-凸凹帖-

写真 奥野和彦

リハビリ

2020-01-29 23:05:17 | 写真
退院して、その後通院する病院が決まった。
毎日1軒ずつ行って、
けが人も中々忙しいね、と。

今までに飲んだことの無い量の薬を飲んで
まだ、思い出せない言葉もあるまま
リハビリの先生と、頑張って話している。
冗談を言って、笑わせたりもする。

ご主人から見て
事故後、変わったことってありますか。

普通にこうして会話のやりとりは出来ますが
あまり、頻繁に会話に出て来ない物の名前や言葉が
すぐに出て来ないようです。

先生 「これ、なんていうか分かりますか?」
「えー、と。 補聴器…じゃなくて…」
先生 「惜しい! うん分かってるのね。聴診器だよね。」
「あー、そうです。聴診器」
私 「まさに、そんな感じです。(笑)」
先生 「分かりました。でも、1月2日の事故から、
よくここまで良くなりましたね。頑張りましょうね。」

したいこと、出来ないこと に向けて。



問題

2020-01-27 21:41:26 | 写真
今日は自分は朝から仕事に出て
次男は家にいた。
お昼に一人で近くのコンビニに行って
買い物をして来たらしい。
別に出てはいけない訳ではないけれど
転んだりしないか心配ではある。

退院はしたけれど
まだ、体の内側に治さなければいけないところがあって
いくつかの外来に行かなければならない。

事故の記憶はまるで無いし
その後入院してからも
日々のことが覚えて行けるようになったのが
10日くらい経ってからのようである。

すぐに出てこない言葉があったり
間違えて単語を使ったりすることがある。
入院中も午前中はリハビリの先生が来て
算数のテストや、言葉のテストをしていたらしい。
算数の点数はいいんだけど、言葉の方が60点ぐらいしか
取れないんだよね… と不服そうである。
漢字も思い出せないものが多いらしい。

リハビリをリハウスと言ったり
夜行バスを予約して、というのを
夜行バスを発注して、と言ったりする。
そりゃ60点だな。

息子が問題を出す。

「駅の、中に入るところ、なんて言うんだっけ?」

「ん〜と、ん〜とね、何だっけ?」

改札だね、と教えてあげると
あ、そうかそれそれ、と言って思い出す。

したいこと 出来ないこと

2020-01-26 22:07:03 | 写真
自転車に乗りたい。
まだ、それは全然平気そう。
仕事だって行けると思う。
え?ダメ? どうして?

車の運転をしたい。
ちょうど、免許書き換えの葉書が来てしまって
今はとても新しい免許証もらえないな。

早く職場に戻りたい。
今まで勤めた中で
一番やりがいがあって
続けて行ける仕事だったのに。

早く元の体に戻りたい。
頭にモヤがかかったような
フラフラしているのはいつ治るの?
耳はいつ聞こえるようになるの?
開頭手術でも何でも
治るんだったらしてよ。

味が分からなくなった。
ちゃんと料理に味がついてるのか
みんなに美味しく出来てるのか、分からない。

メールとかLINEとか
スマホの文字を見るのが疲れる。
本を読んだり、クロスワードを暇つぶしにと
もらったけれどそれも今はすぐ疲れるから出来ない。
目だけじゃなくてね、脳が疲れるから。

1月12日 文章のリハビリ

2020-01-25 21:51:44 | 写真


自分の一生に起こる事を写真と簡単な文章でここに記す
という事に決めて続けているものだから
これを書かない訳にはいかない。
が、すぐには書けなくて
書く時間もなくて、書く頭にもならず
写真は仕事以外で撮っていない。

正月、1月2日にパートの仕事に自転車で行く途中のウチの奥さんが
車とぶつかって救急車で病院に運ばれた。
救急隊の話では、呼びかけに頷きはするものの
言葉は話せない状態。
運ばれた病院に脳神経外科の先生が当直でいてくれたのが
不幸中の幸い。
頭を強く打ち、その晩は命の危険がある事を
医師から言われたが、幸いにして命は取り留めた。

病院に着いて処置をしてくれた先生に
見せられた妻の姿は
右耳の後ろあたりを野球のボールぐらいに丸く
刈られてその直径に等しく縫われていた。
ICUのベッドにその頭と、
丸まった白い背中の背骨だけが見えて、
あとは青いシーツがかけられて
死んでいるのかというぐらいに見える弱々しさだった。

救急隊からスーパーの袋に入れて渡された
妻が着ていたコートのフードには血が溜まっていて
洗ってもう一度着られるものでは無かった。

仕事のある日以外は、必ず病院に行った。
初めの10日ほどは、私や息子の事を認識は出来ても
なぜ、そこに寝ているのか、私たちが何をしているのかが
分からず、事故に遭ってあなたは入院しているのだと
言っても理解が出来なかった。
20分もその程度の会話をするだけで疲れてしまい
話の途中でもプイっと背中を向けて急に眠ってしまう。
次の日に行っても、昨日の事は覚えておらず
また、同じ質問と同じ会話をして、また眠ってしまう。
頭の怪我というのはこういうものなのかと。

自分の置かれた状況が分かっていないので
点滴と導尿管が理解出来ず
夜中にトイレに行こうとして
ベッドから落ちてまた、頭を打ったか?
と看護師を困らせる夜もあった。
日記帳が染みているのはその時にそばにあった
お茶をこぼしてらしい。

息子たちはよく頑張ってくれた。
卒業論文を控えている長男は私に同行し病院の往復を。
次男は学校もアルバイトもしながら
3食を出来る限り作ってくれた。
手伝いに行くよ、とか面会を、とか周りの人が
言ってくれたが、家内がそういう状態であって
人と話すのがかなり疲れるようだったので
親戚にも親にも、申し訳ないが暫くは面会を待ってもらった。

自分たちも緊張が張り詰めていて
ここで誰かと接すれば、遣わなくて良いといわれても
どうしても気は遣うし、それはまた疲弊を生むし
そこから何かめげていってしまいそうで
お気遣いには 申し訳なかったが自分たちで
突き進んでかっ飛ばして乗り切りたかった。
子供たちが夜寝つけていないのも分かっていたが
不貞腐れもせず、黙々と頑張ってくれた。

でも、声をかけてくれて励ましてくれた方には
感謝しております。
失礼をして、申し訳なかったと思っております。
ありがとうございました。
野球も全く行けなくなって
スタッフには負担をかけ、申し訳なく思っています。

入院したのは
昨年の夏、ナイター試合に呼んでもらった
あの球場の外野の向こうにある病院で
窓から子供たちが野球をしているのを見て
ナースに「昔、うちの子供たちがここでね、」と
話をしたそうだ。

外傷が癒えて、
とりあえず何とか歩けるようになった所で
病院を出されて、
本日退院となって、ここに記すが
実はこれからが長い闘いになる。
人には見えないところ、
脳に負った傷、耳の奥に負った傷
不安と、めまいと、痛みを
ほぼひと月ぶりの布団の中で耐えている。

こんなことを書いて
自分もおかしくなっているかも知れないが
おかしくなっていることも含めて
そういうブログだから、それも記す。

新春

2020-01-01 23:39:44 | 写真


夏の終わりに行った郡上八幡の竿師
福手さんはあの線路際の工房で
ディーゼルカーの音を聞きながら
今年も竿を作っているだろうか
これから雪の降る地方では
雪が増えると言うから
あの風景も雪景色に変わっていくだろう。
それならそこへも行ってみたい。

今年も自分の
テーマらしいテーマとしては
いろいろな町に行って
そこの特色を出しているであろうという一角で
そこに暮らす人を撮る、そこにある時間を撮る。
ということを続ける。

やり方としてカメラワークを考えて
あおってみたり、寄ってみたりして
ドラマチックな写真群を揃える方法もあるが
私の場合、
ほぼ同レベルの視線から
なるべく垂直の線が歪まないよう
標本的に集めるのを敢えて手法としている。
と言うか自然にそうなっていてそれでいい。

例えば昨日のドラム缶の写真などは
それとは別の考えになった時に撮るタイプの物で
その前の日のちょっと懐かしい感じの
する街並みの写真がその標本的写真にあたる。

一ヶ所1枚一番いいのが撮れればとっとと次の町へ
行っても良いのだが
100mも歩けば、また良い所が見えて来たりするので
どうしても1枚では終わらない。
そうして結局たくさん撮って
一番好きな物、どうしても捨てられない物
で残して並べていくとちょっと面白くなる。