-凸凹帖-

写真 奥野和彦

頭髪検査

2019-11-29 21:20:01 | 写真


今年の暮れでこのブログはなんと15周年である。
自分の写真を自費の小冊子で季刊ぐらいで世に出したい、
20代後半から始めたそのことは子供が出来て
経済的にそちらにシフトしなければならなくなったこともあって
終わったが、
その後、パソコンとインターネットが普及し
印刷物自体が世の中から減って
新聞も週刊誌もどんどん減って
文章や写真はスマホやiPadやパソコンで見るものになった。
そこまでなるとはまだ思わないうちに
ブログでその写真活動の続きをしようと思って始まった。
だからタイトルの『File』を継承している。
思っていたのとはだいぶ変わり
それは自分が生きていて変わっていくから当たり前で、
野球なんかも始めてしまったし
おい、もっと写真撮れよ、と思いながらも
グダグダと身の回りの些末なことを書き並べている。

一人の男が生まれて物心ついて死んでいくまで。
やれるところまでそれをやろうと思って
まだ続いている。鬱陶しくもある。
勝手に書いている少年野球の子供たちのこと、写真については
誰からも苦情を言われる事も無く
自分と子供たちとご父兄との友情をありがたく思っている。
どの子も私は可愛くて仕方が無い。
唯一の自慢出来る自分の事として時々紹介したくなるのだ。

さて、54歳にしては毛が多いですね。
とどこの床屋に行っても言われる。
白髪はあって、でも仕事柄
若い人たちから呼ばれて一緒に仕事をすることが多いので
あまりおじさんぽいのはどうかと思い
白髪染めはしている。
これが、白髪の方が割合をうんと増したら
染めるのをやめようと思う。
で、多い多いと言われているが
実は、ここ1年ぐらい大変な勢いで頭髪が抜けている。
いまだかつて経験がないくらいに
頭を洗えば、あらこんなに。
髪を乾かせば、あらこんなに。

心配すれば、する事なのかもしれないけれど
まあ、もうそう言う歳なのだろうと思うし
ブログの趣旨としてはそんな事も書いておく。
別に育毛剤をふりかけもしないし、増毛もしない。
まだ、見た目に全然薄くも見えないと思う。
自分で鏡で見える範囲では。
ここにこれを書いて
どうぞ皆さん、これから先の私の頭髪にご注目下さい。

ダチョウ

2019-11-26 23:44:56 | 写真


昨日、ダチョウ倶楽部と本物のダチョウが登壇する
イベントがあって、リハーサルから見ていたが

飼育員のお兄さんがなんか玉子ボーロみたいな
エサを手のひらに乗っけてそれをやりながら
仕事をさせている。

ダチョウの口は横に平べったくて
オウムのようには尖っていないが
それでも、カツン、カツンとお兄さんの
手のひらにあるエサをついばむので
痛いんじゃ無いかと思うし、慣れてはいるのだろうが
指をくわえて引っ張ったりする時もあって
ちょっと心配になった。

夜、
飼っているカメが6センチぐらいだったのに
いつの間にか
甲長20センチぐらいになって
しかも姿はそのまま映画に出てくるガメラに
なっていて、水槽から出ようとして暴れている。
ギザギザの甲羅のフチ、血走った目。口から出る牙。
それでもエサはやらなきゃいけないし、
恐る恐る与えてみたら
ほら、やっぱり噛みつくじゃん
どうしようかな、これもう飼うの困ったなぁ

と言う夢を見た。

それぞれにビーム

2019-11-25 21:36:21 | 写真


今朝は昨日おとといの湿気を含んだ空気が
暖められたのかモヤが濃い。
電車の隣の席に
俺より年上のおっさんがドカッと座って来て
ニヤニヤしている。
別に見るつもりもなかったんだが
老眼のせいで手を伸ばしてスマホを
見るもんだから、画面が俺の視界に入ってくる。
お店のお姉ちゃんからの物か
違う筋のものか知らんが
Twitterか?

〇〇さ〜ん、今日も頑張って行こー!
月曜びぃ〜〜む!
の吹き出しと一緒に女の顔が2人写っている。

見るつもりは無かったんだが
オッさんがニヤニヤ顔のまま
丁寧に返信を打っている。

〇〇ちゃーん、〇〇ちゃーん
ありがと〜 確かにビーム受け取ったなりぃ〜

見なければ良かったのだが
老眼のせいで手を伸ばしてスマホを
見るもんだから
俺の目にもピントが合ってしまう。

オッさんは
何度かそれを
開いたり閉じたりして
もう一度ニヤニヤして
女の子の写真を拡大してみたりして
やっとオフって
スマホを鞄の中に入れた。

私のイヤホンのTMGEがボリュームを
上げる。

2019-11-12 21:29:46 | 写真


国道16号線。

せっかくのきれいな月の夜に
月を撮らず。


例えば編成がドラム、ベース、エレキギター 、とあんな感じで
自分の思想をビートに乗せて歌えばロック。
本人がそうだと言えばそうなのだが
ロックの姿をしてはいるが歌謡曲というのもあって
それは何か違うんだな、というのは分かる。
ロックだと突っ張っていても
「俺の考えを聴いてほしい」 シャウトなのか
「俺の歌が売れてほしい」 シャウトなのか。

写真はどちらかと言えば
商品なりモデルなり状況なりの
説明のためのイラストレーションとして利用されることが多く
その中で、単にイラストレーションとして終わらず
話題性を持って取り上げられると
その人の特性とか仕事ぶりが評価されたりするが
初めから、イラストの役割は持たず
「俺の考えを見てほしい」で撮られた写真は
なかなか分かってもらうのが難しい。

普通、カメラマンがカメラを向けるような物は
写っていなくても
今の時代や自分を包む空気がそこに写っている。
絵画と違って
人の手で塗り込める事のできない「写真」という装置
だからこその独自の力。
共感を持たれようと、目を背けられようと
見た者には何らかの心の揺らぎを与えるような
事が出来ないか。
文章にしてみれば、そんな事なのだが
ずっと考えて来て
未だに途上なのであるが。



台風

2019-11-11 19:46:23 | 写真


写真が欲しくなるという事が
結局自分の思う世界を撮り始める事であった
という結びにして終わるはずだったが
この調子では
僕の青春日記的な恥ずかしいことになりそうなので
やっぱりもう、この辺でやめておく。

今日は雨が降ったり止んだりして
仕事は無かったので
無為に過ごした。
昨日、子供達相手にバッティング投手をして
150球ぐらい投げているので
ちょっと筋肉痛もある。
でも警戒したほどでは無し。

今夏、増水の粕尾川に流してしまった
鮎舟をまた中古で買っておこうと思って
中古釣具屋に行ってみつける。
ボロボロの安いので使えれば良い。

家に戻って
郡上竿を袋から出して継いでみる。
で、夏の長良川のことを思い出す。
今年は台風がひどかったけれど
長良川の釣りのことを書いている人のブログを見ても
岐阜方面に被害は無いようなので
それはひとまず安心。

一方、栃木の粕尾川はひどい状況だったようだ。
川が溢れたのはもちろん
土砂崩れが道を塞ぎ、たぶん川にも泥が流れ込んで
ヤマメ釣りにちょうど良かったポイントも
だいぶ変わってしまっていそうだ。
ニュースでは隣の永野川や秋山川が報道されたけれど
あの辺はどこでも同じだろうと思う。
いつも可愛い花や、青い空の写真と共に
粕尾川の釣りの状況を教えてくれる
鈴木商店の奥さんのブログがあるのだけれど
台風19号の通った翌朝の辛い鈴木さん付近の写真が
コメントもなく載せられていて
その後は更新が無い。

これから冬を迎えて
まずは道を通したり
漂流物を撤去したりするのだろうが
大変なことである。
来春が来て
僕らが のほほんと鮎だヤマメだと遊びに行くのは
地元の人々には歓迎されるのだろうか。
栃木でも使うはずの郡上竿を眺めながら考える。

写真が欲しい2

2019-11-09 22:41:48 | 写真


何を思って写真撮り始めの記みたいな
恥ずかしいことになっていて、やめようと思うが
写真が欲しいとタイトルをしてしまったので
それがどういう事なのかというとこまで
いかなければ終われなくなってしまっている。

千葉の坊主頭に吹いたウエストコーストの風は
関東ローム層の赤茶色いジャガイモ畑の砂埃を巻き上げて
私の勉強机の上に落とし、次第に落ち着いていった。
ちょっと思い出してみたら西海岸の写真ばかりでも
なかったかも知れない。

時はバブル経済突入期で
芸術分野にもお金が回って来ていた。
企業はたぶん分かりもしないで
世界のアートを買いまくり
船橋の西武の本屋にもアート、写真集が並んで
勉強には事欠かなかったが
アイドルにはもう興味が無くなっていて
音楽もイギリスのロックを多く聞いていたので
どうにも頭でっかちで反抗期だったようだが
空回りばかりしていた。

「写真に写っている被写体への興味」ではなくて
「写真」そのものが持つ魅力が分かり始めていた。

それが分かると
写真集コーナーに並んでいる
タレントの写真集 では無い写真集の写真の意味が
見え始めて来る。
ウジェーヌアッジェが撮ろうとしたパリの光そのものだとか
ベッヒャー夫妻が撮ろうとした、精緻なカメラのメカニズムを
使って給水塔の写真ばかり収集し、
人の視覚と脳の動きを測る試みだとか。

アイドル写真でも報道写真でも広告写真でも無い
写真の可能性そのもので創作されている類のものを
その頃はアート写真とか芸術写真とか呼んでいた。
その後、シリアスフォトとか呼ばれるようになる。
が、所詮「写真」は「写真」なのでどんな呼ばれ方をしてもむず痒い。

写真が欲しくなった。
写っている人物や風景を所有したいのでは無くて
写っている事物から
その時その時、生きている時代の空気や手触りや混沌を
手にして所有したくなったのだった。
それには、現実をそのままにパシャンとコピーするだけの
「写真」が一番向いていたのだ。

Winds Collection

2019-11-08 17:06:18 | 写真


壁に貼られたアイドルやロックバンドの写真を
野球小僧の坊主頭で
アホみたいに眺めていた中高校生の頃の自分は
まだ「写真」というよりは
「写っている物」に興味があって
まずは本屋の棚で松田聖子やYMOやザ・クラッシュの
写真の載った雑誌や、写真集を手にするようになる。

そうしてる内に手にとった、サンリオ出版から出ていた
浅井慎平さんの「Winds Collection」と言う写真集は
まさに爽やかなウエストコーストの「風」が写っていて
それを自分の机の上に置いておくだけで
爽やかな風が部屋に吹くような気になったのだ。
「何を撮るか」もそうだが、「どの時間に撮るか」とか
「どこで撮るか」とか「どこを切り取るか」とか
もしかしたら「写真」と言うのは
ちょっと面白いかも知れないと思ってしまった。

この記憶を辿るのに早速Googleで検索したのだが
何十年ぶりに「Winds Collection」の表紙を見て
その頃の自分の部屋の感じや友達や彼女が来ていた時間や
そんな事を全く迷いなく思い出す。
また、古本屋で探して来ようかとさえ、思う。

ウチには親父の買ったキャノンの1眼レフがあって
浅井慎平さんはその頃キャノンのCMをしていたし
よし、と思って
コカコーラのおまけで貰った
流線型のグラスに
透明な三ツ矢サイダーを入れて窓際に置いて
撮ってみるが、浅井さんのようにはならない。

ポジフィルム?
アンダー?オーバー?
レンズフィルター?
エクタクローム?
コダクローム?
いよいよ本屋に行ってカメラ雑誌や入門書を読み漁るようになる。

そうそう!
あの、駅で見かける「いいちこ」のポスターの写真
あれを撮っているのが浅井慎平さんです。
「Winds Collection」を和風に解釈すると
ああなるのかも知れないし、いつ見ても、いい。



写真が欲しい

2019-11-07 22:37:36 | 写真


筆や絵具やインクで描く、
「絵画」は1点しかこの世に存在しなくて
だからその1点が良ければ良いほどより価値があるだろう。
オリジナルを複製して印刷物にして
多くの人が自分のそばに置いて楽しんだりする気持ちはよく分かる。
「版画」は初めから複製される物として生まれている。
「絵画」にしても「版画」にしても
真っ白なキャンバスの上に作者の手をもって
ゼロから描き出されるから価値がある。

それに比べると「写真」は
別に比べなくても良いのだが
やはり比べられがちで
人の手でもって線に強弱を付けたり
色を重ねたりするのでは無くて
光学機械でコピーして化学反応で印画紙に焼き付ける
だけなのでちょっとありがたみに欠ける気がしなくも無い。
でも、絵よりはるかに本物を映し出すので
その、複写性において絵画とは違う存在価値がある。

自分の部屋の壁に
好きなアイドルや俳優がいつもいる。
スマホの待ち受けに家族の写真がある。
好きな場所、風景、鉄道の写真がある。
それはやはりイラストや版画よりは
実物をコピーした写真の方がいいのだ。

11月

2019-11-07 00:08:41 | 写真


撮るものが無いとか書くことが無いとか言うのは
今の時間に満足しているのか
もう、欲もなくて
何にも心が揺さぶられることが無いのか
どっちか分からない。

仕事の写真は日々撮って当たり前だが
閉じ籠ったり、動き回ったり
まあ色々でそれはいい。
拙い写真だけど、それを必要としてくれる人のために
撮るのは光栄で楽しい。
さらに、オレに必要な写真も
残ってくれると良いのだけれど
それはスタジオにもRCにもちょっと
見当たらない。



寒くなって来たので
風呂を熱めにして長く浸かる。
皆さん、体調を壊さないように。