-凸凹帖-

写真 奥野和彦

通勤時間

2021-03-27 13:53:50 | 写真


朝の電車で
カメラのオークションばかり見ている。
楽しいけれど
目が悪くなりそう。

新しい道具を手にする前に、と言うか
何でそれが欲しいのかを
何がしたいのかと合わせて考える。
これから先に何をしたいのか
どのようにありたいのか。
すると、何が必要なのか。
死ぬまで繰り返しか。
繰り返せている内が花か。

指導

2021-03-23 20:54:01 | 写真


生意気に、「写真が撮れないです」なんて言うと
先生は言った。
「誰も君の写真なんか待っていないよ。
もちろん、俺の写真もね。
撮れなきゃ辞めたらいい。
本当に好きな道だとか趣味だとか言うものは
勝手にやるんだ、頭と身体が。
まあ写真家になりたいって気持ちは分からん事もない。
そう言う衝動があって、俺もそうだったのだから。
でも、一丁前になる前に撮れなくなったと言うのなら
終わってるよな。
本当に撮れなくなったなら
それは飽きたか、元々そんなに好きな事では
無かったんだろう。
にもかかわらず、撮るのか撮らんのか、だからさ。
そんなものが山のように溜まっていって
あとになって何か見えて来たり
何か起きたり起きなかったりするだけだ。

キミは、この写真のどこが好きだ。
プランターにしぶとく咲いた花とマンホールと
建物の下の崩れてる所、
そうだよな、俺もそう思うんだよ。
だったらこうでも良いのかもなぁ。
いや、やっぱりこれ(全体)でいいのかなぁ…



これだけで
挨拶もそこそこにその部屋を出て
またカメラを顔に押し付けて
若造はうろつき始めるのだ。

昼下がり

2021-03-22 22:45:00 | 写真


撮ってはいないのだけれど
こうしている事で
一日に一度は写真に触れる。
仕事は少しだけ戻って来て
仕事の写真を撮る日は増えたが
自分の何かを写す写真は撮れていない。
別に何処か遠くへ行かなくて良い。
近所の買い物でだって
仕事の行き帰りにだって
撮れないことはない。けれど
撮りたくならない。
フイルムを詰めてみようか?とか
新しいテーマのような物を捻り出そうとしたりとか
考えて見るけれど、考えて作るものは浅い。
やっぱり撮るしかなくて
撮って撮って撮りまくった中に
これでいいんじゃない?
って言うヒントが見つかることがある。
一日のたったこれだけの時間にすがっている。

赤い錆

2021-03-20 22:28:44 | 写真


朝の静かな瀬戸内海沿いを
山陽線の電車が走る。
しまなみ海道の高架の下をくぐると
尾道の町に入る。
水道の反対側に向島の小さな工場
造船所か?が見える。
ずいぶん昔に車で通ったことがあるけれど
もう一度行き直したい。
作業から出る金属粉が
道に面した敷地に散らばって
赤く錆びて赤い景色にしていた。

ベンチ

2021-03-04 20:46:16 | 写真


風の強い日。
季節はちょうど今頃の
房総のどこかの山の上
おじさんの髪の毛はどこかへ
飛ばされてしまったか。

おっと失礼。

カメラは何で撮っただろう。
家族も一緒に行っている。
ここに写っている子の様に
うちの子供も走り回っていただろう。
明治牛乳のベンチに腰掛けて
そのカメラをごろっと
転がして缶コーヒーでも飲んでいただろう。
写っていないベンチと
姿の分からないカメラが頭に浮かぶ。