-凸凹帖-

写真 奥野和彦

海ぎわ

2018-07-17 23:08:02 | 写真


まだ始まったばかりなのに
夏の終わりのような風景。
去年はようしょく日記とかカラー図鑑とか
やったっけなあ。

年々歳をとる。
ぼんやり仕方無く撮るような写真ばかり。

大田区 羽田空港

帰り道

2018-07-13 21:09:58 | 写真


汗だくで渋谷を歩き回って仕事。
やっと冷房の電車で冷えて帰る。

今年の8月も忙しそうで
続けて休める夏休みはなさそう。
一昨年の米沢みたいにまたポコッと何もない日が出たら
どこか行くか、夏休みしに。
まずは釣竿持たずにカメラを持つ日を。
もう一日、涼しい川で魚と遊びたい。
まずい、本当に写真が溜まらん。


頑張れ先輩

2018-07-12 22:01:30 | 写真


多分、甲子園には行けっこない事なんか
心の何処かで分かっている。

でも、そこを目指して良いのもこの3年間だけの特権だ。



おそらく出来っこない事を
本気でやることを許される時期だ。
それを応援してくれる人さえいる。

だから、今年も頑張ってくれ。
そうやっていんだと
後輩たちに見せてやってくれ。



みんなの写真は撮れないけれど
グラウンドに立たなかった選手は撮れないけれど
厳しい競争の中で最後までよく頑張った。



その出来っこない事を本気で目指す経験が
その後の君たちの大きな力になるのだから



頑張れ!先輩






写真クラブ 終

2018-07-11 20:33:04 | 写真


そしてまた、面白いもので
デジタルから映像の世界に入った人たちは
今度はフィルムや古い、プリントされた媒体に興味を持つらしい。
「写ルンです」が少し売れていたり、チェキが販売を続けている。
日本の戦前戦後の写真家の写真展が催されたりしている。
自分がスマホやデジカメで撮っている映像とは
違う分野のものとして見ているようでもある。
無くなってしまったフイルムや印画紙を媒介として得るもの。

1枚の質量のあるものとして手に持つことの出来る画像。

その価値観は一旦捨て去られかけて
また、取り戻されようとしているかもしれない。

ずっとそばに置いておきたい、壁に掛けておきたい
意味や理由を超越して、
ただひたすら沁みてくるような画像。
そばにあって時々眺めると気分が変わるような
明日またカッコ良く生きようと思えるような
例えばそういう音楽ってあるでしょう、
それの画像版。

貴方のスマホの中の写真もそれでいい。
極めてそれに近い同じ仲間。
でも、そこから飛び出して、もっとみんなに共通して響く
そういうやつ。


写真クラブ いいね

2018-07-10 21:32:07 | 写真


誰にでも出来ることになって写真の在り方が変わり
中でも商業的採算とは関係ない、
芸術的分野の『写真』は見ることが少なくなった。

商品を売るための写真は手を替え、品を替え
相変わらずあるけれど、私のしている仕事も含め
何かを説明するためのイラストレーションとしてあれば良いもので
人間の生き様や、己の中に湧き上がってくる何かとか
世界の有様を暴き出すような
『写真』の発表を見る事がない。
一口に 写真 と言ってもその違いがある。

なお言えば、この世界中が
インスタ映え だの いいね だのと言ってることそのものが
現代の人の生き様で、世界の有様なのであって
なぁんだ、それが私が勉強して来た写真の
行く先はここだったのかも知れない。
写真てのはそういうもんだと、
写真を分かっていれば分かっている人ほど、そう言って来た。
世界の各人が日々それぞれ発表しちゃっているのだから
写真家でござい、とカッコつけたって
ちゃんちゃら可笑しいのだ。
何年もかかって「作品」やらを撮って
全倍にプリントして飾ったところで
誰が電車賃払って見にくるものか。
そんなものは自分のスマホに沢山入っている。
自分の見たい、自分の表現したい、自分の生きている世界は
自分のスマホに入っていて、それでいい。
日々進化して、日々生まれ変わって
それが写真なのだから
写真家は要らない。私が写真家なのだから。

それでも写真を使った表現者であろうとするならば
スマホもwebも銀塩も是も非も超越したものを
まだ誰も気づいていない実験を繰り返して、
遥かな孤高を行くしかない。

スマホマン

2018-07-09 21:42:37 | 写真


13年の間にもボソボソと書いてあるが
当初はフィルムを使う事だとか
暗室でプリントをする事だとかにこだわっている。
そのうちに材料そのものが作られなくなって行き
こだわることも物理的に不可能となる。

フィルムからプリントに焼き付けて写真を見る、見せる
ということがなくなった。
始めの内はフィルムを使わなくなっただけだったのが
写真はスマホで撮ってスマホで送り、スマホで見るものに変わった。
ので、写真を職業としていた人たちから
感材の製造者(プロフェッショナル)が必要なくなり
現像、プリントを専門にする職業(プロフェッショナル)の人がいなくなり
写真は皆さんが口にするとおり誰でも(素人でも)出来るモノになった。

パソコンで写真のトーンを整える技術は人間が習得する横から
アプリに置き換えられてスマホに搭載されて
撮った瞬間に綺麗な画像が得られる。
僕たちカメラマンは、あんなのは情報量的に
写真とは呼べない、などというけれど
さっき書いた通り、写真はスマホの画面で見るものだから
一般市民はそれで不満がない。
一般市民のみならず、編集者にも
もはや従来の写真を、原稿を見たことがない若い人が多いものだから
素人と、写真技術者の撮ったものの違いは分からない。

素人がフォトグラファーと名刺を持って売り込めば良くて
安く働いてくれればそれで良くて
そういうカメラマンが私の周りにもたくさんいる。
カメラを扱えるものがカメラマンであったが
カメラを扱えない者がカメラマンと名乗っている。
スマホマンとかコピーマンとジャンルを明確に作ってあげたら良い。
カラーバランスの狂った変な画像をメール添付で
送りつけさえすれば「デザイナー」がポンと修正してくれて使われる。
写真の調整は「俺の仕事じゃない、デザイナーの仕事」
なのだそうだ。 デザイナーもそれでいいのか。

写真クラブ

2018-07-05 21:31:05 | 写真


元々、写真の事を考えたり、見せたりするつもりで
作ったブログだけれど
私の思うところの『写真』は自分の生きている事と
直結しているので、生きていく過程で
関わるいろいろな事が登場し、
少年野球のことや、魚の飼育など
時に大きく外れた所に行ったり、でもまた戻ったりしている。
基本的には本物の姿をコピーするものだから
説得力、本当っぽさも絵画よりはある。
みっともない部分や、足りない部分も
全部写真に出て、人柄や生き様が出て
それが 写真を使った表現(芸術)だと思っている。

もう一つの写真の分野、商品説明の写真(商業写真)や
記録や報道の写真は同じ写真という言葉を使うけれども
今、書こうとしている写真とは違う。

ブログを始めて13年経って
古い所を見返したりして見ると
この年月が実は写真にとって転換の時期と重なっていると思う。
このブログは写真をする人も少しは見ているので
違った意見もあるだろうし、納得いかない人も
いるだろうけれど、気に入らなければ閉じれば良い。
私が、個人的に考えているだけのことだ。

腕を磨かんとす。

2018-07-04 21:04:57 | 写真


先日も朝起きたら
明日から雨だから今日は釣りにでも言って来なさいと賢妻が言う。
おかずにするからヤマメを釣って来なさいと。
結果、残念ながら7月に入っての釣りは厳しく
型は良かったが持ち帰りは2匹だけ。
ウグイは嫌というほど釣れて
鮎釣りに来ていた老夫婦が手を止めて
自分の釣りを見に来るほど。



「あなた、上手いですねえ。いやぁ見事だ。」
「そんなことないです、ヤマメは釣れて来ませんから」
ウグイ釣りをそんなに褒められても恥ずかしいばかり。
でも、本当に1投すれば1匹釣れてくる時間があって
ヤマメが釣れた時の練習に腰に差した手網で
ホイホイと受けていたので
それを褒めてくれたのだろう。はい、自慢しております。



敗因を考えて見るに
晴れ続きで水が少なく、その上澄んでいて魚の警戒が強い。
警戒が強いとこに来て禁漁が解けたばかりの
鮎釣りの釣り人が一斉に川に立ち込み
ヤマメがビビっている。
夏はそんな風で、ヤマメ釣りは厳しいのだ。



今から25、6年前
その日もあまり釣れずに
命の洗濯だけして夕方の蝉時雨の中
川沿いの自販機のそばで休んでいると道の向かいの家から
ランニングとステテコで出てきたおじさんが、
鯉かなんかを釣るようなぶっとい竿に、
15mぐらいこっちから見てても良く見えるぶっといミチイト。
その先に何か黒い毛玉のようなものが付いている。
それを、川沿いになる県道の上から3〜4m下の川面に向けて垂らし、イワナを釣り上げた。
近所のおじさんも2人煙草を吸いながら、そばに寄って世間話をしながら見ている。
日常の茶飯事。



また、釣り上げた。

おじさんが町から来た若僧をちらっと見て
ニカッと歯の無い口で笑うので
これは大変、そばに行って見せてもらわないと。

イワナが居るような上流ではないのだけれど
岩と岩の間にその毛玉をチョンチョンとすると
魚がのそっと出てきてのそっと咥える。

「あんまり釣るとよ、明日も楽しもうと思ってもよ
ダメだんべ。今日はもうこれでいい。」

プラスチックのバケツに入れたイワナがビタビタっと時折暴れて
おじさん余裕で煙草をふかす。

その毛玉を見せて、おじさん!

それは袖バリみたいにごく普通の釣り針に
カラスかなんかの黒い羽根が黒糸で縛り付けてある程度の代物で
流行り始めていた和式毛鉤の釣り方「テンカラ」で
紹介される毛鉤より、粗雑で黒いゴミみたいだった。
本物っぽくて漁師っぽくてカッコ良かった。
テンカラ釣りではハリスで水を叩くと魚が警戒して出ないとか
流す距離や秒数にコツがあるとか
毛鉤も色や形を考えたりするけれど
おじさんの毛鉤釣りは糸を水につけないから糸は丈夫でいいし
警戒されないし、それで釣れれば良いおじさんには理にかなっている。

現在、テンカラ釣りもしなくは無いが
テンカラ釣り氏ばかりが川にいると
違うことをしたい天邪鬼なので
今年は餌釣りの腕を磨こうと修行中。