茂木枇杷を 貰いて母を 訪ねたり
中村 梅士 Baishi
長崎の叔母から茂木枇杷が届けられた。
なんとも贅沢な果物である。
近所にも鈴なりの枇杷があるが、小粒で種ばかりである。
さすがに茂木枇杷は大きく、みずみずしかった。
老母は91歳になるという。
携帯電話のかけ方も受け方も分からない。
ただ、持っているだけである。
ボケているわけではない。
ボタンが沢山あってどこを触っていいやらわからないと思い込
んでいるのである。
さて、今日のゼミは一年生向けの論文入門だった。
ほとんど、文章の書き方や論文の書き方など習ったことがな
いというのが昨今の学生である。
そもそも論理と言うことが分からないし、書かせると、エッ
セイになる。
そこで、混浴露天風呂殺人事件の推理を題材に話を進めた。
美しく若い女性の死体が温泉の近くに転がっているというと
ころからドラマが始まる。
ここはばあさんが転がっていてもいけないのである。
つまり、興味関心から観察が始まり、状況証拠から問題点を
分析する考察が始まり、さまざまな可能性が推理され、最後に
は直感に近い真相が洞察される。
直観は論理ではないが、論理には欠かせないひらめきである。
観察、考察、推察、洞察という基本的な論理の構造である。
刑事裁判はだいたいこの流れであるし、ミステリー小説の骨
格でもある。
四段構成の基本であろう。
もっとも、序論、本論、結論という三段論法が実用的である。
長寿であれば、幸せなのかという問いかけから、死に方の問
題に展開する。
癌病棟に彷徨う不成仏霊言の真相・・・。
癌もストレス症候群だが、もしも癌宣告で死を覚悟するなら、
病院ではなく、冬山に行くのがよいと語る。
冬山で遭難して死ぬ方が、元気で良いからであると。
棺桶への踏切よく飛び込んで、ピンピンコロリと逝きたいも
のだと。
癌病棟の怖い話は実話として聞いた話でもある。
学生たちも、意外と不思議な体験をしているものである。
潜在意識論が、意外と霊界への入り口になっている。
魂の永遠性は、彼らにとっても朗報にちがいあるまい。
死んでからあの世に至るまでの流れや、地獄界の論理まで語
るのが輪が講義の入門ともなっているのである。
いくつになっても、学生たちと何の違和感もなく、大笑いし
ながらしゃべれるのは幸せだ。
権威も風格もないが、教職の楽しさというべきであろう。
ああ、今日も面白かった~♬。
かくして、今日も汗を流し、とっぷりと日が暮れて、ジャズ
と芋焼酎のロックなひと時を楽しんだ。
明日も一仕事が待っている。
CDも、LPレコードも、MP3の音楽もたっぷりとある。
雨の一日を、良質な仕事と読書で充実させたい。
アルメニアは人口わずか300万人足らずの小規模な国である。
それでも、国の伝統を誇りとし、国を守るために若者が軍隊
に志願して戦っている。
うら若い女子でも、国家のために軍隊に志願したがると言う。
それに引き換え、日本の植民地振りは恥ずかしい。
自分も学生時代は左翼思想を呼吸していたので、軍隊に入ろ
うなどとは思いもしなかった。
反権力だったのである。
そういう風潮の時代でもあった。
しかし、渡部昇一先生の日本史や幸福の科学に出会ってから
は、思想が180℃逆転して愛国者に転じた。
祖国防衛のために殉じることは日本男子の本懐である。
タイやフィリピンでは、実弾射撃を何度も体験した。
武士道を忘れ、正義を忘れ、愛国心を忘れた日本人のなんと
も恥ずべきことよと思う。
植民国家日本を憂う。
恥知らずな親中派の汚らしい政治家を駆除したいと思う。
その小賢しい計算高さこそは、拝金主義の腐れである。
まあ、今日はそういう青年のような心情をもって、豆腐のデ
ィナーに移ろうと思う。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party