mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

まるで夢まぼろしの至福のとき――モンゴル鳥観の旅(5)

2017-06-05 11:26:11 | 日記
 
 夜中の、鬱屈を吐き出すような叫び声を耳にした後、ガイドのマヤラさんから驚くような話を聞いた。「近頃、住まう家のない貧しい人が出るようになった」と低声で話しだし、こう続けた。「その人たちは寒い冬、マンホールの中にはいるの。そこに発電所の排水が流されるから、中は温かいんですね。それがときどき大量に熱くて、やけどをして死ぬ人も出ているんです」。モンゴルがソビエトの軛を解かれて「解放」されてからほぼ平成と同じほどの年数が経つ。それでも国土はいまだすべて国有、一人700平米の土地を保有することが認められている。にもかかわらず、自由主義的市場経済が流れ込み、ウランバートルの街並みが瀟洒になり、旅人の私たちが快適なホテルとおいしい料理に舌鼓を打っている半面で、マンホールに住まなければならないような人たちが増えているという。そこに私たちの始原の暮らしをみるような思いがして、帰ってきた今も、消えようとしない。
 
    ★ 第五日目(5/28)
 
 今朝の探鳥は5時から。昨日6時から朝探で、間近にたくさんの小鳥が飛び交い、ニューバードもあったことから、意気が上がった。それだけではない。今日は日曜日、この公園を朝早く散歩をする人が多く、鳥を観るのはその前が良いとngsさんが判断したのであろう。私は4時半に起き10分前に外に出たが、すでに皆さんの顔がそろっている。nkh弁慶さんは、重いデジスコと望遠付きの一眼レフを首から下げてとっくに園地を歩いている。マヤラさんが眠そうな顔をして出てきた。
 
 小鳥を観ようとしたが、昨日ほど出てこない。向こうを人が歩いている。散歩をしているのではない。手に大きなビニール袋を提げて、ゴミを拾って歩いているのだ。昨夜ここに屯して飲み食いして散らかしたのであろう、瓶や缶、菓子の袋などが散乱している。と、上空で鳥の声がする。3羽のワシタカが木の上を旋回する。アカアシチョウゲンボウだとngsさんが声をあげる。巣があるよ。あそこと葉の生い茂った木の上の方を別の誰かが指さす。まるで熊棚のように木の枝が積み上げられている。そこへ一羽のチョウゲンボウが降りる。顔が葉に隠れて良く見えない。ヒナでも育てているのだろうか。卵を抱えているのだろうか。いや、そうじゃないでしょう、巣の奪い合いをしているんじゃないかなとngsさんが話してくれる。チョウゲンボウはカササギの巣を横取りする。それの奪い合いではないか。そう見立てている。この話が面白かった。
 
 アカアシチョウゲンボウはモンゴルから中国、東南アジアを経てインド、遠くは南アフリカにまで渡っている。そういいながら彼は「図鑑」のアカアシチョウゲンボウのページを開いて話す。覗き込むと、細かい文字で渡りのコースを「→」でつないで書き込んである。そして、そこにあるメモをみて「インドでは12000羽も食用に捕獲する」と口にして、えっ、そんなに! と自分で驚いている。(たぶん)何かの話を聞いたり本で読んだりしたアカアシチョウゲンボウの「情報」をことごとく書きこんでいるのだ。「図鑑」は彼のフィールドノートなのだね。私はチョウゲンボウの話よりも、ngsさんの鳥に向かう姿勢に感銘を受けた。そういえば、彼は私のパソコンに「鳥情報」を送ってくれる。いやじつは、わが師匠カミサンに宛てたものだ。「おいngsさんからメールが来てるよ」というとカミサンは、覗き込む。どこそこに何という鳥が出たと(時には写真付きで)送ってくる。たとえば「カオグロアメリカムシクイ MC:239340859*20 N36.2696 E140.4604」とある。MCって何? 緯度経度なんて必要なの? と師匠に訊くが、GPSをつかわないカミサンは関知していない。観に行く人のために案内しているのであろうが、マニアックだなと私は考えていた。ときには「変な昆虫」と表題して「キカマキリモドキ」の写真がついていたりする。だがこうしてフィールドノートを蓄積しているのだと考えると、「探鳥」の奥行きの深さがあることがわかる。門前の小僧は単に、鳥の差異をみて(たいていはその差異も見分けることもせず)へえ~と感心しているだけなのだが、ngsさんは鳥の民俗誌を書き記していっているように思える。彼の話は、鳥を観て愉しむというたのしみ方の深い浅いによって煩わしく思えたり、マニアックに見えたりするのであろう。だが、そういう鳥を研究することの奥行きを感じとるという意味では、彼の存在はなかなか手ごたえのある領野を見せてくれているように思える。じつは、細かい話を聞いても、とても私はついていけない。わからないというより、わかろうとしていない自分を発見するばかりなのだ。一人前扱いして話しかけてくれるngsさんには、まことに申し訳ない。
 
 風が強く吹く。冷たい。小鳥が昨日ほど出てこない。葉陰に隠れているか、地面の草叢に降りている。日曜日とあって早くから散歩に出てきている人が多い。体格のいいおばさんたちがにこやかに手を揚げて、スコープをかついだり双眼鏡をぶら下げている私たちに挨拶をする。顔つきが私たちとあまり変わらないとうだけで、ストレスがない。中国人や韓国人とも顔つきが違うように思うが、どこがどうかというと分からない。やはり無知の能天気なのだろうか。
 
 7時半に朝食をとる。昨日のトマトスープがわずかしかない。ミルク入りのお茶「スーティ・ツァイ」を2杯飲んでチャーハンをいただく。8時半出発。今日は、昨日の途次にあるヤヒ池へむかう。風が強い。車に驚き、強い風にあおられて小鳥が飛び立つ。nkh弁慶さんが「どうして風上へ飛び立つんだろう。まるでバードストライクみたいだよ」というのでみていると、たしかに車にぶつかりそうになりながら風上へと飛ぶ。飛び上がるのに向かい風をつかう習性が作用しているのかもしれない。途中で1号車が止まって、ngsさんが降りてくる。3号車がいつも最後尾になるのでは、観るべき鳥が見えないのではないか。走る順番を変えようと気遣う。先頭を走ると、つねに鳥をチェックしていなければならない。助手席に座るカミサンは「とてもそれは……」と敬遠する。車の揺れに身を任せてうとうとしている私に異存はない。
 
 走る車の右手前方の遠くに、湯気が上がる。まるで発電所の排水池のような大きな湯気だ。冷え込みがきつくて池の温かい水が靄になっているのだろうか。そう思っていた。そうではなかった。塩が風にあおられて巻き上がっているのだと、マヤラさんは説明する。古い大陸のここは昔、海の底だったらしい。わずかの雨に融けた塩が水とともに地表に現れ、水だけが蒸発して塩が残される。その塩が舞い上がる。「塩けむり」だ、と。そういえば飛行から下を眺めたとき、茶色の大地のところどころに蛇行する川筋が地面を削り、その広くなるところに白っぽく干上がった池の跡が見えた。年の降水量が300mmほどだから、水の溜まる池も浅い。地下10メートル以内にある地下水が乾季に上へ上がってくる。ヤヒ池に近づいて舞い上がる塩を眺めた。あとで行った「キリアイ池」で、目前に巻き上がる塩をみて思ったのだが、周りの平地より少し盆地状に凹んでいるところに水が溜まる。その盆地状に吹き込む強風の流れが錯綜して竜巻のように風が舞い上がる。それに塩が吹き上げられる、というメカニズムではないか。塩というよりも苦汁のようなものか。skmさんは白いそれを指につけてなめてみていた。どう? うん、すこし塩辛い、と。なめてみる彼の好奇心に私は感心している。
 
 ヤヒ池にくるまでにカラフトワシが空を舞う。草地に止まっていたソウゲンワシをみた。ここに来たのはこれが狙いだったと、ngsさんはいう。じゃあ願いがかなったわけだ。ヤヒ池は水が少なく野鳥もいないというので、もっと水の多いところへ移動する。その途次、草原の中にぽつんと立つ牧場の囲いに立ち寄る。北側に石積みをして風を避け、南側は開けて木の柵を設えてある。そこにスズメがたくさんいるのだ。イワスズメが積み重なった岩の間を出入りしている。ハシグロヒタキもいる。こういう探鳥スポットをしっているのが現地ガイドというものだ。ガナーさんは兄に仕込まれたと思っているようだが、見様見真似、それがこれだけのガイドになる。出藍の誉れとなるか。
 
 そのあとに、じつは名前のついていない池、二つを経めぐった。マヤラさんが自分で名前を付けたらといったので、ngsさんが印象深い「初見」の鳥の名を付けた。ひとつめが「マナヅル池」、もう一つが「キリアイ池」だ。アネハヅル、ソデグロヅルをみてきたが、マナヅルまでいようとは思いもしなかった。ここでヒナを育てている。2羽の雛を確認した。少し高いところに車を止め、下の湿地に降りる。点在する小さい池に、水鳥がたくさんいる。コガモやオオバン、アカツクシガモもツクシガモ、シマアジやシギチもいる。仔馬が私たちの近くに寄ってきて、ゲァオー、ゲァオーと悲鳴のようなしわがれた奇態な声を出す。だがしばらく構わないでいると、牛の群れのところへ寄って行って、同じようにゲァオー、ゲァオーと声を立てる。見ているとどうも、母親を探しているように思える。仔馬というのは近視なのだろうか。人でも牛でも、母馬にみえる。近づくと牛たちは恐がっているかのように避けて離れる。仔馬は執拗に追いかける。見ていると、可哀想だが面白い。とうとう仔馬は車のある高台の方へ姿を消した。
 
 マヤラさんから声がかかる。お昼だ。車の荷台をつかってマヤラさんが温めてくれたチャーハン様のお昼を自分の車の座席に座っていただく。味噌汁もコーヒーも用意してくれている。風は相変わらず強く吹いている。食事を済ませて、次の「キリアイ池」に行く。こちらは広く大きな人工池だという。ずいぶん離れたところで、車を止めて、歩いて池に近づく。池の周りは白く塩と苦汁が浮いているように見える。ところが、ずぶずぶと靴が沈む。この塩苦汁土は湿っているときはやわらかく粘りがある。靴に着くと、なかなか取れない。車に乗るときにマヤラさんはお昼に使い捨てたセルロイドのスプーンをくれた。それでくっついて離れない塩苦汁の土をこそぎ落とすように言う。それでもなかなか落ちない。私は、砂に靴を入れその上で靴をすり合わせた。うまく落ちた。カミサンは宿に帰ってから洗い落していた。
 
 この池で私がはじめてみたのがキリアイ。「キリアイがいる」「どこどこ」「どれなの」「ほら、頭に筋がある、左から二番目、あれ」といいながら皆さん、スコープを覗いている。わが師匠が「スイカ頭よ」と言いながらスコープの席を空けてのぞかせてくれる。「スイカ頭」とは言い得て妙であった。薄緑っぽい頭に三本の濃い緑の筋がついている。これは「初見」と、ngsさんはこの池をキリアイ池と命名したのであった。
 
 池にはずいぶんたくさんの水鳥がいた。燕も飛び交う。一回りしようと車で移動する。ところが、南の果ての少し小高いところにもう一つ小さな池がある。その小池に、実にたくさんの水鳥がいた。スコープで一つ一つ確認しながら「初見」の鳥を増やそうとするのだが、皆さん観ている方向が違うから、あれがいる、これもいる、えっ、どこどこ、そちらよ、あっちだよとさんざめいて、落ち着かない。西から順にやろうとはじめるが、すぐに同定のやりとりをしているうちに、どこまで何をしていたかを忘れて、振出しに戻る。みなさん、その騒ぎを存分に楽しんでいる気配。虫がたくさん出てきた。防虫対策が必要ですと、来る前にいわれてそれなりに用意してきたが、この寒さで使わないままだった。いまも長袖を着ているから、まだ大丈夫だ。ツバメが多い。背も腹も黒いヨーロッパアマツバメも、腰が白いアマツバメも、すぐ近くを飛び交って見分けがつく。強い風が吹く。ツバメは風に乗り、風に流されながら、虫を啄ばんでいるのだという。それにしても、よほど目がいいのか。この速さで移動しながら、目にもとまらぬ虫を捕食するただただすごい、と思う。そうそう、大変な数のアネハヅルがいた。一斉に飛び上がり、ふわふわと風に揺蕩い、一斉に草地に降りる。壮観である。振り返ると、古い牧場の小屋の上、青空に白い雲の塊がぽっかりといくつか浮かんで、まるで夢まぼろしの絵の世界にいるように思える。
 
 対岸の、馬がたむろしているあたりに古い小屋がある。そこへいってみようと車に乗って、湿った塩苦汁土に踏み込まないように大回りして、小屋に近づく。マヤラさんの話では、この池はカザフ人がつくったそうだ。幅1キロ、長さ2キロほどのこの大きな池はしかし、どこにも水の入口があるようにみえない。天水だけなのか、それとも湧水があるのか。話しているとngsさんが一番遠い先を指さして、あのあたりに流入している川口があって、こちらの車輪柵の向こうに出流口があるという。でも、ここも盆地のように凹んでいるが、周りはせいぜい10メートル高いくらい。どこから川が流れ込んでくるのだろうか。彼らはここに棲みつき、放牧をしていたがいつしかいなくなってしまった、と。いつ頃のこと? つい最近まで。カザフの人たちはどんな暮らしをしていたのだろう。なにがあったのだろう。なぜこの地を捨てたのだろう。牛の群れもいる。少し離れて羊の群れもいる。小屋の向こうには馬車の車輪を三分ほど土に埋めた結界が池から二百メートルほども伸びて小屋の後ろの丘に消えている。馬の群れが水の中に入っている。雲がぽっかり浮かんでいる。先ほどまでいた小さな池の上の小屋が地平線に浮かぶ。ああ、これも絵になるなあとカメラのシャッターを押す。ここに身を置く至福のときという趣がある。
 
 チョウゲンボウがいる、いや、巣があるよ、ヒナもいるよと声が上がる。小屋の屋根の上空でオオノスリとチョウゲンボウがもみ合っているようだ。と、オオノスリが巣のある庇の隅に止まる。だんだん巣に近づいていく。おっ、いよいよチョウゲンボウのヒナを襲うのかとおもわれた。だが、近づいてきたチョウゲンボウをみると、オオノスリは飛び立って追い払おうとしている。なんだ、これはオオノスリの巣なのだ。チョウゲンボウは、そこと九十度違った小屋の妻の方の屋根下に巣がある。こんなに近くで、しかも何羽ものムクドリがうろちょろとしている。危ないじゃないかと思うが、小鳥たちは平然と行き来する。ヘンなの。
 
 ずいぶんここで時間を使ったが、それでも15時半に引き上げた。今日はチョイバルサンに近い。早すぎると思ったのであろう、発電所を過ぎてから脇道へそれ、ヘルセン川の傍に寄った。しばらく鳥を観て車に乗ろうとして気づいた。草地に小さく浅い穴が掘られ、きれいな色柄の小さい信玄袋のようなものが置かれている。それを指さしてドライバーに「なに?」と聞くと、手を合わせて拝む格好をする。ふ~ん、でも、雨ざらしだよ。マヤラさんを呼んで尋ねる。亡くなった方の「大切なもの」をこの袋に入れて、こうしてどこかの地面に穴を掘って置いておく風習。それが供養だと言っているようであった。己の骨を埋めた後をわからなくするヂンギスカーンの墓同様に、大地とともに魂がある、ついそこにあるぞ、という気分を表しているように思った。
 
 17時半にホテルへ戻る。荷を置いてすぐに「鳥合わせ」。この日確認した鳥は54種、「初見」は16種。「累計」は114種。すごい。とうとう百種を超えた。ngsさんは、しかし、まだまだと思っているようだ。チョイバルサンは、明日飛行機が出発するまで滞在して探鳥する。この日はホテルの夕食。モンゴルの夢まぼろしのような至福のときを堪能し、熟睡した。(つづく)