初春や 二分や三分に 咲きにけり
中村 梅士 Baishi
紅葉が終わるころ、これからは冬だなあと惜しんだも
のだが、梅の花が咲き始めると、もはや春になる。
今年は年明け早々に咲き始めた。
二分咲き三分咲きの春辺に紅梅も交じってめでたくな
る。
昨日は蝋梅を見に電車に乗って行こうと思っていたが、
途中の小さな八百屋で山盛りのミカンや格安の野菜をみ
て、ついつい沢山買ってしまった。
人工島にできている市の卸市場で仕入れて来たばかり
だという。
小葱はスーバーの5分の1ほどの安さだった。
大根は二本で百円である。
たっぷりの高菜漬も百円だった。
八百屋の百円ショップである。
店主が若ければ、かつてのダイエーのように成長する
かもしれないほど新鮮で安い店である。
立派な紳士ならば、通りもしない横丁の小店である。
有名人は立ち入りできない路地だが、歴史のある道筋
ではある。
結局、登山リュックが満杯になって遠出は断念した。
数日前に比べて、梅は一段と明るさを増していた。
まだ咲き始めていない木も多いが、早春とはそうした
ものだ。
今朝の気温は7℃と少し暖かい。
まあ、走りやすい暖冬である。
『新・日本国憲法試案』は実に味わい深い。
HSUに神学部を作るならば、法学部を兼ねるべきだ
ろう。
神の法とは、あの世とこの世を貫く法原理にほかなら
ないからである。
現在の大学の神学部ないし宗教学科の偏差値は不人気
を反映して最も低いだろう。
しかし、この世の法と連結することで優秀な学生が集
まるのではないか。
宗教を知らずして、この世の法をあつかうべきではな
い。
あるべき姿だと考える。
その意味で、偽法学部の筆頭が東大法学部だというこ
とはできるのではないか。
地獄への根の深い学派である。
その中でも憲法学者は最悪の汚染源である。
そうした学派が司法試験委員や政府委員に指名される
ことで権威化されていただけのことである。
芦部さんはアメリカ連邦裁判所の判例研究を通じて比
較憲法の視点を普及し、植民地憲法の補正を試みた点は
評価されるだろうが、肝腎の植民地憲法の非憲法性につ
いては無力だった。
法曹が反日左翼勢力に堕している理由でもある。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party