総務省のホームページに
令和5年3月10日
『「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について』というページがあり
「3月7日、当省が公表した総務省の「行政文書」の正確性に係る精査(本体PDF、参考資料PDF)について、お知らせします。」
とある。
「本体PDF」……『「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について』という索引的な資料
「参考資料」……総務省(官僚)と官邸のやり取りを記した“覚え書き”のようなモノ
と解釈して良いのだろうか……
とにかく、ページ数が多くて、メモ書きに近いものが多いので、当時の事情、人間関係を把握していないと分からない。
じっくり精読すれば、理解可能かもしれないが、私にはその知識も根性もない。
そこで、「ウイキペディア」に頼ってみる。(ウイキペディアを鵜呑みにするのは危険かもしれない)
「#放送法解釈変更の強要」……国会やマスコミが取り上げているのが、この部分なのだろう。
そこで、目につく部分が
2014年11月26日に礒崎陽輔が『サンデーモーニング』の内容に疑問を抱き、放送法の「政治的公平」について総務省に説明を求めるところから記述が始まる。2015年1月15日の同省と礒崎側のやりとりでは、もともと機嫌の悪かった礒崎が「疑心暗鬼になり、激高した」とする様子が、礒崎の部下から同省放送政策課員の西潟暢央に伝えられた。同年2月24日、総務省の安藤友裕情報流通行政局長らは礒崎と面談し、「総理にお話される前に官房長官にお話し頂くことも考えられるかと思いますが」と提案。礒崎はこの提案に怒り、次のように述べたとされる。
「官房長官に話すかどうかは俺が決める話。局長ごときが言う話ではない」
「この件は俺と総理が二人で決める話」
「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」
— 首相官邸(礒崎総理補佐官室)、2015年2月24日、10:40~10:55
……恫喝という表現がぴったりで、過激である……磯崎氏自身の言葉も過激だが、その言葉を書きして残しておくのも過激である。
「参考資料」も斜め読みしかしていないが、官邸と官僚のやり取りが詳細に記されている。
こんな内容が公文書扱いになるの?と思うが、それはともかく、《官邸があれこれクレームや命令に近い要望をつけるので、それを詳細に残して、それに即した対応をしないと、いろいろ厄介なことになるからなのだろう……と、勝手に推測。(書き残しておかないと、ストレスが爆発するかも?)
高市大臣は「私が発言したことのない記述がなされている」「ありもしないことをあったかのように作られた。捏造だと私は考えている」などと主張している。
一方、総務省の小笠原情報流通行政局長は、国会で、「2月13日に放送関係の大臣レクがあった可能性が高い」としつつ、「約8年前のことであり、作成者及び同席者のいずれも、個々の内容まで覚えていないとしていることから、総務省として、この文書に記載されてる内容が正確か否かを、現時点でお答えすることは困難」
また、局長による高市氏への説明を記した行政文書に関し「作成者は、記憶は定かではないが確実な仕事を心がけている。文書が残っているのであればレクが行われたのではないかと認識している」とも述べている。
高市大臣と総務省の主張が食い違う。どちらかが事実と違うことを述べている。
上記したように、文書が《官邸と総務省のやり取りの“申し送り”的なものだとすると、全く事実にないことを記すとは思えない。しかも、“行政文書”だよ。……となると……
行政文書としたからには、総務省も捏造と認めないだろう。(認めたら、省としての信用は失墜)
しかし、大臣が「捏造だ!」「捏造でなかったら、辞職する」と言ってしまったので、引き下がることはできない。
岸田政権としても、高市大臣が辞職に追い込まれることは、大きな痛手。
となると、真偽不明で決着するのかなぁ……
ここまで書いた後、「放送法行政文書問題」で検索したら、下記のページがヒットした。
JBpress (ジェイビープレス) 「放送法内部文書は何が問題か、官邸の“威光”背にした首相補佐官の個人的関心」
わかりやすく記述で、突っ込んだ意見も書かれているので、参考までにリンクを張っておきます。(すべてが正しいかどうかは分かりません)
あと、礒崎氏が問題視している(怒っている)『サンデーモーニング』などの討論会だが、《討論者のメンバーに偏りがある》と磯崎氏は捉えており、「サンデーモーニングは番組の路線と合わないゲストを呼ばない。あんなのが(番組として)成り立つのはおかしい」と述べている。
この磯崎氏の見解が正しいかどうかは別にして、確かに、番組が意図をもってコメンテーターを選出し、世論の誘導を図る可能性はある。
私など、番組を見て単純に「おお、その通りだ!」と感化されてしまうかもしれない。
よく、「報道の自由」と主張するが、「報道の公平性」も重要視してほしい。
もちろん、報道に官邸(政府)が圧力をかけるのは、以ての外(もってのほか)。
報道に「政治的公平」を求めておきながら、自分の主張を強引に押し付けようとした磯崎氏の傲慢さには呆れる。
令和5年3月10日
『「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について』というページがあり
「3月7日、当省が公表した総務省の「行政文書」の正確性に係る精査(本体PDF、参考資料PDF)について、お知らせします。」
とある。
「本体PDF」……『「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について』という索引的な資料
「参考資料」……総務省(官僚)と官邸のやり取りを記した“覚え書き”のようなモノ
と解釈して良いのだろうか……
とにかく、ページ数が多くて、メモ書きに近いものが多いので、当時の事情、人間関係を把握していないと分からない。
じっくり精読すれば、理解可能かもしれないが、私にはその知識も根性もない。
そこで、「ウイキペディア」に頼ってみる。(ウイキペディアを鵜呑みにするのは危険かもしれない)
「#放送法解釈変更の強要」……国会やマスコミが取り上げているのが、この部分なのだろう。
そこで、目につく部分が
2014年11月26日に礒崎陽輔が『サンデーモーニング』の内容に疑問を抱き、放送法の「政治的公平」について総務省に説明を求めるところから記述が始まる。2015年1月15日の同省と礒崎側のやりとりでは、もともと機嫌の悪かった礒崎が「疑心暗鬼になり、激高した」とする様子が、礒崎の部下から同省放送政策課員の西潟暢央に伝えられた。同年2月24日、総務省の安藤友裕情報流通行政局長らは礒崎と面談し、「総理にお話される前に官房長官にお話し頂くことも考えられるかと思いますが」と提案。礒崎はこの提案に怒り、次のように述べたとされる。
「官房長官に話すかどうかは俺が決める話。局長ごときが言う話ではない」
「この件は俺と総理が二人で決める話」
「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」
— 首相官邸(礒崎総理補佐官室)、2015年2月24日、10:40~10:55
……恫喝という表現がぴったりで、過激である……磯崎氏自身の言葉も過激だが、その言葉を書きして残しておくのも過激である。
「参考資料」も斜め読みしかしていないが、官邸と官僚のやり取りが詳細に記されている。
こんな内容が公文書扱いになるの?と思うが、それはともかく、《官邸があれこれクレームや命令に近い要望をつけるので、それを詳細に残して、それに即した対応をしないと、いろいろ厄介なことになるからなのだろう……と、勝手に推測。(書き残しておかないと、ストレスが爆発するかも?)
高市大臣は「私が発言したことのない記述がなされている」「ありもしないことをあったかのように作られた。捏造だと私は考えている」などと主張している。
一方、総務省の小笠原情報流通行政局長は、国会で、「2月13日に放送関係の大臣レクがあった可能性が高い」としつつ、「約8年前のことであり、作成者及び同席者のいずれも、個々の内容まで覚えていないとしていることから、総務省として、この文書に記載されてる内容が正確か否かを、現時点でお答えすることは困難」
また、局長による高市氏への説明を記した行政文書に関し「作成者は、記憶は定かではないが確実な仕事を心がけている。文書が残っているのであればレクが行われたのではないかと認識している」とも述べている。
高市大臣と総務省の主張が食い違う。どちらかが事実と違うことを述べている。
上記したように、文書が《官邸と総務省のやり取りの“申し送り”的なものだとすると、全く事実にないことを記すとは思えない。しかも、“行政文書”だよ。……となると……
行政文書としたからには、総務省も捏造と認めないだろう。(認めたら、省としての信用は失墜)
しかし、大臣が「捏造だ!」「捏造でなかったら、辞職する」と言ってしまったので、引き下がることはできない。
岸田政権としても、高市大臣が辞職に追い込まれることは、大きな痛手。
となると、真偽不明で決着するのかなぁ……
ここまで書いた後、「放送法行政文書問題」で検索したら、下記のページがヒットした。
JBpress (ジェイビープレス) 「放送法内部文書は何が問題か、官邸の“威光”背にした首相補佐官の個人的関心」
わかりやすく記述で、突っ込んだ意見も書かれているので、参考までにリンクを張っておきます。(すべてが正しいかどうかは分かりません)
あと、礒崎氏が問題視している(怒っている)『サンデーモーニング』などの討論会だが、《討論者のメンバーに偏りがある》と磯崎氏は捉えており、「サンデーモーニングは番組の路線と合わないゲストを呼ばない。あんなのが(番組として)成り立つのはおかしい」と述べている。
この磯崎氏の見解が正しいかどうかは別にして、確かに、番組が意図をもってコメンテーターを選出し、世論の誘導を図る可能性はある。
私など、番組を見て単純に「おお、その通りだ!」と感化されてしまうかもしれない。
よく、「報道の自由」と主張するが、「報道の公平性」も重要視してほしい。
もちろん、報道に官邸(政府)が圧力をかけるのは、以ての外(もってのほか)。
報道に「政治的公平」を求めておきながら、自分の主張を強引に押し付けようとした磯崎氏の傲慢さには呆れる。
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