英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

「ゲームと勝負」「直感とヤマ勘」など

2009-07-14 16:55:51 | 将棋
7月13日の『将棋世界』6月号④の夕焼けさんのコメントに関連しています】

★一手にかける時間。これってどこまでがゲームでどこからが勝負なんでしょうか

 「ゲーム」や「勝負」の言葉の印象が、人によってさまざまだと思うので、まず、その定義を考えてみます。
 「ゲーム」というと、日本語的には、将棋やチェスなどのボードゲームをさすことが多いですが、最近はテレビゲームをイメージする人も多いかもしれません。
 それと、「所詮ゲームじゃないか」というような使われ方の場合、「お遊び」という意味で使われることもありますね。
 英語では、「ゲーム」はスポーツなどの「試合」を指します。

 「勝負」というと、「大勝負」という意味で「重大な分かれ目」とか「雌雄を決する」という意味で使うことがあります。(「雌雄を決する」という言い回しは、「男女共同参画」や「男女平等」という観点からすると不適切かもしれませんが、見逃してください)
 また、もっと広い意味では、単純に「勝ち負け」が決まるものを指します。
 「試合(将棋)に勝って、勝負に負けた」ということがあります。この場合、内容では勝っていたが、結果は負けだったという意味ですね。


 さて、夕焼けさんの場合、「ゲーム」は遊びで、「勝負」は真剣という意味合いだと思われます。
 これは私見ですが、将棋について言うと、遊びの場合、持ち時間を決めず、「待った」も認め、禁手(反則)も許してあげる。
 勝負(重たい意味に限らず、試合として行う場合)の場合、反則や「待った」は認めず、持ち時間もきっちり決める。これは、10秒将棋でも持ち時間9時間でも、同じだと考えます。つまり、持ち時間を決めるということは、競う条件をそろえるということですから、「試合」と考えます。
 将棋の場合、持ち時間を決めるという場合、時計係を頼むか、対局時計を置くことになりますから、時計係=審判みたいなものですから、その時点で試合(勝負)になってしまうでしょう。
 対局時計がない場合は、お互いに「1,2,3…」と時間を読み合う「10秒将棋」をすることがありますが、これは秒の読む速度が不正確ですし、10秒では指し手を読む頭脳勝負という将棋の本質とは離れているように感じます。


>その持ち時間なりの強さ、戦い方、考え方があろうかと思うんですよね。でも考える時間がまるっきりないと「勝負」というより「ギャンブル」的な要素が入ってくるんかも。「運」といってもいい

 おっしゃるとおりだと思います。基本的には、持ち時間をきっちり決めれば(反則、待ったなし)、勝負(試合)と考えますが、相手の指し手を考え、その対策を練ったり、工夫して仕掛けるといった指し手に考慮(意思)がないと、「将棋」とは別のもののように思います。


 あと、NHK杯のような持ち時間が短い将棋と名人戦などのタイトル戦のような長時間の将棋とでは、持ち時間が長い、特に2日制の将棋で負けたほうがダメージは大きいでしょうね。短時間の将棋で強いのは、思考の反射神経があると誇れますが。


★直感とヤマ感の違い

>直感なんて努力の積み上げた者のみが覚醒して出来るもんだと思ってます

 まさに同感です。このことは羽生名人本人もおっしゃっています。

>同僚から「もっと急いで打ってくれ」とクレームをつけられました。ワタクシの考える時間が長いようなんですよね。と言っても10秒たらずなんですが

 私の想像ですが、同僚の方は、オセロをトランプの「ババ抜き」や「ページワン」と同じように捕らえているのではないかと。
 もちろん、相手の表情や、場に捨てられているカードを見て切るカードを決めるということもありますが、引くカードは運や勘に左右されます。
 同僚の方は、オセロの手は読むものでなく、勘で決め手、その手がいい手か悪い手かは運で決まるモノと考えているのではないでしょうか?


★上達するには

 多少個人差があると思いますが、閃きだけで指す子ども(人)は、強くなりません。
 ある程度考えて、その決定した手が意思を持たないと、経験や技の積み重ねになりません。
 その意思が間違っていてもかまいません。「相手の角頭が破れそうだ。攻めてみよう」というのと、「とにかく攻めてみよう」と攻めるのでは、結果が同じでも、得られる経験地が違います。
 相手がただで駒を捨ててきた。「取るとどうなるか、考えたがわからないけれど、取ってみよう」というのと「罠かもしれない。取らないでおこう」というのでは、たとえ取って相手の策に嵌っても前者のほうがいい経験をしたと言えます。

 中には長考する子がいます。すごく読んでいる場合はいいのですが、初心者の場合は、「何をしたらわからない」か「複数の候補手が浮かぶが、決められない」ということがほとんどです。この場合は、経験が少なくて手の判断基準が無いと考えられので、その場合は、とにかく、勘でいいから指すよう勧めます。

 ある程度、棋力がつけば、子供の頭の回転は速いので、着手が早くなります。この場合は、放っておきます。負ければ、自然に考えるようになります。


 ただ、最近の子どもは、PCや先生に負けるのは気にしないのですが、友達に負けることを極端に嫌います。これが悩みの種です。
 あと、じっくり考えることができないという傾向が強いようです。 
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3 コメント

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Unknown (夕焼け)
2009-07-14 21:27:48
イヤイヤイヤイヤ^^
う~んワザワザ記事にしてくれるとは・・・
どうもありがとうございます~
う~ん、とりとめもなくツラツラと書くワタクシなのに真摯な姿勢で返してくれて感激ですよ・・・
スイマセン。ワタクシ「真剣勝負」と「遊び」をごちゃまぜにして書いてますね・・・

>同僚の方は、オセロをトランプの「ババ抜き」や「ページワン」と同じように捕らえているのではないかと。

そうそう!それだ!向き合う姿勢がお互いズレちゃってるんですよ。ワタクシは真剣勝負がしたかったんですよね。オセロもごまかしがきかないルールですから。なんであえて「お遊び感覚」でやるんでしょうねぇ。同僚は将棋だってそうなんですよね。スグに心が折れると申しましょうか、投げやりになるんですよ。素人がやるボーリングと似ているかも。序盤絶好調の時はすごい真剣なんですが、ガーターが続くと心が折れて高スコアを狙うことを放棄してしまう。

勿論オセロ、将棋なんかの向き合い方って人それぞれなんでしょうけど、やっぱ真剣にやりたいんですよね。思うに同僚は「負けるのが嫌」とかじゃなくて、「真剣にやるのがカッコ悪い」と思ってるのかも知れません~オセロなんて何回もやってるのに「なんで負けたか」というのをまるっきり考えないから、いつまで経っても上達しないんですよ・・・

ワタクシは将棋を指す機会ってのが滅多にないもんですからやる時は常に真剣ですよ。なんと申しましょうか、将棋にも「道」みたいなもんがあるんじゃありません?棋力とかの話じゃなくて「向き合う志」みたいな?勿論その道を歩んでいる訳ではないのですが、そういう姿勢で将棋っていうモンを捉えてますよ。華道や茶道なんかで心が落ち着くようなモンに似てるかも・・・そういうのって普通に暮らしてると中々ないんですよねぇ~「真剣になれる場」「癒される場」ってのはお金を出さなくても本人の心のもちようでどうにでもなるのかも知れませんね~ワタクシの場合、将棋って色々勉強になるというより心が清らかになりますね。あくまで自己分析ですが^^

オセロなんかでも十分自分を鍛え上げるチャンスになると思うんだけどなぁ。真剣に戦う場ってのは大人になると中々ないんですよねぇ~

直感とヤマ勘編に続きます
ってワタクシ「ヤマ感」と書いてますね
ヤマ勘なのね^^
返信する
Unknown (夕焼け)
2009-07-14 22:01:23
>このことは羽生名人本人もおっしゃっています。

イヤッッホーーー!^^やっぱり?そうですかぁ~
直感。ワタクシの仕事では感性と言ってもいいかな?これってセンスありきじゃないんですよね。まず努力なんですよねぇ。努力ありき。

音楽って何が売れるかなんて正直分かんないんですよね。ギャンブルみたいな要素があると思います。名曲を生み出すよりも商業的に売れる曲を生み出すスタイルなんでどうしても色々とバクチをしないといけない。
ただ芸術と言っても、コツコツ努力しないといけない部分も大いにあると思うんですよね。感性を磨く努力、直感を鍛える努力、働きながらは時間が無いのでやっぱ大変なのかも知れませんが。ウチの同僚達には何とかやって欲しいなぁ~

>その決定した手が意思を持たないと、経験や技の積み重ねになりません

御意^^
う~ん、英殿を肩車して街をねり歩きたいね。
例えばヴァイオリンなんか「テレビを観ながらでも左手だけはスケール練習してると全然違う」なんて言う人がいますが全くナンセンスだと思います。ただの指ならしみたいなモンで、テレビを観ながら上達出来るなんて夢物語ですよ。ラジオ聴きながら勉強するのとはチョイと違うと思います。

>友達に負けることを極端に嫌います

良いライバルって感じじゃなくて?
そうですか・・・日本の競争社会は子供達にも浸透してるようですねぇ。「常にこのメンツの中では優位に立っていたい」ってな感情があるんかも知れません。自分より下の人間を見て優越感に浸るパターン。う~ん、やっぱまずは大人達、親達の心のあり方から見直すべきかも知れませんねぇ。やっぱ親の責任って大きいと感じるなぁ~

何か良かったです。「何が?」と言われても答えられませんが何か良かったです。
長文有難うございました。

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ひとつだけ ()
2009-07-14 23:11:00
 これまた、丁寧なコメント、ありがとうございます。

 ひとつだけ、補足です。

>日本の競争社会は子供達にも浸透してる

 いえいえ、逆なんです。
 教育現場では、勝ち負けや順位がはっきりわからないような配慮がされているように感じます。
 学校の教育方針自体が、競争を意識させないようになっています。成績評価も、相対評価から絶対評価に。体育会でも遅い子に配慮するようにしています。
 平和主義というか「みんないっしょ」という感じです。リーダーは育ちません。

 友達に負けるのが嫌というのは、負けるのに慣れていないからです。負けない努力をせず、プライドだけ高いのです。

 それに、今の教育は「個性を伸ばす」。欠点には目をつむる。欠点を克服するのも大切なんですけど。
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