-凸凹帖-

写真 奥野和彦

夕方の月

2019-02-18 20:11:30 | 写真


仕事が終わって
国道4号線を越谷に向かって帰る。
運転席の窓側を
ずっと月が並んで追いかけてくる。



だんだん暗くなって
朧月夜の歌の季節にはまだ早いけれど
こんな月の夜の入り口が好きなのは
前にも書いた。



保健所と看板のついた敷地から
自転車のお母さん達が出てくる。
こちらの信号待ちと同じ位の間
ちょっと立ち話をして
あっちとこっちへ
自転車によいしょっとガニ股でまたがり
わっしわっしと漕いでいく。
さて、早く帰って
腹を減らしてピーピー鳴いてる
野郎どもに早くカレーでも食わすかとか
唐揚げでも揚げるか、とか
これからもう一仕事のお母さん達だ。
野郎どもなんてのは実に呑気で
母さん無しでは行きていけない。



すっかり日が暮れて
夜になっても月は並走を続けて



都内から20数キロ
右手に見え続けた月は
越谷に入って
4号線から右折して住宅街に入ると
家々に囲まれて
やっと見えなくなった。





魚と音楽

2019-02-16 21:17:26 | 写真


先週のダメ押しの寒さで
大事に増やしていたタナゴが20匹ほど死んでしまった。
ちょっと忙しくて油断していたら
白点病が始まってあっという間。

ペットは見て、気を向けていてあげればそれが分かる。
自分を見てくれている、というのは伝わる気がする。
全滅ではないので残った分で建て直し中。

さて、私が気分転換のためにギターを弾いたりするが
それはタナゴを飼っている水槽の側でやる。
人に聞かせるような腕前は持っていなくて
常に練習中、程度のものである。

楽器というのは、弾いている本人は
非常に気持ち良いものだが
側で音を聞かされる者には雑音である。
私がストレス解消に爪弾く弦の音は
家族にとっては雑音で
次男はすぐにイヤホンをしてスマホにつなぐ。

前述の通り、タナゴは
側にこの「大きな動く何か」が来ると
「食べられるもの」が落ちてくるし、水は綺麗になるし
自分達をすくい上げる白い何かが入ってこない限り
「大きな動く何か」は嫌いではないのだ。
時々これがガシャガシャやって出す
何かを引っかいた様な音もこれが側にいる証拠だから
これも嫌いではない。
NO MUSIC NO LIFE

「大きな動く何か」である私はこの様に
タナゴが思っているものと思い込み
朝にはラジオ体操の歌を、夜には子守唄をつま弾き
歌って聞かせる。
タナゴ達はうっとり聴いている様である。

ふと思い付いて、「さかな天国」を歌って聞かせてみる。
🎶さかな さかな さかな〜 さかなを食べ〜ると〜
どうだ、ちょっと怖いか?
なんてニヤリとしてみる。

「大きな動く何か」が勝手に何かを思っているかも知れないが
タナゴに自分が「さかな」という生き物であるという
認識などまるでない。
それどころか、自分こそがこの世界の王様であると
思ってエサを取り、場所を取り、メスを取り、オスを取り、生きている。

無力

2019-02-04 23:01:25 | 写真


電車の中でベビーカーの中の
赤ん坊がじっと俺の顔を見る

涙の数だけ強くなれるよ
このうたを聞いた事があっただろうか
本当かよ

世の中からいじめが無くならない
いつ、自分には明るく笑える日が来るのか
毎晩布団の中で泣いていた

休み時間にプールの裏の藪に入って
クワガタを採ってきたら
仲間外れをやめてやると言われて
出てはいけない学校の敷地から出て
クワガタを採ってきてくれてやったら
先生、こいつ休み時間に学校から出て
クワガタ採ってきたんだぜ、と言いつけて
何も知らずに
ちょっと、何やってんのと俺を咎める
若い女教師

ああ、もう駄目なんだと
冷たさも痛さも分からなくなっていく絶望感

SNS、アニメ、音楽、文筆家、テレビ局、映画、
クリエーター、全てのマスコミよ
てめえらに本当に実力があるなら
何かを変えられるとか言うのなら
今あるいじめを無くしてくれ
毎日、生きようと悲しい思いと
戦っている子のために
画期的な何かをしてくれよ

野田の女の子はどれだけ涙を流して
どれだけ普通の日々を待ち望みながら
亡くなっていったのか
いつ、優しい父さんと母さんに
戻ってくれるのかと