![130619 130619](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/27/868e5d7a6116bee63366a97554dce885.jpg)
聖子ちゃんや明菜やキョンキョンが
一生懸命歌ってもやがて歳は取るし
10代の恋を歌っていた人間も本当の自分の恋に
破れて傷ついたりする。
一生懸命をやってきた私たちにとって
ちょっと あれれ…?という時期が来て
ちょっと真剣にやっても、シラ~っなんて言われる
時代が来て、アイドルはいなくなった。
代わりに?かどうか知らないが
ちょっと真剣味を表に出さないような
ヘタウマと呼ばれる物作りが出て来て
最初のはおにぎり坊主頭のおじさんのイラストだったと
思うが、他に安西水丸さんとか本当はしっかりと
芸術が出来る人達がスタイルとして「下手」を
とるのと、同時にただの「下手くそ」も現れた。
そのおかげで少し世の中に飛び出そうとする
アーチストたちのハードルが少し下がったのだろうか。
磨けば光るかも知れない
「下手くそ」たちがバンドブームを起こして
今でも歌い継がれる名曲を残したり
残さなかったり…。
どれが本物か偽物か分からないまま
バブル景気を迎え、昭和が終わって平成になって
お国そのものも運営が下手になって行く。
ハードルが下がって
土井たか子の社会党が政権を取ったりするのと
格好だけのパンクバンドがテレビに出て来て
革命とかジェネレーションとか言うのと良く似てた。
自分は粒子の粗いハイコントラストの写真ばかり
撮って、どうにか本物でありたいと思ってたけれど。
![130516 130516](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/39/101e4a97ab7ce2221c04e8aa85c8bbda.jpg)
松田聖子の「夏の扉」最近もCMで使われたりした。
松田聖子を好きか嫌いかはおいといて。
イントロのシンセは夏の陽射しのキラキラした
感じを思わせるし
ガッガッガッというカッティングギターの音も
海岸を車が走っていくようだし
当時、アイドルの曲に使われていた
ストリングスの早弾きの合いの手も
歌い手の声も含めてとても伸びやかで気持ちのいい
曲である。
うちには無かったウォークマンを友人から奪い
毎日、野球部の朝練にこれを聞きながらチャリンコ
漕いで行った。学校のそばにあった養鶏場のにおいも
爽やかだった。
作詞 三浦徳子 作曲 財津和夫
ヒットメーカーがしっかり作り
聖子ちゃんが一生懸命歌う、健全な創作活動と
購買・消費活動があった。
イメージをカタチにし、人に届けるというのは
こういう事だ。
夏と言えば、あんなカサカサなコンクリート塀と
夏草のイメージしか出て来ない。
だからダメだと言っているのだ…。
夏の扉を開けて、僕らをどこか連れていって
http://www.youtube.com/watch?v=DcYaJC1TeyI
このYouTubeのページの並びに
そのギターのコピーをしている人の動画もあって
やはり好きな人は好きなんだなぁ。あのギター。
![130607b 130607b](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/fe/8ce8deff00e4c17302d233276bba2758.jpg)
2013年 3月
自分の創造力でこさえたものを
人に見せたりするのは恥ずかしいと思う。
自分は人より容姿が優れていると信じて
アイドルを目指す。
文章を書く、曲を作り演奏し歌う、絵を描く、
踊る、写真を撮る、みんなそうだ。
素っ裸になって、往来に寝転がるようなものだと
誰かが言っている。
自意識過剰で、身の程知らず、これの何を見ろというのか
耳が痛い。
でも、そういう沢山の身の程知らずの中から
時に真に人の心を打つものが出て来るというのを
私たちは良く知っている。
あのバンドのあの曲に励まされた
あの映画を見て、オレは武道を志した
あの映画を見て、あんな人生を送りたいと思った
あの小説を読んで、人を好きになろうと思った
私もモーニング娘。に、AKB48に、なろうと思った
19歳の何の目標も見いだせない若僧が
自分にはこう見えているという世の中を
全くその通りに写真に焼き付けている作品に出会って
オレの考えもまんざら間違ってはなさそうだと
思い直して、写真を通して世界とか他人の事とかを
考え、勉強していくのは悪い事ではなかろう。
何かを通して命を燃やす。
生きてる実感は 無いよりあった方が良い。
![1984 1984](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/13/d8253a9cc063a3db955904262f91b83a.jpg)
1984年 5月
![_ccc3985_2 _ccc3985_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/ac/5f3307c9487ba38a9d97bb05e39897a0.jpg)
私は職業をカメラマンとしている。
映画の宣伝の為の写真を撮っている。
来日キャンペーンや舞台挨拶などのニュース的なもの、
雑誌、Webの記事にするための役者、タレントの
ポートレート、アーティスト写真と呼ばれるもの。
ここを目指してカメラマンになったのでは
無かったが、呼んでくれる人に応えられるように
やって来て何とか生計を立てている。
芸能の世界にいる人を撮るので
自分も同じ場所に立つことになって
時にテレビの隅っこに写り込んだりだとか
一流ホテルのスウィートで写真を撮ったりするので
自分が偉くなったような勘違いをしかねない。
![_ccc3987 _ccc3987](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ce/9347db641454c67d6002168ea49686e6.jpg)
たまたまここにたどりついているだけだ。
ただ、客観的に自分を外側から見てみると
小学校のグランドで大声で怒鳴っていたかと思うと
そそくさと服に着替えて帽子でペッタンコに
なった頭のままそういう仕事現場に行き
レッドカーペットの上に俳優さんと一緒に立ったり
しているのは我ながら面白いよなあと
思わない事も無い。
普段ここに載せているような写真の撮り方は
仕事ではしないが、双方にまるで接点がないのかと
いうとそうでもない。
特に、シャッターチャンスというのは動きのある
物を撮るには重要で、今回の私鉄沿線写真でも
私の電車を捕らえるタイミング、フレーミングは
なかなかのものである。向こう側の洗濯物を見せて
半分電車を画面に入れる。
モータードライブなんかついていないカメラで
撮っているから一発勝負。
こんな遊びだけど、こういった集中力は仕事写真にも
つながっていると思っている。
![130604 130604](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/64/527ecfbc57a9ecd1604c9376d9819ae0.jpg)
そんな風にして昨日、これらの写真は撮られた。
ちなみにデジタルではなく
フイルムで昼前に撮って午後、10チャンネルの
相棒の再放送を見ながら洗面所で現像した。
やる気になれば、撮るのも処理するのも早い。
という自負はあるし、楽しかった事に間違いない。
でも、久しぶりに作業に没頭した後で
やはり、いつもの自分の写真の落としどころに
落ち着いていることに気がついて目が醒める。
酷いなりに予定調和しているのである。
前衛をしているようで、自分の中ではすでに
何度も繰り返しているイメージ。
お笑いの芸人さんだって、新しいネタを考えなければ
ならない。
作曲家だって新しい曲を作り出さなければならない。
脚本家だって、デザイナーだって。
その人の変わらぬカラーはあったとしても
見せ方、聴かせ方は幅広く変わっていかないと。
![130604b 130604b](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/3b/67c61f2725cd692b92c37c99274fb3e5.jpg)
![1 1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/22/2c0504275f4f77e6021e5b1b6f37d15f.jpg)
私の住むマンションはK駅とO駅のちょうど
中間ぐらいにあって、普段通勤にはK駅を使うが
今日はO駅にある銀行に用事があって
その道中を天気もいいし、写真を撮りながら歩いて
行く事にした。10数分の徒歩はただ歩けば面倒くさいが
写真を撮りながらだとあっという間である。
私の現時点に於ける写真でのトライというのは
先に書いた通りなので、普段の生活の中でカメラが
そばにあるのが普通の事。
![2 2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/8c/7e54dfe3118408d6bcd83c2c16690db9.jpg)
外へ出ると、アスファルトが熱せられて
そろそろ夏の照り返しになって来ているし
つやつやと生える夏草の匂いとその地面の匂いが
合わさって漂っている。
![3 3](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/f6/787c14d50bf69bdb794bb6e5d73e7d83.jpg)
国道のバイパスがクロスする土手には
小さなビワの実がなり始めていて
もう少しすれば、食べられるようになるだろう。
ここからでは写るか写らないかのビワを説明するために
もっと近くまで寄った位置での撮影も
考えられるが、この場合は土手全体の間延び感とか
はるか感でいい。
線路脇の家には洗濯物が干してあって
そこを、電車が通り過ぎて行く。
洗濯物って健全に家庭生活が行われている
証だと思うのだが、それを写真に撮るというのは
気をつけなければ行けない事なのだと
ずいぶん後になってから気がついた。
![4 4](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/8c/c8b07f8f57ef0c598ba452ffea7a02e8.jpg)
そうやって撮って行くものの中にピン!とくる物が
ある時はあるし、撮った本人でさえ
こりゃぁどうにもならんだろ、というのもあるが
それこそ、他人は本人がいいと思っているのも含めて
大抵の場合は、「何を考えているのかわからない」し
「何を言おうとしているのですか?」と思うのである。
こうして私たちは生きている。
こうやって口や文章で説明すれば
分かってくれる事もあるが
写真でそれを伝えようとするのが写真屋なので
写真だけで伝えられなければ、ボツである。
![5 5](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/03/f35f7ca0d04f52c9132269e24869b2e3.jpg)
![130603_3 130603_3](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/7d/707df663f721205a6e4e39d2e986de29.jpg)
土曜日の野球が終わったあとの中華日増し屋で
昨秋の写真展を見に来てくれたコーチが言う。
「お金をかけた機材があって、お金をかけて
特殊な被写体を手に入れられれば撮れる、という
写真より、奥野さんの写真の方が好きなんですよね」
奥野さんの写真と言ってるけれど、世の中にそういう写真は
沢山あって、そのコーチにしてみれば
私の写真を「そういう写真」の例に挙げて好きと
言ってくれたのであって、ではどういう写真かというと
「何でも無いものをポンと切り取ってるんだけど
いいなあとこっちも思うんです。」と。
自分も30年前に1冊の「そういうモノクロ写真集」と
出会って、以来修行中の身なのである。
特殊でない普通の生活と言うか人生というか
その中から切り取る1枚だから共通性があるのかも
しれない。 或は昔同じような陽光の下で
同じような駅前の風景を見た既視感が重なって
懐かしさなどと伴って良いと感じるのかもしれない。
のだが、それは一度はまると強烈で
本当にその情景を見た事が記憶になっているのか
その写真を見た事が記憶になっているのか
分からなくなるくらい、写真によっては
強く脳のイメージに刻み込まれる。
そういう写真を撮りたいし、見せたい。
例によってこの写真論を誰が見るか、見ないか
鼻で笑うか、感心するか 知らないが
これまでして来た事、考えて来たことの覚えとして。
これからしようと思う事の出発点として。
![100603b 100603b](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/fc/b02dfb32dc1a1a57c6f831535944ae4f.jpg)
「SLOW CREEK」フォトアルバムにアップしました。
見に来て下さった方、改めてありがとうございました。
見てない方も、是非どうぞ。