-写真の部屋-

奥野和彦

初夏

2015-04-26 21:36:20 | 写真


日曜日だけど仕事。
土日野球できず。

そうとなったら写真ぐらい撮ろうかと
知らない町の知らない景色。
給水タンクいいなあ。

小さい気持ちの良さそうな
元気のいい商店街が駅の四方に伸びていて
毎日楽しく過ごせそうだ。

野球少年がユニホームを着て
駄菓子屋の前を走って行く。
なかなかわんぱくそうだけど
ウチの子たちだって負けないぞ。



日暮れて越谷。
草の中の虫が鳴くようになった。

歌舞伎町

2015-04-23 22:44:38 | 写真


私の母が携帯にメールをよこして
新宿のゴジラがどうやってあるのかというのが
この前のブログで見られて良かったと。
楽しかったと書いてある。
であれば、もうちょっと分かり易いのを載せてみよう。

新宿コマ劇場だったところに
新しく東宝のビルが建って映画館が入っている。
オープニングから早速イベントが始まって
この日はそのレッドカーペットが敷いてあるが
普段は歌舞伎町のあの通りである。
不潔で治安が悪いよりは良いが、どこもかしこも
きれいになって、どこへ行っても同じような町になるのも
つまらない気がする。

ここから見てちょうど真裏にACB会館というのがあって
そこのライブハウスに友人が出ていた。野球を引退してからの
高3後半からそのライブを自分は写真に撮り、それをその友達が
次のライブのビラに使ったりして、もう今の仕事の下地は
出来ていたのかもしれない。
ライブが終わって、バンドのメンバーはワゴン車に乗り込み
自分は終電を気にしながらこの歌舞伎町のなんとか通りを
足早に歩いて、どちらもジャガイモ畑の地元に帰るのだった。

今、自分の息子が高3になって
歌舞伎町のライブハウスに写真撮りに行くと言ったら
ましてや終電ギリギリに帰って来るような事を言ったら
母親はさぞや心配するだろう。自分とてかつてそうだったとはいえ
帰って来るまでは落ち着かないだろう。
ウチの両親は大して叱りもせず、おおらかであった。
信用されていたのか、見習いたいと思う。




気象ショー

2015-04-15 22:54:49 | 写真


夕方、また雷雨かと思ったら雹が降って来た。
こんなにちゃんとしたのは初めて浴びたと思う。
そのあと、金色の夕日が射して建物がみんな金色になったか
と思ったら、完璧に半円の虹が出た。
そして雷が轟いた。

越谷の竜巻の時にも感じたが
いつもの、普通の何も無く青く広い空に
いつもとは違う何かがある、起こっているというのは怖い。

轟という漢字を見て思い出すのは
小さい頃に風邪を引いたりすると通った
丸山診療所の先生が轟さんという先生だった。
病院の前の診療項目など並んだ看板のなかに一番特徴的な
文字であった。
そして、轟 という名前がぴったりの風貌と存在感。

ここまで書いて診療所はどうなったのだろうと
ググってみたら、やはりなくなっていて
しかも廃墟となってお化け屋敷呼ばわりされて
肝試しに使われたらしい。
なんかこの地域一帯のその頃の事を語るスレが出来ていて
びっくりした、と同時に懐かしい話ばかり語られていた。
あの辺の、同世代のやつってみんなこんなか?

突堤

2015-04-09 20:28:53 | 写真


よその場所から来て、この風景を見つめる者。
毎日、この町で暮らし、この風景を見つめる者。

どちらでもなく、そこに居た事も無く
写真になった像だけを見る者。

誰が見ても、沁みるような写真が撮れるだろうか。

佐原

2015-04-02 22:05:12 | 写真


銚子の帰りに立ち寄ったのが佐原の町。
銚子からの電車を降りて、次のが来るまでの約1時間。

房総の時も書いたが、成田線は成田線でどこも似通った駅である。
少し人口の多そうな町の駅には
バスがいて、タクシーがいて、大体こんな風。
集めて行ったらベッヒャーさんみたいになるだろうか。


ちょっと前にチームの子が観光に来て
すごいのがあったとお母さんがスマホの写真を見せてくれた
写真屋さんをこれまた表敬訪問、といってもこちらはもう営業していない。
失礼だが原爆ドームのような…。
華やかなりし頃のこのお店に来てみたかった。
写真屋さんというのは扱っている物が物だけに
店構えそのものにも善かれ悪しかれ「時間」を感じさせられる。



会社訪問

2015-04-01 20:51:24 | 写真

雨の予報だったけれど、出掛けることにした。
銚子へ行く。

所さんのダーツの旅みたいに、どこへ出掛けるかを
何か任せにしてみたくて
昨日載せたおいしく頂いたさばの味噌煮の缶詰工場に行ってみる。
そして、その町で写真を撮る、という試み。
缶詰に書いてあった住所をヤフー地図で調べて道順を頭に入れる。


銚子からは銚子電鉄に乗って3つ目の本銚子で降りて坂を下る。
白い、食品工場の人が着る作業着の人が見えてあそこら辺か、
と思った所に『ちょうした』銚子 田原缶詰株式会社さんは
想像通りの規模と盛業ぶりと清潔さで在った。


もしかしたらと思っていたがちょうど昼休みに入る時間だったので
工場からはぞろぞろと作業着姿の人達が出て来た。
写真を撮っていたら、ピースをしたりする人がいたので
いけね、ちょっと正面からやり過ぎたと思いながら
笑って会釈をしたら返してくれた。


私がちゃんとしたテレビや雑誌の取材者なら良いが
趣味で当てずっぽうで写真を撮りに来たと言っても理解
されないだろう。事務所の中からも何事かと見てる人がいたので
ちゃんと身の上を話して貴社の缶詰のファンになりましたと
言ってくれば良かったがそれが出来なかった。
あやしい者ではありません。お話もちょっとしてみたかった。
でもそこから先、分かり合えたとしても
そうすると自分の撮りたい写真にはならなくなる。
今日もフィルムの方のカメラには
「いつものお昼のサイレンが鳴って休憩時間で出て来る
工場の人達」が写っている… 
筈だがピースをしているかも知れない(笑)



どうもありがとうございました。
このような身勝手な表敬訪問を終わらせて銚子の町を歩く。


銚子電鉄では今日、アマガエルのような色に塗られた2両編成が
日中往復していて可愛かった。
もともとは京王の電車だと思うけれど
そのあと、一旦伊予の国 愛媛にいたそうだ。