-凸凹帖-

写真 奥野和彦

2013-06-28 15:49:01

2013-06-28 15:49:01 | 写真
130626
「あまちゃん」の回想シーンがまさに自分の
青春時代と重なるので聖子ちゃんが出て来たり
したのか。

調子に乗って写真論とか掲げるんじゃなかった。
着地点が見つからない。

宙ぶらりんのまま何処かへ出かけて
あとは 撮ってどうにかしよう。

だいたい分かってはいるのだけど
要は自分の受け持つ時代をしっかり見ようって事だ。

130627



混迷なき革命

2013-06-19 20:39:39 | 写真
130619
聖子ちゃんや明菜やキョンキョンが
一生懸命歌ってもやがて歳は取るし
10代の恋を歌っていた人間も本当の自分の恋に
破れて傷ついたりする。

一生懸命をやってきた私たちにとって
ちょっと あれれ…?という時期が来て
ちょっと真剣にやっても、シラ~っなんて言われる
時代が来て、アイドルはいなくなった。

代わりに?かどうか知らないが
ちょっと真剣味を表に出さないような
ヘタウマと呼ばれる物作りが出て来て
最初のはおにぎり坊主頭のおじさんのイラストだったと
思うが、他に安西水丸さんとか本当はしっかりと
芸術が出来る人達がスタイルとして「下手」を
とるのと、同時にただの「下手くそ」も現れた。

そのおかげで少し世の中に飛び出そうとする
アーチストたちのハードルが少し下がったのだろうか。

磨けば光るかも知れない
「下手くそ」たちがバンドブームを起こして
今でも歌い継がれる名曲を残したり
残さなかったり…。

どれが本物か偽物か分からないまま
バブル景気を迎え、昭和が終わって平成になって
お国そのものも運営が下手になって行く。
ハードルが下がって
土井たか子の社会党が政権を取ったりするのと
格好だけのパンクバンドがテレビに出て来て
革命とかジェネレーションとか言うのと良く似てた。

自分は粒子の粗いハイコントラストの写真ばかり
撮って、どうにか本物でありたいと思ってたけれど。




夏の扉

2013-06-13 23:05:31 | 写真
130516
松田聖子の「夏の扉」最近もCMで使われたりした。
松田聖子を好きか嫌いかはおいといて。

イントロのシンセは夏の陽射しのキラキラした
感じを思わせるし
ガッガッガッというカッティングギターの音も
海岸を車が走っていくようだし
当時、アイドルの曲に使われていた
ストリングスの早弾きの合いの手も
歌い手の声も含めてとても伸びやかで気持ちのいい
曲である。

うちには無かったウォークマンを友人から奪い
毎日、野球部の朝練にこれを聞きながらチャリンコ
漕いで行った。学校のそばにあった養鶏場のにおいも
爽やかだった。

作詞 三浦徳子 作曲 財津和夫
ヒットメーカーがしっかり作り
聖子ちゃんが一生懸命歌う、健全な創作活動と
購買・消費活動があった。
イメージをカタチにし、人に届けるというのは
こういう事だ。

夏と言えば、あんなカサカサなコンクリート塀と
夏草のイメージしか出て来ない。
だからダメだと言っているのだ…。

夏の扉を開けて、僕らをどこか連れていって

http://www.youtube.com/watch?v=DcYaJC1TeyI

このYouTubeのページの並びに
そのギターのコピーをしている人の動画もあって
やはり好きな人は好きなんだなぁ。あのギター。


面の皮

2013-06-12 21:42:58 | 写真
130607b
                  2013年 3月
自分の創造力でこさえたものを
人に見せたりするのは恥ずかしいと思う。
自分は人より容姿が優れていると信じて
アイドルを目指す。
文章を書く、曲を作り演奏し歌う、絵を描く、
踊る、写真を撮る、みんなそうだ。
素っ裸になって、往来に寝転がるようなものだと
誰かが言っている。
自意識過剰で、身の程知らず、これの何を見ろというのか
耳が痛い。

でも、そういう沢山の身の程知らずの中から
時に真に人の心を打つものが出て来るというのを
私たちは良く知っている。

あのバンドのあの曲に励まされた
あの映画を見て、オレは武道を志した
あの映画を見て、あんな人生を送りたいと思った
あの小説を読んで、人を好きになろうと思った
私もモーニング娘。に、AKB48に、なろうと思った

19歳の何の目標も見いだせない若僧が
自分にはこう見えているという世の中を
全くその通りに写真に焼き付けている作品に出会って
オレの考えもまんざら間違ってはなさそうだと
思い直して、写真を通して世界とか他人の事とかを
考え、勉強していくのは悪い事ではなかろう。
何かを通して命を燃やす。
生きてる実感は 無いよりあった方が良い。
1984
                  1984年 5月


仕事写真

2013-06-07 00:37:18 | 写真
_ccc3985_2
私は職業をカメラマンとしている。
映画の宣伝の為の写真を撮っている。
来日キャンペーンや舞台挨拶などのニュース的なもの、
雑誌、Webの記事にするための役者、タレントの
ポートレート、アーティスト写真と呼ばれるもの。

ここを目指してカメラマンになったのでは
無かったが、呼んでくれる人に応えられるように
やって来て何とか生計を立てている。

芸能の世界にいる人を撮るので
自分も同じ場所に立つことになって
時にテレビの隅っこに写り込んだりだとか
一流ホテルのスウィートで写真を撮ったりするので
自分が偉くなったような勘違いをしかねない。
_ccc3987

たまたまここにたどりついているだけだ。
ただ、客観的に自分を外側から見てみると
小学校のグランドで大声で怒鳴っていたかと思うと
そそくさと服に着替えて帽子でペッタンコに
なった頭のままそういう仕事現場に行き
レッドカーペットの上に俳優さんと一緒に立ったり
しているのは我ながら面白いよなあと
思わない事も無い。

普段ここに載せているような写真の撮り方は
仕事ではしないが、双方にまるで接点がないのかと
いうとそうでもない。
特に、シャッターチャンスというのは動きのある
物を撮るには重要で、今回の私鉄沿線写真でも
私の電車を捕らえるタイミング、フレーミングは
なかなかのものである。向こう側の洗濯物を見せて
半分電車を画面に入れる。
モータードライブなんかついていないカメラで
撮っているから一発勝負。
こんな遊びだけど、こういった集中力は仕事写真にも
つながっていると思っている。



カラー

2013-06-04 23:47:39 | 写真
130604
そんな風にして昨日、これらの写真は撮られた。
ちなみにデジタルではなく
フイルムで昼前に撮って午後、10チャンネルの
相棒の再放送を見ながら洗面所で現像した。

やる気になれば、撮るのも処理するのも早い。
という自負はあるし、楽しかった事に間違いない。

でも、久しぶりに作業に没頭した後で
やはり、いつもの自分の写真の落としどころに
落ち着いていることに気がついて目が醒める。

酷いなりに予定調和しているのである。
前衛をしているようで、自分の中ではすでに
何度も繰り返しているイメージ。

お笑いの芸人さんだって、新しいネタを考えなければ
ならない。
作曲家だって新しい曲を作り出さなければならない。
脚本家だって、デザイナーだって。

その人の変わらぬカラーはあったとしても
見せ方、聴かせ方は幅広く変わっていかないと。

130604b



私鉄沿線

2013-06-03 19:13:25 | 写真
1
私の住むマンションはK駅とO駅のちょうど
中間ぐらいにあって、普段通勤にはK駅を使うが
今日はO駅にある銀行に用事があって
その道中を天気もいいし、写真を撮りながら歩いて
行く事にした。10数分の徒歩はただ歩けば面倒くさいが
写真を撮りながらだとあっという間である。

私の現時点に於ける写真でのトライというのは
先に書いた通りなので、普段の生活の中でカメラが
そばにあるのが普通の事。
2
外へ出ると、アスファルトが熱せられて
そろそろ夏の照り返しになって来ているし
つやつやと生える夏草の匂いとその地面の匂いが
合わさって漂っている。
3
国道のバイパスがクロスする土手には
小さなビワの実がなり始めていて
もう少しすれば、食べられるようになるだろう。
ここからでは写るか写らないかのビワを説明するために
もっと近くまで寄った位置での撮影も
考えられるが、この場合は土手全体の間延び感とか
はるか感でいい。

線路脇の家には洗濯物が干してあって
そこを、電車が通り過ぎて行く。
洗濯物って健全に家庭生活が行われている
証だと思うのだが、それを写真に撮るというのは
気をつけなければ行けない事なのだと
ずいぶん後になってから気がついた。
4
そうやって撮って行くものの中にピン!とくる物が
ある時はあるし、撮った本人でさえ
こりゃぁどうにもならんだろ、というのもあるが
それこそ、他人は本人がいいと思っているのも含めて
大抵の場合は、「何を考えているのかわからない」し
「何を言おうとしているのですか?」と思うのである。

こうして私たちは生きている。

こうやって口や文章で説明すれば
分かってくれる事もあるが
写真でそれを伝えようとするのが写真屋なので
写真だけで伝えられなければ、ボツである。

5



使い古しの写真論

2013-06-03 15:03:23 | 写真
130603_3
土曜日の野球が終わったあとの中華日増し屋で
昨秋の写真展を見に来てくれたコーチが言う。

「お金をかけた機材があって、お金をかけて
特殊な被写体を手に入れられれば撮れる、という
写真より、奥野さんの写真の方が好きなんですよね」

奥野さんの写真と言ってるけれど、世の中にそういう写真は
沢山あって、そのコーチにしてみれば
私の写真を「そういう写真」の例に挙げて好きと
言ってくれたのであって、ではどういう写真かというと

「何でも無いものをポンと切り取ってるんだけど
いいなあとこっちも思うんです。」と。

自分も30年前に1冊の「そういうモノクロ写真集」と
出会って、以来修行中の身なのである。

特殊でない普通の生活と言うか人生というか
その中から切り取る1枚だから共通性があるのかも
しれない。 或は昔同じような陽光の下で
同じような駅前の風景を見た既視感が重なって
懐かしさなどと伴って良いと感じるのかもしれない。

のだが、それは一度はまると強烈で
本当にその情景を見た事が記憶になっているのか
その写真を見た事が記憶になっているのか
分からなくなるくらい、写真によっては
強く脳のイメージに刻み込まれる。
そういう写真を撮りたいし、見せたい。

例によってこの写真論を誰が見るか、見ないか
鼻で笑うか、感心するか 知らないが
これまでして来た事、考えて来たことの覚えとして。
これからしようと思う事の出発点として。
100603b

「SLOW CREEK」フォトアルバムにアップしました。
見に来て下さった方、改めてありがとうございました。
見てない方も、是非どうぞ。