-凸凹帖-

写真 奥野和彦

妄想甲子園

2011-07-30 22:56:27 | 写真
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いよいよ、時代がやってきた。

明日、高校野球 東東京大会の決勝戦が
行われる。
写真をご覧頂けば、決勝戦に勝ち残った
チームであるのはお分かり頂けると思う。

そして、写っている選手は5番でレフトの
2年生である。 
今、チーム名と、彼の名前をここに書けば
ネット上、それを打ち込むだけでヒットしてしまい、
ちゃんと、彼の事を知りたい人をこの妄想ブログに
招き入れてしまう事になるので、それは避ける。

彼は我がチームの卒業生である。
私と、長男がこのチームに入った年の4番を
打っていた子である。
弟は、2年前私たちが県大会に出た時のエース、
マーである。
弟もさることながら、兄貴の頑張りは
並大抵のものではなくて、お母さんと、よく
2人が甲子園に出る事の話をして盛り上がったが
とうとうここまで来た。

私は、今どこででも彼の自慢話をしている。
「オレが、教えたんだよ。」みたいな顔をして
話しているが、育てたのはO山監督である。

彼らの代のお別れ会の時、私はたかだか1年間
彼らと野球をしただけだったが、いいチームに入れた事と
息子共々、迎え入れてくれた事に感謝を述べながら
一人で皆の前で泣いてしまった。
前年に、気胸で入院し、もうグラウンドになんか
立つ事もないと思ったが、子供達のおかげで
また、野球が出来る事を嬉しく思うという話をした時に
一番、真顔で目をキラキラさせて聞いてくれたのが
彼であった。

私の仕事現場では、スポーツ新聞のカメラマンも
いっぱい来るし、何人かには話もしている。
甲子園で活躍しようものなら
そのうち、「昔の写真ないの?」とかいう事になるのだ。

ん~ 何なら分けてやってもいいが、
私の普段の仕事は安いが、 彼の写真はちょっと高いぞ。
その内、プロ野球選手になって
映画の試写会なんかに呼ばれると
そういった沢山のカメラマンに囲まれながら
「あ、奥野コーチ!」と彼は私を見つけて声をかける。
そこにいる人々の羨望の眼差しを 私は浴びるのだ。
「うん、うん、立派になったじゃないか」みたいに
大きくうなずく私。

そんなバカな話を、お母さんや、マーにもしたことがある。

でも妄想が 妄想では なくなる事もあるかもしれない。

明日の結果を待ってから、書こうかとも思ったけど
相手だってそうやって頑張って来た。
もう充分、おじさんは幸せである。アホなこと書いてごめん(笑)

怪我だけはしないように、 かっ飛ばせ! 突っ走れ!




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雨でグラウンド不良。
今日は練習無し。
何人かは、公園で集まってやってたけれど。


7月終わり

2011-07-29 21:50:22 | 写真
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今さら、梅雨のような天気。
線路の敷き方ばかり脳裏をよぎる
仕事の行き帰り。

癒し程度の方がよいのである。
考えのほとんどを占めるようになってしまうのが
悪いクセである。
それはそれとして、

違う事も少し 考える。


妄想鉄道 2

2011-07-23 22:34:55 | 写真
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ガソリンスタンドのタイムサービスまで
小一時間あり、時間稼ぎに座っているコーヒー屋で

持っていたA4のコピー紙の裏側に
の大ざっぱな地図を書いて

「今、バス停があるここに、駅があると
思ってご覧なさい。」と話を切り出す。

さて、ここを出た列車は農道のような県道沿いに
走り、神社の先で海岸線に出る。
ここの視界の開け方が素晴らしいものになるのは
想像がつく。

しばらく走ると、上弓削のに入り、
ここに上弓削駅を作る。今のバス停で言う「踊り場」の
辺り。

「じゃあ、『踊り場』の方がいいじゃない。」

「家老渡フェリーの桟橋まではちょっと歩いてもらうか。
1に1駅だ。」

「だったら、手前の沢津にも停まらなきゃ。」

以前、バブルの終わりの頃
廃れていくこの島に、町はゴルフ場を誘致しようと
計画した。たまたま、役場に勤めていたお上の父上が
その企画室長となり、奮闘したが
一部町民の反対と、彼らが煽動した地方のマスコミの
攻撃の矢面に父は立って疲弊し、企画もなくなった。

今となってみれば、作った所で長続きはしなかっただろうし
予想通りに、人口は減り、高齢化が進み、野は荒れている。
町民たちは人に変わって増えた、イノシシの害で困っている。

月日は流れ、娘婿が今度は鉄道を敷くと妄想を描く。
走らせようとしている県道沿いには
町営バスが走っているが、運転手には説明をして
バスから、気動車の運転台に乗り換えてもらう。
イノシシを轢いたりもするだろう。バスよりうんと
維持費、補修費がかかる。
轢いたイノシシは、寺で供養の上、
当社の名物 猪肉として売ってしまおう。猪鍋の店を
出しても良い。 海鮮いのしし鍋。

もはや、どこからどこまでが現実の話で
どこからが妄想の作り事なのか。

鉄道ファンの夢から勝手に飛び出して
ガランガランと ディーゼルカーが走る。



妄想鉄道 1

2011-07-22 21:48:07 | 写真
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昨日、少し書きかけて
一旦引っ込めたが

どうやら、用地買収、営業申請についての
認可が思ったより簡単におりそうである。
まあ、図に乗ると、お上がへそを曲げても
行けないので、あまり沢山の用地は予算を
考えても望んでは居ない。

何のことだかさっぱり分からない人もいるかと
思うが、 もうすでに妄想列車は走り出していて
貴殿はすでに乗客の一人である。

昨日、書きかけたことを見ていた人はニヤリと
しているかもしれない。
キハ3が手に入りそうなのである。
キットであるので、製造に入らなければ
ならない。 まずは、これを家の中で
組み立てるということが最初の難関であるのだが
「全体としてこういう事をしたいんだけど。」
とお上に申し立てた所、以外と話に乗ってくれたのである。

鉄道は、ふるさと弓削島に通す事になっている。
町の中心地、下弓削から北は久司浦、南は松原を経て
日比まで通す予定である。

一つの案として、こう考える。

背景は今、現在で
過疎化の進んだ、海水浴の他
大した観光資源もない瀬戸内の島に
半地元の足として、半全国の軽便鉄道ファンの
聖地とすべく、この鉄道を開通させる。
今も、石川県で動態保存されている尾小屋鉄道の
車両たちを始め、各地の名車たちを入線させる。
現代の鉄道だから、PASMOで改札が通れたりする。
(四国はPASMOじゃないか)

もう一つ目の考えとしては

私たちが子供だったころまで
時代背景を戻す。
改札に人がいて、切符があって…。
と、ここまで考えてみてどっちでもいいような気がして来た。

風景は、私がそこへ行くようになった
昭和の終わりの頃から、波止の長さが延びたぐらいで
変わってないので、充分 味がある。

さあ、そうとなったら
早速、現地に赴いていろいろ調べて来なければ
ならない、この夏である。


名取

2011-07-15 11:39:10 | 写真
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震災後、仕事で仙台に行くのは2度目だったが
昨日は名取市に行った。
3月11日、急いで帰り着いた家の
テレビで生中継されていたのは
まさにこの名取の田畑を黒い津波が、スルスルと
呑み込んでいく場面だった。
今も、がれきが残っているのは見ての通りだが
これで、かなり片付いたのだと運転手は言う。
まだ、走っている道路端に小さな漁船やボートも
転がっている。
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ふと、「水の旅」っていうのもどうかと思った。

名取川。
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真っ黒だった川はきれいになったように見える。

夕暮れは仕事現場の裏を流れていたとある川。

もっと歩き回る時間が欲しかった。
あそこに、いい橋があるじゃないか。

きっと、タナゴやフナも泳いでいただろう。

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高校野球

2011-07-11 21:27:14 | 写真
Photo
生き物みんな暑いのか。
ちょうちょやコガネムシが
見ている風景はこんな感じか。

二日間、35℃を超える炎天下で
野球。日焼け止め塗っても
顔はもう皮がむけてかゆい。

一緒に野球をした子達が
高校生になって、甲子園目指して
各地で戦っている。
頑張れ。一日でも長く野球が出来るように。
ひとつでも多く勝ち進めるように。