-凸凹帖-

写真 奥野和彦

ちょっとだけ雪が降ったこと

2013-01-28 19:30:49 | 写真
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郵便物を投函するため
屋外に出る。

ちょっとだけ降った雪が
軽自動車のヘッドライトの上に乗っていて
可愛らしく見えたのでカメラをとりに
部屋に戻る。

可愛く見えたのは軽自動車全体における
雪の乗り方だったらしく
ナンバーが写らないように寄った写真では
そうはいかなかった。
写真は難しい。

周りに目をやると
オレの雪はどうだい? と
目つきの悪い奴がこっちを見ている。
まあ、撮ってみる。

私は天気のいい日はニエプスの写真を思うことがある。
ニエプスというのは写真を発明した人。
発明となった最初の1枚にはただの陽を浴びた
庭らしきものが写っている。
この1枚が成功となると分かっていれば
モデルぐらい立たせたかも知れないが
何しろ8時間かけての露光である。
この偶然とれた1枚には表現の意図が無いが故に
直接、今の私に陽光そのものを届かせる。
(と言う写真家も多い。)

人類がまだ生き残っていたとして
500年後ぐらいにどこからか
今日撮った写真が出て来たとする。
その時に生きている人たちに
こんなにつまらなく何でも無い1枚の写真は
どう影響を与えるだろうか。
車は存在するだろうか。
パソコンはあるだろうか。
画像データなんてあるだろうか。
気象は今と変わらないか。
でも、写真印画紙にしっかりとプリントされた
手にとれる1枚としての紙焼きが目の前にあれば
いやでも見ざるを得ないのだ。
そしてその日、ちょっとだけ雪が降るような
天気だったとしたら…。

そう思うので
コンデジで撮ると同時にフィルムでも撮っている。
いずれちゃんとプリントしてやろう。
変色、退色しないように
水洗処理もしっかりやるぞ。

500年後に誰かが見るとして
誰が撮ったかなんて関係ない。
詠み人知らずで上等。
今だって、良い写真は詠み人知らずで
良いものは良い。
誰しもが撮らないようなものが
ホントにオレしか撮らないようなものが
ズルズルと出て来たら
未来の人はビックリするだろう。
でも、「ちょっとコイツすげえな」と
思わせるかも知れない。

しかし今の時点で
この作文を一体誰が読むというのか。
誰に向けて書いているのか。

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未来の人用に、ちょっとだけ降った雪と
この時代のダイコンも撮っておいた。




再会

2013-01-19 21:25:49 | 写真
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矢内くんの写真展に行って来た。
コンパクトデジカメで撮り、インクジェットで
プリントされたものであるが、それはもう十分に
モノクロ写真と言える仕上がりである。

このレベルのものを見せてもらうたびに
資源保護の為にもフィルムも薬品もやめて
引き伸ばし機も処分しようかと考える。
私の持っている低価格のプリンターで使うインクには
そもそも色の成分が入っているのか光源によって
モノクロの写真が青みがかったり、緑がかったり
赤く見えたりしていつも、使い物にならないと思う。
ハイエンド機を買えばちゃんと出来るのは知っているが
天下の◯ドバシカメラ辺りでも用紙売り場に
緑がかったモノクロプリントが「極上の白黒写真を…」
などと作例で掲げられていると がっかりする。
白黒写真に対する認識が売る側にして、卸す側にして
その程度の子供だましってことだ。

で、さっそく自分のオリンパスEPL-1を持って出歩いてみる。
フォーマットも焦点距離もいろいろ変えて「撮ってみる」
が、結果を言えば「ダメなのである。」
いろんな事が間尺に合わないのである。

矢内くんは一つ年上の先輩で本当なら「さん」と
呼ぶべきだが昔から私は親しみを込めて「くん」付けで
呼んでしまう。20代に勤めていた職場で会って
大変に生意気な「くん」付けの私を嫌う事無く
面倒見てくれた。
棕櫚の日曜日は非常に短い期間で撮られている。
主題がきちんとしている上で、映像に幅があって
技を感じる。 新聞社のカメラマンとして世界と関わる
他に、今のフクシマを一人の男として、一家の主として
こうも見えるよ、こうも思うよ と言っているのである。
写真で何かをする、表現する、残すとはそういう事であり
その事がしっかりと見る者に伝えられる。
写真を見た人が、
明日、もういちど何かを頑張ってみようとか
人生をつまらないと思っている人が、
もしかしたら、そんなにつまらなくもないかと
考え直したり。
売れっ子になるとか仕事が増えるとかメディアに
とりあげられるとか、そういうことが
たどり着く先なのではないと思う。

矢内くんの素晴らしい写真のことだけを
書けば良いのにどうしても◯ドバシ辺りにからんで
話が横道に逸れる。

次は何を撮るのか決まった? と聞かれ
もうちょっとマイルドな部分がなくなると思う
と答えた。口に出すと責任を持たなければならなく
なって一歩踏み出すにはいいかも知れない。
しかもしっかりとした仕事をしている人の前で。





棕櫚の日曜日

2013-01-16 22:48:57 | 写真
先輩が写真展を開催する。
現在は福島市に住んでいる矢内靖史さん。
その展名が「棕櫚の日曜日」

今日16日から銀座ニコンサロンにて29日まで開催中。
ご本人ブログ
http://alukufukushima.blog.fc2.com/
ニコンサロン
http://www.nikon-image.com/activity/salon/

皆さん見に行って下さい。
私は明日、行くつもりです。
シュロの木が高度成長期の日本の明るい未来と希望の
名残という説明に納得させられる。
さすが矢内さんだと思う。

昔、浦安の◯ィズニーランドの裏の防波堤脇を
通った時に大きな棕櫚だか椰子だかが並んでいるのを見て
絶望的に見えた事があった。

写真を撮って行くには
そうした何かきっかけのようなキーワードのような
それをテーマだと呼ぶ人もいるが
そんなようなものが必要で
私も今、次のそれを探している最中である。
ただ、それを見つけてから撮るという事が私には出来ず
いつも、分からず撮っているうちに形が
見えて来るようなものである。
だから、早くカメラを持ってどこかへ出れば良いのである。



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コタツで考えたこと

2013-01-07 22:57:49 | 写真
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昨年の写真展で「懐かしい感じ」と沢山言われたが
今度は
懐かしいなどと言ったら、写真の側から
あざ笑われるような、孤高な、痛いような、感じの「世界」

観光地の卑俗さとも、置き薬や学生服のホーロー看板
とも離れていたい。