-凸凹帖-

写真 奥野和彦

診察待ちにて考へる2

2010-03-20 23:17:06 | 写真
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釣りの対象とする魚が減ってしまい、風評も悪くなって
ブラックバス業界はつらい事になっている。
霞ヶ浦の事を書いたけれどバス釣り客に来てもらう事で
生計を立てていたボート屋、釣具屋、コンビニ等は
皆つぶれてなくなってしまうか、鯉やヘラブナ客目当てに
鞍替えをするかであろう。
バス釣りの道具を作っていたメーカーも同様である。
道具には使い込まれた物の美しさというのがあるから
釣り具に限らず、カメラでも、グローブでも、食器でも
家具でも骨董やコレクションの楽しみが生まれる。
釣り道具の話に限ってすれば
魚をだまそうと思って作るだけに精巧であるし、
美しいし、本当にクラフトマンシップにあふれていて
魚より先に人が釣られる。今から100年ちょい前ぐらい
にその最初の一個は生まれているが、「魚を釣りたい」
それだけでかくもいろいろなギミック、装飾をこらした
ものが生まれる物かと、人の技術と欲には感心する。
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子供のベイブレードやカードゲームをあまり
とがめる事は出来ないな…。

でも、やはり道具はつかってこそ、その真価を発揮
するものであり、僕らはこの美しい道具を使っていたい。
そのために、何に対してだかも 分からないのだが

「迷惑」をかけないあり方で魚釣りはしたいのである。

深く、いろんな事を分かって、川を見、道具を作り
釣り人は謙虚に楽しめば良いのである。

オクノさん、診察室へどうぞ…。


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診察待ちにて考へる1

2010-03-19 17:22:48 | 写真
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ブラックバスは減っている。特定外来生物に指定されてからは
淡水魚で成り立っている漁協のある湖、川、つまり霞ヶ浦や
琵琶湖などでは駆除も積極的に行われて確実に減った。
人の責任によって増やしてしまった物を、これは間違いだった
と人の責任において減らそうとするのは当たり前で
時代時代でどっちの役割をさせられるにせよ致し方ない。
それでまたモロコやワカサギが捕れるようになれば、
それでよい。
霞ヶ浦では卵の段階で駆除される方式もとられていると
報じられている。効果は大きいと実感する。
高速代を払って行っても釣れないという。
ボート屋がなくなり、釣具屋がなくなり、
コンビニがつぶれる。
湖で暮らしを立てて来たのは漁師だけではないだろう。

当然つながっている河川でも魚は減るが、そんな細い流れが
バトンのようにつながって4~50km離れたところまで
来れば、漁協もないし、流れ着いて来たバスも生き延びて
いてそこら辺が私たちの釣り場となる。
よく、日本固有種の絶滅原因と言われ、確かに一因には
なっているが、時を同じくしてヒトだけが住み易い
安全な、清潔な、無味無臭の街を作る為に小河川、用水路
の整備も非常に盛んに行われている。水郷越谷に
住んでいればよく分かる。鮒、タナゴ、エビ、二枚貝は
田んぼの水路がコンクリート溝になるだけで繁殖が
出来なくなる。そうすると、つながっている河川でも
魚が減ることになり、うっかりそこをバスが泳いで来よう
ものなら「そら、お前のせいじゃ!」ぐらいに責任を
負わされる。残っているのはバス以上に体力を持つ
近年増えすぎた野ゴイと、バス同様の外来代表アメリカ
ザリガニ、そしてバスをかくれみのにはびこるブルーギル。
循環の止まった水たまりでも生きるタニシ。

もっともヒトなんて、そうやって「やり終えた。」と思えば
あとは野となり山となる。コンクリートの溝にもやがて
流れて来た土砂が堆積し、うまくすればまた植物が生え、
また小魚が戻って来ることもある。むろん外来生物もだが。
生き物は案外したたかなもので、そうして生き延びている所
では生き延びている。魚も釣り人も、社会のうねりの中で
あっちへ逃げ、こっちへ隠れ、漂うように生き延びている。

今、僕がフナ釣りに行くところはまさにそんな所。
鯉も、フナも、バスも、タナゴも、ナマズも本当に狭い
一角に共存している。不思議にブルーギルとザリガニとタニシ
いない。ブルーギルとザリガニに対してはバスが天敵となるし
タニシは鯉が食う。これを彼らが考えて作った生態系だと
すると実にお行儀がよく、紳士的ではあるが。

そこに私のような者が「ちょっとゴメンよ」と入って遊ばせて
もらう。魚にとっては最悪の天敵で命がけだが、なるべく
傷つけることのないように、なるべく汚すことのないようにと
それだけを考える。
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隣の芝生

2010-03-17 23:12:17 | 写真
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少しだけ忙しいようであり、
なかなか更新出来ません。
このカメラについても述べたいのですが
また時間のある時に。 お?キャノンも使ってる…。

残念ながら、私の物ではありませんが
他人のカメラはカッコよく、美しく見えるものです。
さて、どんな仕事をしている奴でしょう?


ちっとやそっとの

2010-03-05 16:25:07 | 写真
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EIZOUくん、カトリーヌさん、ありがとう。
今日はこのあと、阿房列車の乗客となります。
法事。どうにかしたかったけど車中1泊で、結局
明日の夕方の新幹線で戻らないと、日曜日の仕事に
間に合いません。瀬戸内まで行っていつもこんな調子ですが。
今回、嬉しいのは寝台に子供と一緒に乗れること。
子供たちは初めてです。どんな道中になるやら。
百閒先生のようにお酒は飲まないし、遅い時間の発車だから
子供もすぐに寝るとは思いますが、夜食ぐらいは食べたいね。

今、写真を保存してある箱をひっくり返して、プリントを
眺めていたところ。頭の中のこのイメージを引きずって
道中、カメラを握り続けて頑張ってみましょう。




本屋

2010-03-04 22:57:40 | 写真
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デジカメになってライトボックスを使う事が
無くなったので、分解して飼育用の蛍光灯に
付け替えて使っている。

仕事場に早く着きすぎて本屋で時間をつぶす。
目についたタイトル、装丁のものを取って少しめくって
みる。このことについてのこういった内容だったら
自分で考えてみるからいいや、と思ってしまって
本屋に1時間ぐらいは平気でいるけれど何冊手に取っても
いつも買って出ることはない。
良くない性分だが、自分をとりまく小さな世界と、
それに対する自分の考え、答えが一番面白い「オレオレ」な
人なのでよっぽど自分で文章を書こうかとさえ思う。
もちろん人に読ます為に書くのではなく、自分の考える事を
客観的に把握する方法として、漠然と思うのだろう。
多分「若い人」の性質を代表していると思う人がいるだろう。
(若くないのだが)「視野」が狭いことだ。という人が
いるだろう。

でも自分で答えを導き出したいだけなのだ。
早くたどり着く必要もなし、一生、「過程」であれば良い。

でも、文章を書く能力はないので
写真でやろうとしている。未だに。

そういえば、カメラ雑誌等ではその昔、写真家が
作品を見せ、カメラはこういう物を使い、フィルムは
これを使い、さぁ貴方もやってご覧なさいと
「楽しい写真ライフ」をすすめ、カメラや感材が売れ、
それでもどうしてか写真家のような「作品」は作れなかった
から「どんどん撮りましょう。一日一枚です。」と乗せられて
また材料が売れていたが、デジタルカメラが出来、パソコンが
普及してもはやその垣根はなくなった。
「写真家」を羨望していたアマチュアの方が、はるかに
「楽しく自由な写真ライフ」を獲得し、写真における
作家性などはとっくに無くなっている。表に出ないだけで
個々に素敵な、それこそ歴史に残るようなモノを作っている
に違いない。それを発掘することなど批評家にももう無理で
いつか誰かが言った「本当の写真は家族のアルバムの中にある。」
というのをまさに具現している。
それでも、手に取ってもらう写真を作ろうと言うことは
本屋で、レジまで持って行ってもらえる本を書くのと、
な~んだ、同じぐらい難しいことか…。


テレビドラマ

2010-03-03 22:45:59 | 写真
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「相棒」を見終わって風呂に入る。
テレビドラマを久しぶりにゆっくりと座って見たなぁと
思いながら、なぜかしら病院生活のことを思い出した。
経験としてはいつも急にどこかで具合が悪くなって
医者に行ったらそのまま入院というパターンで、消化器系
だと4~5日絶食になるので、仕事はどうなるんだろうと
いう不安や今度のはどれぐらいで治るんだろう、いや
ちゃんと治るんだろうかなどという心配とで暗い夜を
過ごすことになる。それでも、本来そんなクヨクヨを
引きずっているからかかるような病気でもあり、考えるのを
やめなさいとも言われて、開き直ってベッドにも慣れ始める。
食べられないので、料理番組、グルメ旅行番組はたまらない。
早くよくなって少しでいいから美味しいものを食べようと
思うから、一種の治療法と言える。
テレビドラマも本放送、再放送、エンドレスで見る訳だが
くたびれてここにいるけれど、やっぱり早くシャバに出て
やりたい事やりたいや。という気にさせてくれる。
今、普通に日々の生活を送れているけど、たまにあの時の
気持ちを思い出すと、時間はムダには出来ないと思う。
あのとき思った、したいことの十分の一も
やりきってないのだけど。

今日の「相棒」は私好みの脚本だったので面白かった。