-凸凹帖-

写真 奥野和彦

2015.10.21

2015-10-21 16:10:06 | 写真


ニュースでやっているけれど
『バック トゥ ザ フューチャー』の主人公2人が30年前の
世界から自動車型タイムマシーン「デロリアン」に乗ってやって来た日だ。
そちらのイベントもあるようだけれど
自分はその映画を撮った監督の次回作の来日会見に行った。
会見で写真撮影が行われた聖路加タワーの屋上から
下を見ると、自分が生まれてしばらく育った場所が見えた。
今、私と映画宣伝をしている宣伝マンたちは
私と同年代か少し後輩でその映画はみんな見ていて
憧れの監督なのだ。滅多に無い事だけれど彼らは
今日この日こそとお願いをして記念写真を撮ってもらった。
珍しく、自分も入れてもらって撮って頂いた。

そして、自分が生まれた病院もこの聖路加タワーの
足元に在ったとさっき調べて分かった。
映画とは違って
50年前、ここで産まれた子が50年経った姿で
50年経った姿のこの町に来た。
やはり、そういう日なのかな。

今日もいつも通り

2015-10-20 22:51:58 | 写真


先週はツクツクホウシが鳴いていたが
さすがに今週は聞かない。

ゴミを出す。
掃除機をかける。
アイロンをする。
水槽の水を換える。
メールを見る。返事を書く。
靴を磨く。
仕事に出る。
本屋で立ち読みをする。

買うに至るものがあれば買うが、
ないので、立ち読みのみになって出る。

写真を撮る。
用意されてあったのでスタッフとお弁当を食べる。
家に戻る。
パソコンを開く。
メールを見る。返事を書く。
写真集を見る。
自分の写真ストックを見る。
明日の為のカメラ、電池、充電をする。

寒くなったから風邪引かないでね

2015-10-16 18:02:16 | 写真


ある人に
写真家というのについて問われたけれどすぐに答えられなかった。
要するに、ダヴィンチのモナリザみたいに代表作のようなもの
があって、或はゴッホのように独特のタッチがあるとかいう人が
写真家なのですかと。
その人は、映画のイベントの現場に来て
記事を書いて写真を撮ってインターネットのニュースに
載せる仕事をしているらしいが、本当は
写真家になりたいのだそうだ。

カメラマンと写真家が違うとか、じゃ、どこが違うのかとか
言うけれど、その人がどう思うかでいいけれど
違いをつけるとすれば
人からこれを撮ってと頼まれてありのままに撮る技術を売る人を
カメラマン。わたしもカメラマン。
先に、表現方法やら作画方法に独自のものがあって
その調理でもって頼まれた写真を撮ってあげる。
或は頼まれない事物や心情をその調理法で撮り続けていて
それを、欲しいという人がいて、提供して商売になっている人
これが写真家だろうか。写真作家というともっと分かり易いかも。
代表作があるから写真家と認められるかというとちょっと違うかな?

自分が写真を勉強していた昭和の終わりぐらいまでは
◯◯さんの代表作の◯◯、なんていうのがあったけれど
その時代は、撮影技術があって、プリントを作る際の暗室技術があって
そこで人の技が込められていたから1枚に価値をつけられたかも
知れないが、今は技術がなくても誰でも撮れるし
暗室なくてもパソコンで出来るし、暗室以上の加工が出来るし
だから、写真1枚における希少価値性はないと思う。
それにしがみつく人ももういないだろう。
日々、写真を使ってどんどん時代も本人も変わっていく事を
見せていく行為が写真家と呼ばれる姿かも知れないね。
もう代表作なんて3日もすれば忘れられる。
毎日毎日、撮り続けていないと。それだけだ。

と、次に会った時には答えるべきかと思うけど
恥ずかしいからやめとこう。









ラベンダー

2015-10-13 21:23:45 | 写真


また記憶のはなし。

イヤホンでYouTubeで久しぶりに聞きたいような
曲を探して聴いている。
今日は仕事と仕事の間の時間がギリギリで
一つ目の現場から二つ目の会場に向かい、最寄りの駅を
降りて、送られていた案内の通りに歩き出して
モヤモヤっと来た。

来た事がある道だ。

多分、川だった所に蓋をして緑道になっていて
この先に公衆トイレがあった筈だと思えばあり、
この先にそろばん塾があった筈だと思えばあった。
そろばん塾はご時世で日毎で英語教室かなんかも兼ねていたが
歩くほどにいろいろ思い出して、行こうとしている場所が
廃校になった小学校を利用した施設だったと思い出した。
以前来た時には今の施設になってからの名称ではなくて
◯◯小学校跡地(校舎)ということだったような気がする。

それで、学校はともかく
駅からそこへ向かうその緑道のそろばん塾のあたりが
自分たちの育った時代の町の雰囲気をよく残していて、
そこに立っているだけで何ともいいようのない感覚に包まれる。
感傷的に風景を見る事が滅多に無いし、
こんな写真を撮っている割には、大抵の古い街並に立っても
まあ、こんな感じだよね、あるあるって感じだよ,と
実は冷めているのだが、
ここだけは言葉を失うくらいに、というか途方に暮れる感じ。
今日は秋の午後の斜光であったが
以前は夕暮れでそろばん塾のあんどん看板が青白く
灯る時間であった。
朝、通勤通学の人々が通って行くのもいいだろう。

早く来て下さいの催促の電話がなっていて
仕事用のカメラがあるにもかかわらず
バッグから出す時間がなくて、立ち止まってスマホで
撮るしかなかった。
然るべき時間になれば、遊具に子供がまたがって遊び
塾にはそろばんカバンを持った子供たちが集まって来るのだろうか。

聞いていたYouTubeでは
電気グルーヴの「虹」がかかっていたから余計にふわふわしていた。
どこかで相当強い香りのアロマを使っているのか
そういうお店でもあるのか、道端に誰かがぶちまけたのか
学校跡に着くまでずっと匂っていた。ラベンダーか?と思った。
前に来た時の写真もこのブログのどこかにある筈だが。
探すのはそこそこ大変そうだ。