秋の口

2018-09-11 22:42:34 | 写真


むかし、電車にはまだ冷房がついていないのが
当たり前で暑い時期には窓を開けて走っていたのです。

修学旅行の電車では
もちろん窓を開けっ放しにして
田畑で作業をしている人を見つけては
「おじさ〜ん!おばさ〜ん!」と
叫んで手を振ったものです。
男の子も女の子も叫びました。
こちらは修学旅行でハイになっているものですから
調子に乗って誰にでも叫びます。

毎日のように
違う学校のクソガキどもが
そうやって通るだろうに
おじさんもおばさんも
大きく手を振り返してくれる時代でした。

誰もが望んだことで
実際にそれで快適になっているのですが
電車にはクーラーが付き
窓は開けられなくなり
もちろん開いたところで
顔や手を出してはいけません。
今、自分が野球の子達を連れて
そういう立場になれば絶対注意もします。

走ってる電車の窓から
無邪気な子供が声をかければ
バカにされたと
毎日うるさいんだと
鉄道会社に苦情を
いうような事もあるかも知れません。

だけど、そういうことがあって楽しかった。
そんなことが記憶になって残っている。
東照宮のことなんて覚えちゃいないのです。
何を見たかなんて覚えちゃいないのです。
みんなで入った大浴場の
口からお湯の出ている龍だったかライオンだったかの
頭の上にフリチンの子供達がよじ登っている
光景は覚えているんです。
きっと自分にもそういう記憶、感情がわかるから
あの時みんな手を振り返してくれた。

また記憶の話になってしまいました。
思い出ばかり追いかけていたら
思い出オタクになります。
どこかで振り切って
ちゃんと未来を作っていかないといけません。

弁天島

2018-09-10 22:28:01 | 写真


18きっぷの期限が今日までで
仕事は無いし、勿体無いから使い終わろうと
また朝早くから電車に乗る。
盛夏に山の中へ行ったので
今回は海ぎわへ行こうと東海道線に乗って
どこまで行って帰って来れるのか逆算して
豊橋とその手前の浜名湖界隈を見てこようと。



雨が降るのは分かっていて
どの辺から降るかと思ったら
豊橋駅に到着する手前ぐらいから普通に降っていた。
豊橋の市電に乗ってる内にザーザー降りになって
浜名湖に戻るか、赤い電車に乗るか考えたけど
浜名湖の赤い鳥居もこの雨では霞んで
歩くのも容易では無いだろうと諦めて
赤い電車で時間的に往復出来る駅まで行って写真1枚撮って戻る。



中部地方の私鉄駅前は
関東とは雰囲気も違うだろうと思ったカンは外れて
そうでも無かった。選んだ駅が悪かった。



まだ3時前だというのに
私のフイルムでは手ブレをしそうな暗さの空で
6時間電車を乗り継いで来て
そうとなったら仕方が無い。
弁天島とタイトルして弁天島は写していない。



もう40年以上昔に
家族で父の故郷の伊勢に東名高速を使って行き
浜名湖と言う湖は海とつながっていて、
ウナギがとれる、養殖が盛んである。
サービスエリアで初めて食べたウナギ弁当が美味しかった。
その年に買った軽自動車で弟2人家族5人が乗って
大丈夫かな、止まらないかなと言いながら走った。



青い夏の海の中に赤い鳥居が立っていて
頭の丸い新幹線が青いストライプを引っぱって
車窓の右左に縫うように現れる。
引き続いて緑の夏草が生い茂る土手の上を
今度は真っ赤な電車が並んで走る。
先頭がパノラマカーになっていて
見慣れない駅名の大きな行先板を付けて
大きな金色の車台番号が太陽の反射をギラリとさせて走って行く。

高度成長期の僕達の晴れやかな記憶だ。




あったあった

2018-09-03 21:30:02 | 写真


あったあった、と言って
自分のモノクロプリントの入った箱の中から見付け出したのが
この写真で

今日は映画のサプライズイベントで
佐野の学校に行って来たのだけれど
仕事を終えて学校を出て
まだ昼間だし、車だし、
ラーメンぐらい食べてもいいし
いつものカラーフィルム用カメラもあるし
少し走ってみることにしたのだ。

佐野で思い出すのがこの写真で
最近、粕尾川の釣りの話を書いたりしているけれど
高速道路を使わずに、一般道を走って
栃木に遊びにゆっくり寄り道しながら行こうという時には
この辺をよく通る。
まだ栃木通いを始めた頃の
もう、どこにネガがあるかも分からない30年以上前の写真。

その後、4車線の道路もできて
ショッピングモールも出来て
新しい道を通りながらも
「もしかしたらこの角だったんじゃないかな」
とか思ったり、でもちょっと違うか、とか。
今もあるかどうかは分からないし
探し回ってみるまでもないし

今日のラーメン屋は当たりで
とても美味しかった。田村屋さんです。
おすすめします。
それから、ちょっと小川の写真が撮りたいなと思って
なんとなく匂いのする方へ小道を曲がって
しばらく走ったら

あ!!



もっと幹線道路にあったと思っていた。
昔は主要道路だったここが
もうその役目を終わっていたのか。
営業はしておらず
草が生えて、街灯は無くなり
キグナスの文字は色あせている。
こんなに角度の開いたY字路だったか。
その頃は森山大道さんを倣ってこんな風だった。
今はやっと自分のスタイルと思える写真の形があって
ここに人が歩いて来たら撮る、と思って待って見たけれど
10分ぐらい立っていても人っ子一人通らず
猫1匹歩かず、栃木の砂利を積んだ10トンダンプに
ブブッと鳴らされたので
諦めも肝心、と車に戻った。
じっくりと色々考えたりしなくて良かった。

でも、あの日の佐野に降り注いでいた太陽の
光と影はこのハイコントラストのプリントにきっちりと
焼き付けられていて自分は写真の原理そのものの
この写真がずっと好きなのだ。

今日は台風が近付いていて
少し湿った空気のどよんとした感じが写っている。
そしてフィルムではなく受光素子で捕まえられた
光の粒だ。この2018年9月の光だ。

ガソリンスタンドが無くなるのが先か
自分が亡くなるのが先か
はたまた、またいつか今とはまた違う自分とこの場所が出会うのか
その時には「写真」はあるのか。
奇跡を待ってみることにする。