういう支払い方?)(たいていは90日後。請求が出るのが30日後だから、最長四か月後ですね、とiskくんが言葉を挟む。)
snm:それから後は、「回し手形」にして仕入れ先に支払うようにしたのだけど、手形で買うと高いのね。父親は生涯お金のことで走り回り、結局お金で死んだと思うとるんよ。だからお金では死ねん、そう思うたん。
 
 ともあれ窮地に立っているご亭主の会社の破産を避けるために、お金に振り回されるようになった。弁護士に相談して亭主名義の預貯金口座の名義を書き換え、老後に備えて用意しておいた屋敷の名義も書き換えて、司法書士に頼んで「(ご亭主が)破産しても差し押さえられることがないように」措置した。家も子ども名義にし、会社のビルだけ亭主名義にしておいて、4000万円いれて銀行保証を外し、月に110万円ずつ返済してきました。ほとんどsnmさんが養っている状態でしたね。
 
snm:銀行でね、直談判するんよ。男ってのは、すぐに要件に入らないで、時候の挨拶をしたり、遠回しに話したり、時間ばかり使うのよね。

(それはそれで、必要なことなんよ、とiskくん)
snm:亭主はお金がなくて、いつも借りる立場だから、銀行には腰が低い。でも私は返す方だから、単刀直入に本題に入る。銀行の係員は「貸してやってるんだ」と言わんばかりの口上を言うので、支店長にそれを告げてやったら謝るってこともあった。亭主は金勘定ができない。経済的なセンスがないのね。だから窮地に立つと、私が乗り出す。支払いも私が負担する。
 
(惚れた弱みね)
snm:いやそうじゃない。私は子どもが欲しかっただけ。だけど、子どもにとっては父親は父親だし、そこをきちんとしておいてやるのは、親の責任でもある。自己破産する道もあった。でも、破産宣告を受けると年金はもらえるけど選挙権がもらえない。
 
(いやそういう人がいるよ。私の同業者で、行き詰ると自己破産して、奥さん名義の会社を起ち上げて、同じ営業をするっていう人。二度も三度も自己破産している、とiskくんが言葉をつぐ。)
snm:東京のようなら都会ならそれはそれで平気で生きていけるでしょうけど、岡山の田舎町では、とてもそこで生きていくわけにはいかない。みんな顔も名前も知っとるんじゃから。
 
(どうして別れなかったの?)
snm:亭主は一人では生きて行けん。人助けかな。亭主とは生き方が違う。外面がいいの。亡くなった衆議院議員のH.R.が選挙に出るってときには、ひとつビルを建ててそこを選挙事務所にして、後援会長を引き受けたりする。いまの市長が初めて選挙に出るときにも、亭主がもっている〇〇党員の名簿をもとに全面的に後援をして、市長に押し上げる。いつかも言ったことがあるんよ。「そんなに選挙が好きなら、自分が出たら? 選挙資金くらいは出してあげるわよ」って。だけど亭主は、二番手がいいのね。自分が先頭に立つのは好みではない。裏方に徹して「頭」を乗せた神輿をかつぐのが好きなのよ。社会的な評価はすごくいいの。選挙の応援演説などもきちんとこなす。
 
(あっ、おれ、選挙演説しているのを見たことがある。すごく興味があるね、ご亭主の生き方。)
snm:でも、懐勘定はすっかりダメ。亭主のそういう生き方に私は干渉しない。好きにしなさいって。歳をとって気持ちがつながっていないというのはちょっと寂しいけど、それはそれで私が選んで来た道よ。つい最近、娘たちに父親の会社の破綻と債務支払いのことを話したら、「お母さんそれなら、離婚しなさいよ」と言ってくれた。でもねえ、この歳までやってきて、いまさらとも思うし……。
 
(あのな、夫婦ってのはな、75歳になったときと若いときとでは違うんよ、とkmkさんが口を挟む。むかしの同窓三人娘がつるんで遊んでいたころの気配が甦っているのかもしれない。)
 
(まるで古代ギリシャのポリスの市民みたいだね。一家に一人の「市民」がアゴラに集まって政治をする。戦争になったら武器食糧をもって戦いに行く人ね。それが社会的な活動。経済的なこと、うちの家計とか、どうやってそれを稼いでいるとかはプライバシーだから、奴隷をつかっていようとどうしていようと、それに触れないって時代の「市民」みたい。ご亭主が市民、snmさんは家計担当、つまりプライバシーだから裏方に回る。それでバランスがとれている。)

snm:う~ん。「男は信用」っていうでしょ。社会的な評判が「自己破産」しては帳消しになるよね。そういうのって、かわいそうでしょ。
 
(あなたは、面倒見るのが好きなのよね)
snm:そう。たしかに、人の面倒を見るのは好きですよ。みてられんのよ、しおれてる亭主をみるのは。
 
(でもねえ、snmさんのような強い女と結婚したいって男の人は思いますか? とつい先ほど遅れて入ってきたmdrさんが口を挟む。)
(しばし、…………。)
(そういう話の文脈じゃないよ)
(でも、「案内」の「お金の話」ではそうじゃない?)
(いや、あなたはお金を使う人、snmさんのいままでの話は、お金を稼いで借金返済に回す人よ。お金をみている立場が違うの)
 
(snmさんがお金を稼ぐ強い女だから、ご亭主がそれに依存して散財浪費するっていいたいわけ?)
(でも長年連れ添っていると、夫婦って似た者同士になるんじゃない?)
(う~ん、そうでもないよ)
 
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 さて、いろんな方面へ「お金の話」が転がっていきそうな気配になって、終わりの時間が迫ってきました。snmさんは、こうした話をきっかけにして皆さんとお会いできたことがうれしいと、「まとめの話」をして締めくくりました。しかし、彼女の「半生記」は、ちょうど日本が高度経済成長を遂げ、バブルがはじけ、低迷する20年を超えて現在に至る、そのちょうど真ん中に生きてきた証言のように感じました。その出立点にあたる、高校卒業までの間にみていた風景が、私たちと重なります。その後の、大学へ行来、卒業してからの径庭は、人それぞれに異なりますが、でも親世代から受け継いで子どもたちへと受け渡してきたものには、同じものがあると、私は思いました。それらが何であったか。次回にそれに触れて、いくことにしましょう。(つづく)