このドラマ、いくつかの要素が混在している。
Ⅰ悠里の教育論・母親論(テレビの討論、インタビュー、社員や水泳スクール生徒への訓話)。その回におけるテーマでもある。(一つとは限らない)
Ⅱ悠里の人生論(リカをやり込める問答)
ⅢⅠのテーマを展開(実践・実証)する読み切りドラマ
Ⅳ悠里とその子供や周辺の者たちを巡る連続ドラマ
先日、発覚した大阪の姉弟置き去り事件(インターフォンを鳴らすだけなら誰でもできる)を知り、『GOLD』を思い出した。
第3話(前回)のテーマのひとつが「少子化=少親化」。現代の少子化問題は根本的には少親化と言った方が良い。親になれない者は親になるな!
親になる資質、あるいは覚悟がない者が親になっても、その子どもが不幸なだけで、今回の大阪の事件はまさにそうである。
すべての血縁的親に子ども手当をばらまくのは税金の無駄遣い。親になる資格のある者を厚遇したほうが効率的。そんな親が子どもをたくさん育てればいいのだ。
第4話のテーマはイジメ。
画一的な環境ではリーダーが育たない。いろんな種類の人間がいる中で育った方が、ドラマチックな体験ができるし、人間的成長もできる。ガキ大将は暴力もふるった(イジメもあった)が、しっかり子分を守った。秩序が構築されていた。「愛すべきボス猿」だと。
今回はそのテーマで相馬幸恵(賀来千香子)が登場。
幸恵はパチンコに熱中して息子を死なせてしまったという過去を持っていた。その過去が発覚し、エステ内で波風が立つ。
「そんな過去を持つチーフの下では働けない」「お客にこのことが知れたらマイナスになる」
幸恵の苦しみやエステシャンとしての努力を知っている悠里は悩むが、今後、社内や仕事(客)からの中傷を受けることが予測できた悠里は、彼女に辞めてもらう決心をする。
その矢先、幸恵の目に触れるところに「焼けただれた赤ん坊の人形が置かれていた。それを知った悠里は、全社員を集めて講釈する。
・世の中が便利になり、文明が進歩しても、人間の心だけは進化しない。
(便利になった分だけ、心は退化している気がする)
・他人の過去を暴いて集団でいたぶるようなことも多い。何を言っても仕方がない。なぜなら、そういうことをする人たちの本質は変わらない。
(そう決めつけるのでは、悠里が普段講釈すること自体、意味がなくなってしまう)
・自分(悠里)の周囲では、そんなことは許さない
・幸恵の当時の事情を説明、罪の重さを糾弾、彼女の悲しみ、彼女の印象(自殺するだろう)、彼女をどうしたら自殺させないか、彼女のその後の苦労、などを熱弁
・幸恵を責任者として留める。そのことに異議がある者は辞表を提出しろ
・エステシャンは技術だけでなく、他人をいやす想像力こそが大切。他の社員、人間も想像力を持って心を進化させるべきだ
(「想像力」という表現はピンとこないなあ。もっと別の言葉(「心の豊かさ」とか)が
よかったのでは)
と、ここまで、啖呵を切ったのに、幸恵の辞表を最後には受理してしまった。
幸恵の主張
①(「誰も悠里に異を唱えて辞表を出す者はいないだろう」という言葉に対して)「彼女(エステシャン)たちは一般社員とは違う。個々の実力があり独立を目指している者もいる。彼女たちをつなぎとめておくには、彼女たちの意見を多く取り入れておくことにある。
なんだか他の社員は、従順で技量がないと言っているようだ。
エステシャンは我儘だと言っていて、その我儘を認めてやれと進言しているぞ
②まして、お客に知れ渡りでもしたら、当然不愉快に思われる方もたくさんいるはず。
まあ、ここは痛い事実だろうね。しかし、「まして」という言葉のつなぎは変。
③彼女たちがひとり去り、ふたり去り、やがて立ちいかなくなるのは、自分にとって一番つらいことなのだ
そういうエステ社員ばかりしかいないの?そんな奴らにはさっさと辞めてもらった方が、悠里が目指すモノに近づけるのでは?
それに対し悠里は
「(解雇は)無理、全社員の前で宣言したのよ」
そう、あれだけ見えを切っておいて、撤回する方が、今後の会社運営に響くのでは?
引き留めることが無理だと悟った悠里が泣き崩れるが、今までの悠里のイメージにそぐわない。
幸恵の退職という結末は、妥当で面白くないし、悠里らしくない。というか、彼女の今までの主張・信念がぶち壊し。
リカが幸恵を見送るシーンで、幸恵の手を握って一緒に歩く子どもの姿(まぼろし)を見るが、これはいらない演出。
結果的に幸恵を救えなかった罪悪感を、幸恵の子どもが彼女を許していて寄り添っているシーンを見せて、その罪悪感や不幸さを軽減させるための演出で逃げてしまった
としか私には思えない。
悠里の信念や教育論などに共感していたのだが、それが折れてしまったように思えて、残念な回だった。
個人的には、Ⅱの悠里とリカのコントが減ってしまったのも残念。
あと、晶やカメラマン宇津木や金メダル云々はどうでもいいです。
Ⅰ悠里の教育論・母親論(テレビの討論、インタビュー、社員や水泳スクール生徒への訓話)。その回におけるテーマでもある。(一つとは限らない)
Ⅱ悠里の人生論(リカをやり込める問答)
ⅢⅠのテーマを展開(実践・実証)する読み切りドラマ
Ⅳ悠里とその子供や周辺の者たちを巡る連続ドラマ
先日、発覚した大阪の姉弟置き去り事件(インターフォンを鳴らすだけなら誰でもできる)を知り、『GOLD』を思い出した。
第3話(前回)のテーマのひとつが「少子化=少親化」。現代の少子化問題は根本的には少親化と言った方が良い。親になれない者は親になるな!
親になる資質、あるいは覚悟がない者が親になっても、その子どもが不幸なだけで、今回の大阪の事件はまさにそうである。
すべての血縁的親に子ども手当をばらまくのは税金の無駄遣い。親になる資格のある者を厚遇したほうが効率的。そんな親が子どもをたくさん育てればいいのだ。
第4話のテーマはイジメ。
画一的な環境ではリーダーが育たない。いろんな種類の人間がいる中で育った方が、ドラマチックな体験ができるし、人間的成長もできる。ガキ大将は暴力もふるった(イジメもあった)が、しっかり子分を守った。秩序が構築されていた。「愛すべきボス猿」だと。
今回はそのテーマで相馬幸恵(賀来千香子)が登場。
幸恵はパチンコに熱中して息子を死なせてしまったという過去を持っていた。その過去が発覚し、エステ内で波風が立つ。
「そんな過去を持つチーフの下では働けない」「お客にこのことが知れたらマイナスになる」
幸恵の苦しみやエステシャンとしての努力を知っている悠里は悩むが、今後、社内や仕事(客)からの中傷を受けることが予測できた悠里は、彼女に辞めてもらう決心をする。
その矢先、幸恵の目に触れるところに「焼けただれた赤ん坊の人形が置かれていた。それを知った悠里は、全社員を集めて講釈する。
・世の中が便利になり、文明が進歩しても、人間の心だけは進化しない。
(便利になった分だけ、心は退化している気がする)
・他人の過去を暴いて集団でいたぶるようなことも多い。何を言っても仕方がない。なぜなら、そういうことをする人たちの本質は変わらない。
(そう決めつけるのでは、悠里が普段講釈すること自体、意味がなくなってしまう)
・自分(悠里)の周囲では、そんなことは許さない
・幸恵の当時の事情を説明、罪の重さを糾弾、彼女の悲しみ、彼女の印象(自殺するだろう)、彼女をどうしたら自殺させないか、彼女のその後の苦労、などを熱弁
・幸恵を責任者として留める。そのことに異議がある者は辞表を提出しろ
・エステシャンは技術だけでなく、他人をいやす想像力こそが大切。他の社員、人間も想像力を持って心を進化させるべきだ
(「想像力」という表現はピンとこないなあ。もっと別の言葉(「心の豊かさ」とか)が
よかったのでは)
と、ここまで、啖呵を切ったのに、幸恵の辞表を最後には受理してしまった。
幸恵の主張
①(「誰も悠里に異を唱えて辞表を出す者はいないだろう」という言葉に対して)「彼女(エステシャン)たちは一般社員とは違う。個々の実力があり独立を目指している者もいる。彼女たちをつなぎとめておくには、彼女たちの意見を多く取り入れておくことにある。
なんだか他の社員は、従順で技量がないと言っているようだ。
エステシャンは我儘だと言っていて、その我儘を認めてやれと進言しているぞ
②まして、お客に知れ渡りでもしたら、当然不愉快に思われる方もたくさんいるはず。
まあ、ここは痛い事実だろうね。しかし、「まして」という言葉のつなぎは変。
③彼女たちがひとり去り、ふたり去り、やがて立ちいかなくなるのは、自分にとって一番つらいことなのだ
そういうエステ社員ばかりしかいないの?そんな奴らにはさっさと辞めてもらった方が、悠里が目指すモノに近づけるのでは?
それに対し悠里は
「(解雇は)無理、全社員の前で宣言したのよ」
そう、あれだけ見えを切っておいて、撤回する方が、今後の会社運営に響くのでは?
引き留めることが無理だと悟った悠里が泣き崩れるが、今までの悠里のイメージにそぐわない。
幸恵の退職という結末は、妥当で面白くないし、悠里らしくない。というか、彼女の今までの主張・信念がぶち壊し。
リカが幸恵を見送るシーンで、幸恵の手を握って一緒に歩く子どもの姿(まぼろし)を見るが、これはいらない演出。
結果的に幸恵を救えなかった罪悪感を、幸恵の子どもが彼女を許していて寄り添っているシーンを見せて、その罪悪感や不幸さを軽減させるための演出で逃げてしまった
としか私には思えない。
悠里の信念や教育論などに共感していたのだが、それが折れてしまったように思えて、残念な回だった。
個人的には、Ⅱの悠里とリカのコントが減ってしまったのも残念。
あと、晶やカメラマン宇津木や金メダル云々はどうでもいいです。