![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/23/f3d68b56284b5a8d6d6629853cb10ec1.jpg)
写真で、何かを伝えられる人になりたいと思って
ずっとカメラを持っているわけだが
写真を志して始めた頃とは
世界がインターネットとパソコンによって
すっかり変わってしまって
人間の社会もあり方も芸術と呼ばれるものも
変わってしまって
写真など撮っても問題提起の一つも
出来ないのではないかと思ってしまう。
シリアスフォトと呼ばれる写真が
私にも、古臭い、暗い、前時代的なものとして
見えるようになった。
こんなんじゃ、伝わらない。
誰も見たくない。全くそう思えるのだ。
写真について考えるのは
見た目にとにかく新し目に見える手法を見つけて
広告の分野で成功する事か、
もうとっくに写真は難しく考えないで遊ぶものと
分かっていてインスタで「いいね」をもらうことに邁進すること。
人を傷つけてしまったり、ルールがわからなかったりしても
スポンサーが付くのを夢見て突っ走るのだ。
月刊の写真雑誌のコンテストに応募して
金賞だの銀賞だのと言ってるなんてまどろっこしくて
やってらんない。いやいや、そんな本があることも知らない。
あると思ってたら無くなっていたことも知らない。
撮って撮って、どんどん
外界へ吐き出してゆくと言うのは
理想的なのだ。インスタにしてもブログにしても
ちょっと前の写真の時代からしたら
そうしたくて仕方なかったぐらいのこと。
折角、その時代が来ているのに
写真と、世界の真実がそこには無い。
いや、それが真実か。
何でも カワイイ に仕立てあげて
ちょこっと見栄えよくして、ど〜ぉ?なんてのは
コンテストのおじさんの顕示欲とよく似てるね。
結構話も合うんじゃないの?