-写真の部屋-

奥野和彦

さならさで

2021-06-30 23:33:21 | 写真


新橋のイベントホール
冷房が寒い
私は仕事場以外ではもう当分
誰とも喋っていなくて
時々誰かとおしゃべりしたいなと
思わない事もないけれど
今は会話してはいけないので
丁度いいだろう。
野球を離れてからは声が出なくなった。
そう、あのタイガースナインを離れた事も
号泣する子供達と別れた事も
いずれ書く事があるだろうけれど
今はまだ述べる気にならない。
人との接点がさらに無くなった。

銀座駅のホームで自販機の
チョコミントのアイス食べて
電車に乗って帰る21時40分

明日はどこだっけ

2021-06-29 19:43:43 | 写真


おーい、みんな元気かー?

昨日は渋谷、今日は久喜。
雨が上がって晴れ間が出て
緑が気持ち良い。
まだまだ風格のある大きな木も
あちこちに生えていて
カメラがあればと思う。
真夏にはタマムシが飛ぶね。
写真の仕事で来れているのなら良いのだけれど。
肩は痛えし、腰は痛えし
風景に癒される。

Simple

2021-06-28 23:17:50 | 写真


雨降らなくて良かった。
だから、車は使わずに行く。
そうなるとなるべく軽装で行きたいから
でも、宣伝さんはスタジオ取ってくれてあるし
それ相応のクオリティでないと
これまた、失礼にあたるので
シンプルかつベストな、お仕事を。

スタジオマンの女の子は
この少ない荷物をエントランスから◯スタまで運んで
準備しますというので
「ほら、今日はこれっぽっちだからさ。」と言って
機材を見せると、ふふっと笑って
「良いですね。承知いたしました」と言って組み立て始める。

役者さんに立ってもらう位置に自分が立って
「フロントからポン、と一発ね。」
と言ったらドンピシャの位置に
スッとスタンドを置いたので感心した。
高さだけちょっと調整してもらって
露出を測ってもう何にもいらない。

撮り終わって
片付けようとする時に
「見せてもらって良いですか」と言うので
カメラのモニターで見せてあげたら
「うん、うん」と言って満足げだったので
それも良かった。


やかん

2021-06-26 21:40:53 | 写真


もうちょっと爪痕残せないものか。
せっかく壁に掛けてあるのだから。
俺の写真にしてみない?
いや、決してこれをけなしてるのでは無いのです。

コーヒー飲みながらじっと見つめてしまうとかさ
何?これ、とかさ
或いはママたちについて来てジュースあてがわれて
退屈な4歳児が指を指して
うみ、とか
ばった、とか
やかん、とかさぁ
やかん、は微妙だよ、きっと。
知ってるか知らないか、見たことあるか無いかも
微妙なところ。
おじさんは撮るんだよ、
やかんのね、あの真鍮が使い込まれて
ちょっと鈍くなったような光の反射の感じを
そこの方に向かって焦げて黒くなっている
その深い煤の黒を。

お母さんは教えてあげる。
「これはね、やかん」
「やかん?」
「そう、や・か・ん。」
やかん はきっと
聞いた事の無かった子供の耳にも面白い響きで
やかん、やかん、とすぐ覚えるだろう。

まぁ、それを爪痕と言ってるんだけど。
ぼけぇ〜っと、本当に抜け殻のように
アホのようにぼけぇ〜っと
コーヒーを啜りながら考えている。

ロボット

2021-06-25 17:46:41 | 写真


今日も近くの線路で人身事故があったらしく
消防車とパトカーが走り
家の前の旧国道4号は大渋滞をし、
線路側の道路を人が大勢歩いて行く。
電車が走っていないから。

さて、
「ロボット・イン・ザ・ガーデン」というアメリカ(イギリスでした)の小説があって
これに昨年遅ればせながら出会って、物語の中に登場する
タング というロボットが好きになった。
家族にも勧めたが誰も読まない。

いずれ映画になったりするかも知れないと思っていたら
先に劇団四季のお芝居になって上演されているが
ワーナー映画が、二宮和也くん主演で映画を作ることになった。
日本の脚本になって雰囲気は変わってしまうだろう。
それにタングはロボットで
二宮くんとの実写映像がどうなるか分からないが
小説の面白さと、何よりタングの可愛さを壊すことなく
映画になったら良いなと思う。

小説は3作出ていて
2作目が人間の妹が出来る「ロボット・イン・ザ・ハウス」
3作目が妹が学校に行くことになってタングも学校に
行きたくなる「ロボット・イン・ザ・スクール」
でも、まずは第1作目を読まれることをお勧めします。
それで、”タング”ロスになったらその続きを。

止まっていた電車の警笛が鳴って
動き出したらしい。


北極の話

2021-06-24 21:40:38 | 写真


今に生きているだけで
地球に負担はかけている。
偉そうなことは何も言えない。
今まで、気が付かなくてごめんねと
知らなくてごめんねと
地球を労わりながらいくしか無いんじゃね?
居なくなりつつある生き物のように
当たり前に人類にその時がやってきて
宇宙へ生きる場所を求めたり
するのだろうけれど。
北極に氷がなくなるのが
このままだと2035年だって。
まだ、ギリギリ生きていたとすると
ショックな事実になるだろう。
四季や気候が日本らしかった時代を知っていて
そういう時代に差し掛かる経験をする
年代かも知れない。

折れ線グラフ

2021-06-16 22:56:52 | 写真


デジカメはよく写るなあ、ホントに。
最近、フイルムをいじっているのでつくづく思う。

10時過ぎに少々嵩張る機材をリュックで背負って
家を出ようとしたら、もう降り出しそう。
ガソリンと駐車代を考えるとあまり気が進まないが
機材が雨に濡れて、動かなくなると怖いので
車で仕事に出る。
走り出して15分ぐらいで大粒の雨に。
秋葉原で人にあげるモノクロデータの写真を
店頭プリントの機械に入れるけれど何らかの不都合で出来ない。
店の人に言っても本当に埒が開かない。
分からないなら分からないとちゃんと言えばいいのに
出来るような事を中途半端に言って
他の客の応対を始めたりするので結局終わらずに
時間もなくなり、役にも立ってない駐車代600円を払って
仕事現場に急ぐ。昼食をとる時間もなくなった。
ま、別にいいや。

コロナで1年以上ぶりにイベントをした
映画会社のみんなと「エアーハグ」で再会を喜んだ。
そういう人達がいる事が
嬉しくてありがたい。

理由があって打てない人、では無くて
なぜ、ワクチンを打たない人がいるのか
分からない。
「そもそも注射嫌いなんすよね、自分」とか
スカしているクソガキには脳天から
直接脳味噌に打ち込んでやると良い。

もやの朝に

2021-06-15 23:55:18 | 写真


寝台特急の窓の外に朝が来て
今日は曇り空だな、で、少しもやがかかっている。
30年ぐらい前の朝だ。
こうして、自分の目で見える姿を主にしているが
ここに写っている男の子の向こう側の藪の方に自分が居て
そこからこの男の子越しに
向こう側に私の乗っているブルートレインが走っている絵も
いいだろうと考える。
内田百間先生の九州阿房列車の真似をして寝台車で走っている。
「何にも用は無いけれど、大阪まで行って帰ってこようと思う。」
さう云って
大戦が終わって長距離特急が復活したのを喜んで
嬉々として出かけて行く。

ワクチンを澤山の人が打つて
コロナが落ちついて旅行も出来るやうになつたら
そんな気持ちになるかも知れない。
さうなつたらいいだらうと考へる。

6月14日

2021-06-14 22:48:02 | 写真


断捨離しましょうから始まった
撮影済みのネガ整理は
コロナ休業、いや失業に近い状況になって
今も尚続いている。

まだインターネットもSNSも産まれる前夜の頃から
今に至るまで、過ごしてきた時間を
改めて見返している。

私たちはこのように生きていると
写真という武器を使って表すと言うことが
そのインターネットの時代になって大きく変わってくる。
インターネットによって格段に出来る様になる事と
それ故に規制されて行く事が増えて
撮る物がそれによっても変遷している。

例えば僕達の成長を育んだ
シャッター商店街が気になった時に
じゃあ対極にある大型ショッピングモールを撮ろうか
と思ってもそのロゴだとか店舗だとか
部外者が写真に撮って使用してはいけないと言う
権利に守られている。
人の姿も、街を走る自動車のナンバーさえも
写っては都合の悪い時がある。

近頃急にSDGsとか言い出して
私の様な50代、或いはも少し上の人達が
まあ、俺たちは生きてるかどうかも分からねえけどよと
強がり言って笑い飛ばそうとするけれど
あなたの子や孫は現役の時代で
その子らが苦しむかと思うから今、どうにかしよう
と言っている。

ずっと僕たちは
誰かを蹴落として突出する事ばかり考えて
それが時代や社会を進化させる事だと信じて
突き進んで来たけれど
たまたまコロナ禍もあって
ちょっと立ち止まらずを得なくなった時に

現在の経済を牽引している様に見える物が
手も足も出ない様をさらけ出して
元より写真に撮ってくれるな、などと言っているのは
見つめられることに自信が無いからで

今、木や土や水や空気や
生き物達が物言わず静かに呼吸を続けている。
彼らは撮るなと言わない。
まだまだ未熟な僕らが真似るなら
レンズを向けるなら、そこか。
そう言う事なのか。


季節

2021-06-13 20:12:26 | 写真


新しい事を考える
頭の中の萎んでいた
毛細血管の中に
急速に血液やらアドレナリンやら
そんなようないいものが
浸透して
膨張して
隅々まで行き渡って行くように感じる