-凸凹帖-

写真 奥野和彦

急いては事を仕損じる

2020-05-23 22:17:35 | 写真


新しい生活様式…。
ソーシャルディスタンス。

この機会に大都会への人口集中を
何とかしたい。
言ってる私の職業を考えたら
東京から遠く離れることは難しいのだけれど
地方にも職と、人口を。
都会に働く人も
テレワークもかなり浸透しただろうし
出来る職種では、より活用して
通勤時間も自由になると良い。
その上で人と一緒の時間を楽しみたい時には楽しむ。

9月新学期を急いで進めるよりも
意義があるんじゃないかな。

593号

2020-05-19 23:32:10 | 写真


フイルム整理は郡上八幡のところまで来た。
まだまだ終わらない。

このカットはもう帰って来る日のもので
6月29日とある。
もう夏の陽射しであったが
電車が走り出すと、窓から風が吹き込んできて
気持ち良くて、沿線の景色も見たいのに
ほぼ眠ってしまっていたと思う。

3枚つなぎ

2020-05-17 21:00:33 | 写真


瀬戸内の島なみと言うのが
どうあるのかを
何とか見せようと思うとこう言う事になる。
カラーでなくて申し訳ないが
3枚つなぎである。

今でこそデジカメでカラーで撮っても
後から簡単に白黒に出来るし
どちらで撮ってもインクジェットのプリントには出来る。
この3枚つなぎも撮った当時に
印画紙のプリントで3枚の調子を合わせるのに
何枚かテストなり失敗なりをしてやった記憶がある。
それが、今はものの数分でこれぐらいの出来にはなる。

ただし
これは、そうやって暗室作業をした経験があるから
この早さで出来る事なのでもあって
何につけ、経験は無駄にはならないと思う。
でも、iphoneのパノラマはもっと速いよね。
それでおしまい。

徳島代表

2020-05-16 18:39:38 | 写真


昔、映画のロケで徳島の小さな小学校へ
行ったとずっと思っていたが
今回の整理で
それは分校か、主には公民館のような場所で
授業中ではなく、学童保育のような所へ
撮影隊がお邪魔したのだと分かった。

野球を好きになる。
お兄ちゃん達みたいに
野球が出来るようになりたい。
一つには、野球というのはこうして
教わって、覚えるのが良いのだと
時々思うけれど、つい忘れてしまう。

まだ、自分の子供も生まれる前のことで
野球とはまるで離れて生きている頃の写真。

自分のチームでは
こんな指導が出来ます。
こんな結果を挙げてます。
と、言いがちで
自分もそう言ってきたけれど。



まさか甲子園大会が出来ない事になった時に
甲子園、甲子園と言ってきた指導者達は
何を子供達に教えられるだろうか。


ベランダの反対側

2020-05-14 22:45:16 | 写真


ほぼ1日写真いじり。
部屋を出たのはこの写真を撮るためと
奥さんの送り迎えと
食べ過ぎなので
夜、駅前の本屋まで歩いての往復と。


1994年
驚くのは今は暗渠になってしまった
用水路が、昔は一丁前の川幅があって
かわいらしいガーター橋がかかっていたという事だ。
家の目の前に
小さな鉄橋がかかっていて
線路の左右に田んぼがある。
当時、北千住から下ってきた東武線の
線路の間際まで田んぼが迫ってくるのは
この場所が最初で、それが気に入って引っ越してきた。
マンションの子供たちが
用水路でザリガニやメダカを獲って遊んでいたし
今頃の季節からは夜になると
カエルの合唱が始まった。
この用水路は暗渠になった今でも
田植えの時期になると水が通る。
1箇所だけ網がかかって
水の音だけがザーザーと聞こえる場所があって
ウチの子もそうであったが散歩でそこを通る小さい子が
その音が何だろうかと大人の手を握ったまま
暗い網の下を覗き込む。

駆け出し

2020-05-12 16:51:44 | 写真


1994年、友人の結婚式で博多へ。
映画館でパルプ・フィクションが公開されていた。
劇場の看板に自分が東京のプレミアで撮った写真が
張り出されていて、不思議な感覚だったのを覚えている。

当時、自分が勤めていた会社では
ここに掲げられているような映画の場面写真(スチール写真)を
暗室でプリントする仕事をし、多分それも自分がプリントした。
イベントの写真もたまたま自分が撮りに行き
そのプリントももちろん社内でする。

それらに思いもしなかった九州の街角で再会した。
全世界か ってそこ間違えないだろ普通。 が だろ。