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2度目の人生、生きてます

今日は肝臓の定期検診。

敷居が高かったはずの大学病院も、今や自分の庭のようになり、自宅で仕事をする
自分にとって、我が家以外では過ごす時間が一番長い場所になってしまった。





いつもの時間に採血を済ませ、遅い朝食を摂り、診察を待つ。
そして大量の薬をもらって帰る繰り返し。






朝早いと、駐車場はまだ混んでいない。
帰り、院外薬局で薬をもらって帰るので、いつも留める場所はその薬局に近い、駐
車場の端っこ。

それにしても、病院の周りにいったい何軒の薬局があるのだろう。



最初の退院の時、妻と、その数の多さにビックリした。





受付は診察カードを読み取り機に差し込むだけ。

あとは呼ばれるのを待つだけだ。



最近はカルテまで電子化され、「患者さんよりコンピューターに向かっているよう
だ。」と先生はこぼしていた。





いつからか「混んでいるから」という理由で、金曜日から木曜日に診察日を替えら
れた。
だからなのか、知っている人がメッキリ少なくなった。

仲の良かったKさんとも一年以上は会ってない。


こんな事ならメールアドレスでも聞いておけば良かった・・・





それにしても子ども連れのお母さんが多い。

きっと胆道閉鎖症で移植をしたお子さんだろう。

入院中何度も見掛けたお子さんの顔も。


小さい時から移植患者という重荷を背負って生きていくのがどれ程のものなのか、
想像できない。





待つ時間に比べて診察はあっという間。


でもこれは喜ばしい事で、数値が安定している証拠だ。





S村先生とはいつも仕事の話しになる。

「どう?仕事の方は。」

と。




そりゃあそうだ、入院中、先生の顔を見るたび、「早く帰せ~」「仕事するぅ~」
「生活出来ないぃ~」「なんとかせいぃ~」と極丁寧に訴えていたのだから。

あの頃の状態からすると、「何言ってんだ、コイツ」と思われていたに違いない。




ぁ~恥ずかしい。。





以前、先生に、検診に来る移植患者の内、半数位はあまり数値が芳しくなく、薬の
入れ替えや診療方法で苦労していると聞いた。

実際、それまでの仕事を辞め、定職に着けないでいる人を知っている。





移植は患者の命を助けても、患者と家族の生活を救ってくれない。



自分にとっても、これまでも、これからも、人生紙一重だ。




一つ突っかえ棒が外れると、途端に崩れ行く人生だ。




でも、だからこそ2度目の人生は面白い。
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