-凸凹帖-

写真 奥野和彦

小川の記憶

2012-05-22 17:08:15 | 写真
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EIZOUくんいつもながら資料をありがとう。

もう少し、記憶の糸をたどってみる。
いなほがボンネットのディーゼル特急だったと
しっかり覚えていたのは、乗った後に
鉄道シールのついたガムを買って
それに入っていたのがボンネット「いなほ」の
真正面顔シール。
当時、流行の転写型シールでご多分に漏れず
洋服ダンスに貼り付け、いつぐらいまで実家に
あったものやら。 それを見るたびに
姿を確認していたので、覚えもいいのである。

「鳥海」についてはそれより数年後に行ったとき
に利用した。鶴岡駅までずいぶん暗い時間に
なってから行って、急行列車がホームに入って来る
というのでどんな電車かと思っていたら
貨物列車を引く機関車がヘッドライトを二つ点けて
入って来て、「これだ」というばあちゃんに
これは貨物じゃないの?と言い張った記憶がある。
ブルートレインのブームが先に来ていれば
機関車牽引の夜行列車と認識したであろうが
電気機関車が引くのは貨物しか見た事が
なかったのだろう。
寝台車も付いていたようだが
乗ったのは普通座席であった。

山形の田舎に行ったのは自分で覚えているのがこの2回。
向こうであった事もさして覚えていないのだが
まだ、秋なのに雪が降って
今年初めての雪だとみんなが言って
近所の家になっているリンゴを誰かに持ち上げて
もらいながら穫らせてもらった記憶。
トラックが行き交う、大きな鉄橋をおっかなびっくり
渡り、隣のまで行って
ばあちゃんの妹に会う。玄関からばあちゃんと
同じ顔が出て来てまたビックリ。
そっちのばあちゃんが川に洗い物に行くと言って
それについていき、逆光の中で、大根かなんかを
洗っているこんもりと茂った小川の流れ込みの
川面の美しさ。
これは、「いなほ」で行った時の記憶であろう。
鉄道の写真も、水の旅も、出所はこんな些細な
衝動にある。 以後、40年を過ぎても。

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語彙

2012-05-15 22:06:49 | 写真
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弓削島ではこの貝を磯で獲って来て
味噌味で茹でて食べる。
食べる時は木綿針で中身を引っぱり出して食べる。
磯の香りと、貝の苦み。

バケツいっぱい獲って来て
夕方まで庭に置いとくが
これだけいると酸欠になって逃げ始める。

これを見つけた下の子が
「にげた、にげた。」と騒ぎ出す。
正確には逃げた、ではなく 逃げている であるが
この子がその言葉を使ったのは
この時が最初ではないか。

夕食時、さっそく目の前で一匹身を引っぱり出して
食べてみせる。
こちらの口元をじっと見ながら、自分の口も動かしている。
ひとつ、食べさせてみる。

苦い と まずい を思いっきり足して
混ぜ合わせたような顔、 をして べ~っと
吐き出した 瀬戸内の食卓。


朝食

2012-05-14 22:21:26 | 写真
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テーブルの上に並んだものを
撮るのが好きな時期があった。

このテーブルも、もうない。

子供の頭の中に、自分の世界が生まれて
お気に入り や 好きな食べ物 が生まれる。
それらをテーブルの上に並べれば
そこに、彼らの世界が形作られる。

テーブルの上は、あふれて
やがて床にプラレールとなって這い回り
玄関の敷居をまたぎ
外界へと進出をしていく。








ベランダ

2012-05-11 21:40:10 | 写真
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オーナー氏、仕事の日程が急にずれてオフに。
オフと言えば、妄想の国へ。

元尾小屋鉄道キハ2が塗装されて入線となる。
出来立てなのにすでにボロッちい所にシビれる。

尾小屋鉄道は1977年(昭和52年)
3月に廃止になって
昭和初期から走り続けたこれらの気動車も
役目を終える。
その最後期の姿がこちらにアップされている。
まさに鉄道模型!
ま、一応見とこうかという方、どうぞ。
http://umemado.blogspot.jp/2012/05/512.html

文中にゲームコーナーの記述があるが
’77年はブロックくずし、翌'78年には
スペースインベーダーの超大ブームを迎える。
私は、といえば少年野球の千葉県大会に出場し
優勝した事が強く記憶に残っている。
雨で、野球が中止になった日に家族で
スーパーに買い物に行き、母親が買い物をしている間
ゲームコーナーで父と弟とこれらのゲームに
夢中になっていた。あれ?今と全然かわらない。

そんな年に、あの頃に、尾小屋鉄道は走るのをやめた。

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ケイブンシャの私鉄大百科という本だったか?
全国の私鉄が紹介される中、1ページの扱いで
尾小屋のページがあり、白黒でこのキハ2が
お正月のしめ飾りを付けて載っていた。
それもこの年に買った本だったと思う。
手にした時にはもう、廃線になっていたはずで
しめ飾りの印象以外には当時何も引っかからなかった。

まさか40を過ぎて
癒される ことになるとは考えもしなかった。

ロンドンではパンクの嵐がやってきて
'78年にはYMOがアルバムを発表し
間もなく1980年代がやって来る。
スペースインベーダーからファミコンに
ファミコンからポータブルゲームに
そこから、ケータイに…

ゆりかもめに運転手は居ず
自動車のようにシフトノブでギアチェンジをしながら
走る汽車が、生き延びる時代ではなくなった。

私は鉄道オタクではない。
尾小屋については研究したから、多少詳しいことも
あるが、鉄道に何でも詳しく知っている訳ではない。

好きな女の子がいて
その子の事は、何でも知りたいが
全ての女性の全ての習性などについて
何もかも分かろうなどとは
思わないのと同じ事である。


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